傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

渡辺乾介氏:「強制起訴は、小沢氏の最大・最高の真剣勝負だ」、「自己改革の発信力が問われる」と

2010-10-13 11:25:56 | 生活の党・小沢一郎

「週刊朝日」(10.22号)に、政治記者の渡辺乾介氏が「強制起訴は、小沢一郎氏にとっては、政治家としても人間としても、最大にして最高の真剣勝負で、再び自己改革と発信力が問われる」と語っています。
当方は、小沢一郎氏の人間像なり、政治家像を知るには、本ブログで、「平野貞夫氏と渡辺乾介氏以外は、時間の浪費」と書きましたが、渡辺乾介氏の意見には同感ですね。

渡辺乾介氏は、小沢一郎氏が代表選での敗北、検察審査会の起訴相当の議決は、想定外で正念場に直面したとし、西松献金事案から「自分にはなんらやましいところはない」と、ないものはなく、虚構の事実は証明できないと言い続けてきたが、政治の土俵における潔白論と法律の土俵における潔白論は違い、政治的な情念とは別に、法律的の枠組みのなかで、自分らの潔白をどう証明しきるかの努力が十分だったかといえば、手抜かりがあったと言わざると得ないと辛口の論評しています。

渡辺乾介氏のいう「法律の土俵における潔白を証明への努力不足」は、「小沢を政治的に抹殺したい、あるいはその存在を否定し、影響力を排除したい勢力は、永田町にも霞ヶ関にもたくさんおります。そういう見えざる敵、小沢を否定する社会の動きに小沢はやられたと言える」という見解は、当方も同感の思いです。

本ブログで、

”「小沢一郎氏の(民主党代表選の)最大の敗因には、世間のいう「政治とカネ」問題を世間のいうやり方で世間を納得させなかったことでしょうね。
当方は、世の中、理不尽と不条理で動いており、長い物には巻かれろという適当な人間と広言してきましたが、正論はどうであれ、長い物に巻かれ直面した問題をクリアする事も処世術であるが、小沢一郎氏の一徹な不器用さが世間のいう俗論を甘受できなかったのでしょうね。
」”

と書きましたが、小沢一郎氏を否定したい社会は、守旧派の検察であり、それに協働する大手メディアであり、大手メディアの報道に感化される世間・世論であり、小沢一郎氏の「一徹な不器用さ」が、『世間のいう「政治とカネ」問題を世間のいうやり方で世間を納得させなかった』ことです。

渡辺乾介氏は、”「小沢周辺が「仙谷由人官房長官の差し金だ」などと幾ら騒いだとことでも、無意味な八つ当たりでしない。こうなった責めは、小沢自身が負うべきです」”と検察審査会の起訴議決も小沢一郎氏自身の結果責任と論評しています。
そして、慎重な政治家の小沢一郎氏が代表選にあえて出馬したのは、”『「脱小沢」の名のもと、政治主導という政権交代の理念をくつかえす、官僚主導への逆戻りが急ピッチで進んだことに対する危機感から』”であり、どの事件とどう捜査するかという裁量権は、すべて検察が握っており、検察審査会も純然な客観的な存在でもなく、小沢一郎氏は、長い間、官僚主導が続いてきた国や社会の仕組みを、政治主導で壊そうという思いがあったが、本来、こうした問題点をメディアがきちんと指摘すべきであるが、メディアは「小沢は辞めろ、辞めろ」の大合唱で、「推定無罪の原則」など、なきに等しいと論じています。

渡辺乾介氏は、強制起訴は、小沢一郎氏の正念場であるが、自己変革の好機でもあると。
公判の場で、”『「社会の透明性、法の公平性、言論のあり方」を、現在の日本社会が抱えるこうした根本的な問題を、小沢自身が1政治家として、1個人として世に問うことができる』とし、従来の「寡黙な潔白論」は通用せず、今後は被告人・小沢一郎氏の発信力が問われると。
「再度、変わらなければいけない」ことの必要性は小沢一郎氏も認識しており、これからどんどん「能弁な小沢」になるのでないか期待しています。

そして、小沢一郎氏は、政治倫理審査会でも、証人喚問でも拒む理由はなく、より、積極的に考えるだろうとし、その際、小沢一郎氏は、報道を引用した質問を簡単に許すかどうかわからないとし、その質問の根拠を厳密に質すと推測しています。
法廷は、政治家である自らは何であるか、厳しく問い直す舞台になり、日本が健全な法治国家の基づく国であると世界に示すためにも、この戦いから逃げることはできないとし、政治家としても人間としても、小沢一郎氏にとって最大にして最高の真剣勝負ですと結んでいます。

渡辺乾介氏は、、法の下では、小沢とて目こぼしは許されないとし、従来の「寡黙な潔癖論」は通用しなく、再び自己革命での発信力が問われるとし、これからは「能弁な小沢」を期待し、正攻法で戦うとだろうと考察しています。
当方も、渡辺乾介氏の小沢一郎論には同感する思いであり、理不尽であろうが、自己変身し、世間のいう「政治とカネ」問題を世間のいうやり方で世間を納得させる「能弁の小沢一郎」を期待しますね。
逆に、従来の小沢スタイルから変身できなければ、小沢一郎氏の神話は時間とともに減退する事は明白でしょうね。





1 コメント

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Unknown (横浜 hanako)
2010-10-16 02:52:50
同感です。
先の民主党の代表選では、投票権を持たない1人でしたが、日本の総理大臣を決める選挙でしたから、関心がありました。演説会での小沢氏の演説は非常にすばらしく、これまで口べた、アピール下手というレッテルや、もしかして本人の思い込みも嘘とわかりました。察するに、小沢氏は完璧主義者かもしれません。肩の力を抜いて軽く国民に訴えるだけでも、そんじょそこらの政治家と比較して、遥かに感動する演説や、東北人らしいまじめで、やさしい人柄を知らせることができるとおもいます。

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