同級会 2日目 夕方には伊丹空港で散会して自宅へ・・・
計画では丹後半島を1周する計画でしたが 近年にない大雪 通行不可とのことで
半島を横断する形で東側 天橋立方面へ行きました
天橋立を見下ろす傘松公園の麓にある籠(この)神社にお参りをして
ケーブルカーで傘松公園へ
見て下さい まだこんなに雪が・・・
400mのケーブルカーで傘松公園へ
「股のぞき」の状態で撮影した“天橋立”
全長3.6kmの砂州 8,000本の松林です
日本三景の一つと言われています・・・
昼食を済ませて 軍港 舞鶴港へ
昨夜入港したばかりの 護衛艦“はまゆき”
艦内の清掃が終わってなくて内部見学は出来ませんでしたが 岸壁から・・・
排水量2950トン 全長130m
主砲 対空・対艦両用76ミリ速射砲1基
対空ミサイル8連装1基
等を装備しているそうです
時節がら ミサイルは実装状態でした・・・
最後に終戦から13年間引揚者を迎え入れた舞鶴港へ
終戦時には旧満州をはじめ中国 樺太 千島などに残された人々約660万人のうち
66万余人の引揚者を受け入れたそうです
この舞鶴が最後まで引揚者に手を差し伸べて迎え入れたとのこと
帰ってこれた人 帰ってこれなかった人 悲喜交々の人たちが涙を流した所です
半端な気持ちで見学するのは申し訳ないと思い
気分を引き締めて見学をしてきました・・・
引揚げ者が上陸 検疫 家族と再会をした場所
当時と変わらない建物が残っています
「岸壁の母」のモデルになった端野いせさん
昭和25年の初帰還から以後6年間 引揚げ船が入港する度にこの岸壁に立たれたそうです
いせさんは昭和56年7月に81歳で亡くなられましたが 最後まで息子 新ニさんが帰ってくるのを
入院した病院で待っておられてそうです
引揚げ船
岸壁を見下ろす公園には石碑も建っていました
こちらの写真が 舞鶴港全景です
迎え入れた岸壁は写真の右側になります
同級会という機会を利用して見学できましたが 決して物見遊山で訪れては
いけない所だと痛感しました・・・
5年後の同級会も全員で集まりたいものです・・・
戦中派の 端くれとしては,舞鶴港は = 引揚者のイメージが 強いです。今は 平和で幸せなこってす。(^^) 自衛艦,アメリカの軍艦が 雪祭りになると 小樽港にやってきますが,平和なんでしょうね!(^^)!でも,米艦 恰好いいですね(^^)。きょうは これから 準備して,雪祭り会場の 夜景を撮ってこようと思っていますが,確定申告の資料集めもやっていますので,予定通り 行動できるかな??!(^^)!
トップのお写真の雪で風も冷たかったでしょうね。寒そうです~
天橋立は5年程前の秋に行った所で、またいきたくなりました。絶景ですよね。
舞鶴港の護衛艦のお写真だけ拝見するとかっこいいですが、ミサイルなどを見てしまうと やっぱり違和感があります。
舞鶴港では、フーも合掌しましたよ~
端野いせさんをはじめ何百万人の家族が どんな思い出息子や家族を待っていたかが、今ならよ~く理解する事ができます。
それを思うと心が痛みます。
素晴らしい同級会になりましたね!
天橋立は見学しました
雪は無かったと記憶しています
何処へ泊まったかも記憶がありません
舞鶴港・・・・歌に話しに 聞いていますが・・・
訪れた事は有りません
本当ですね 厳かな気持ちで訪れたいですね
きれいなとこですね゜゜゜いまから先どうなるかわかりませんが゜゜
機械があれば観光旅行にいきたいですね゜゜゜
ケーブルカーからの景色が、最高です・・・・。
天橋立もいい眺めだな~。本当にいい景色です!
護衛艦“はまゆき”はでかい@@!
ミサイル装備なんてすごすぎますよー。
あー、でもそんな悲しい思い出のある港なんですね・・・・。
岸壁の母。。。。
どんな気持ちでずっと待っていたでしょう。
悲しくなります。
遊び半分で見学してはいけませんね。
私は戦後生まれ 話には聞いていましたが 引き上げ時の苦労や困難を“引き上げ記念館”で資料を見て涙を流さずにはおれませんでした・・・
今の平和 有難いですね・・・
雪まつりの夜景 楽しみにしております
私は初めてのこの地の見学 やはり素晴らしいところでした・・・天橋立
護衛艦 ミサイルを実装していると表示していました なにか緊張感を感じますね・・・
今までは話の上でしか知らなかった引き上げ時の苦労 記念館をみて実感がわきましたよ
本当に胸が痛みました・・・
引き上げ船の舞鶴港 ゆっくり訪れてもう少し話を聞きたいと思いましたよ
今でもゆかりのある方が岸壁を見下ろす公園で当時の話をしてくれていました・・・
天橋立 舞鶴港 どちらも記念に残るいいところでした・・・