のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

三日会わざれば

2014年03月04日 | 日記・エッセイ・コラム

 近隣の市に住む知人は最近奥さんと息子と一緒に行くようになった居酒屋にボトルをキープしています。近年では「いざか族」とか言って、ファミレス代わりに居酒屋で家族が食事することが多い時代になったそうなんです。

 

 私なんか歩いていけるような距離に居酒屋なんかないし、居酒屋でアルバイトしたことはあっても、自分から進んでいくようなことはないので、どういうものなのかわかりませんが、メニューが安くて豊富でよいと言うことです。

 

 この人の息子は20代ですが、小さい子供を連れてくる家族も多いそうです。なんか、子供を連れて居酒屋と言うのも想像しにくいです。どんな大人に育つんだろう?

 他人様の子供はすぐに育つ気がします。

 

 「男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」。三国志演義の呉の武将、呂蒙(りょもう)の言葉です。    

 

 呂蒙は腕っ節のほうは優れた武将でしたが、しばしば一芸に秀でた人が陥りやすいうぬぼれや視野の狭さがあり、教養や人望がない男でした。このために、一人前の扱いをされず「呉下の阿蒙(呉の蒙ちゃん)」と呼ばれていました。これでは一群を率いる統率力がないと懸念した孫権は呂蒙を呼びつけ、学問の大切さを説教しました。

 

 これをきっかけに呂蒙は熱心に学問を励み、知勇を兼ね備えた人物に成長しました。あるとき、呂蒙を先輩の将軍魯粛(ろしゅく)が訪ねてきて、議論を交わしました。かつての阿蒙なら知略に欠けていたので話しにもならなかったのが、呂蒙は成長していました。問答は終始、魯粛の方が押されてしまいました。

 

 「おまえは腕っ節だけの男かと思っていたが、大した教養を身につけたものだ。もはや阿蒙などと呼ぶ事はできない。」と魯粛は呂蒙を讃えました。「呉下の阿蒙にあらず」

 

 「士、別れて三日、即ちさらに刮目してあい待す。(士たるもの三日会わなければ、よくよく目をこすって相手を見なければならない」と呂蒙は答えます。

 

 呂蒙は三国志の英雄関羽を破った人物ですが、それ故に蜀を主人公にする三国志演義では魏の曹操以上に悪漢として描かれてしまっています。

 

 何も男子に限ったことではありません。人間日々成長しているものです。昨日より、今日。今日より、明日。明日より、あさって。志を持った人は日々成長します。

 

 「時間」と言う概念を入れれば、人が人に対する評価などはある時点のもので、その後どう変わるかはその人の志如何なので、半年後、一年後、どう成長していくことかは計り知れないものです。肩書きや経歴などいくら書き込む事は多くてもそれを生かすか生かせないかは感性と志でしょう。

 

 武将と言うのは面白いもので、心・技・体のバランスが取れていないと名を残すことができません、と言うよりも戦死するのがオチです。三国志演義の劉備元徳はそのどれ一つも抜きん出てはいませんが、足りない部分を優れた人物を身の回りにおくことで補っています。人間関係と言う視点で見ても三国志演義は面白い物語です。

 

 「できない」事は視点を変えれば「これからできる」と言うことです。これは可能性なので本来素晴らしいことではないかと思います。「できない」と「やろうとしない」事は大きく違うものです。何事も奥を極めれば深いものですから、ある程度から先の壁は存在しますが、それでも「やろうとしなければ」何も始まりません。前向きな気持ちを持つことが始まりです。

 

 さて、くだんの知人ですが、ボトルを新しく入れてもほどなく息子が仲間たちと飲みに来て空にしてしまう。まさに男子三日会わざればです。

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