傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

日経ビジネスの記事”「徴介護制」が問いかけるもの”について(雑感)

2014-02-06 09:55:01 | 社会

5日の「日経ビジネス」サイトのコラム『「徴介護制」が問いかけるもの』(カネを使わない福祉の可能性)で、一定期間の介護ボランティアを課す古閑比佐志氏の著書「徴介護制度」を取り上げております。

「日経ビジネス」サイトの「記者の眼」は、日経ビジネスの現役記者による日替わりコラムで、5日は中川 雅之・記者によるコラム『「徴介護制」が問いかけるもの』(カネを使わない福祉の可能性)で、国民の多くに一定期間、介護事業に従事を課す「徴介護制度」の著者古閑比佐志氏とインタビューし問題提起の内容です。
コラムには賛成する多数のコメントがあり、「介護」は庶民の関心事ですね。

古閑比佐志氏は、父親の介護体験で、「徴介護制度」を発想したそうです。
古閑比佐志氏の提案する「徴介護制度」の概要は、

1)例外を除くほぼすべての国民に、一定期間の介護ボランティアへの参加を課す。
(2)徴兵制とは関係ない(兵役の代替として課すものではない。蛇足ながら、古閑氏は徴兵制に反対する立場)。
(3)専門技能がない制度参加者は、簡単な家事代行や専門職の人材の補助を中心業務とする。豊富な労働力を現場に投入して専門職の人材にかかる雑務の負担を減らし、彼らが高度な介護サービスに専念できるようにする。
(4)年金などに関連付けて、参加者の利益を担保する。

 
そしてこの制度をより有効に運用するために、介護を高校のカリキュラムで必修化し、大学入学の要件にすることなども同時に提案。コストを抑えながら労働力を確保し、福祉や公共に対する生徒らの理解も深める。彼らがその後の人生において、主体的に関わっていけるような契機にするのだという

中川 雅之記者は、「徴介護制度」の問題点を提起した上で、

”「核家族化が進み、都市部などでは近所づきあいなども疎遠になっている。血縁関係、地縁関係で結ばれた人間同士が果たしてきた役割は、急速にその担い手を失おうとしている。だが、役割そのものが不要になったわけでは決してない。不利益を被ろうとしているのは、共同体に属するすべての人だ。
・・・・・・・・・・
税金なのか保険料なのかはともかく、介護事業に関わっていない人について言えば、実質的に富の再分配という国家の役割を通じて、金銭を払って介護労働を「購入」し続けてきたとも言える。
だが、国民の多くが金銭的負担の増大さえ許容し続ければ、介護制度は今後も成り立つのだろうか。
人手不足が今後さらに深刻化するとすれば、金銭的負担だけではどうしようもない環境が生まれているようにも思える。
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だがもし、金銭よりも労働での負担の方が介護に関する問題解決につながる可能性が高いとするならば、やはり検討はしなければならないことのようにも思える
。」”

と、介護問題の解法に労働力を社会に提供することも検討に値するのでないかと結んでいます。

当方は、労働奉仕、勤労奉仕(ボランティア)は介護に関わらず今後の社会に重要性を増すと考えています。
本ブログ『養老孟司氏の「参勤交代」「勤労奉仕」による地域再生論と小沢一郎氏の国家像』(2012-02-05)で、養老孟司氏の「参勤交代」「勤労奉仕」による地域再生論は、都会と地方の再生の一つの解法とし、小沢一郎氏の国家観とも共通性があると共感できるとし、当方は、労働奉仕について、

”「日本社会は、大家族から核家族になり、高齢者の介護が家族から施設介護になり、子供の育児も家族から施設あずかりになり、社会の仕組みが変容してき、地域であろうが都会であろうが現金収入が必要になってき、社会保障に費用がかかる時代になってきたのです。」”

と書き、

”「10年前に、都会の定年退職者を労働奉仕させる社会システムの私的研究会(勉強会)で、安価な労働力として、都会の定年退職者の労働奉仕による事業性を検討したが、養老孟司氏の参勤交代(二地域住居) ・勤労奉仕は強制的で、事業と強制の差はあるが類似性があり、都会の人間を田舎暮らしの体験させる副次的な効果は大きいと思っています。」”

と、地方再生に都会の定年退職者の労働奉仕を考えた事があり、養老孟司氏の「参勤交代」「勤労奉仕」による地域再生論は共感と書きました。

また、本ブログ『日本最後の焼き畑農法・・・理想形の一つ』(2011-10-01)で、

”「9月25日のNHKスペシャルの『クニ子おばばと不思議の森』で、日本で最後の「焼き畑農法」を取り上げていたが、自然と順応した農法というより、人生の理想像の一つではないかと思いましたね。」”

と、焼き畑農法を取り上げたが、高齢者には、自然相手の「社会参加」が望ましいのではないかとし、

”「当方の老母(要介護3)は、ディサービスを利用していますが、本人には「時間つぶし」程度で、施設内のサービスメニューには嫌がっています。
本人が望んでいるのは、他人との会話であり、自然相手の単純な作業ですね。
認知症でも、毎日毎日、自然相手に何らかの単純作業なり、自然変化を眺めているのが効果的ではないかと思っております
。」”

と、高齢者にとっては、田舎で自然相手の過ごす事が向いていると思っています。

高齢少子・核家族社会の現下で、待機児童、特養入所待ちで女性の力が制限され、介護離職も余儀なくされ、他方では、地域の過疎化で、御用聞きサービスが不可欠になり、自然の保全の問題もあり、介護の労働力不足は問題の一つであり、「徴介護制」は一理はあるが、労働力を効果的に活用には、多次元で将来指向で検討すべきと思いますね。



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