傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

被曝の風評被害は深刻・・・風化には次世代まで要する

2012-02-16 11:20:10 | 社会

内部低線量被曝を、自然界の放射線量と比較し内部被曝は安全で無視できるとか、内部被曝で騒いでいるのは過剰心配で、新たな風評被害を醸成しているとの論調があるが、内部被曝の副作用・後遺症は生体の健康問題だけでなく、次世代に精神的に影響する問題であり、短絡的な論評には疑問ですね。
内部被曝の危険性を住民に問い、個々の住民の希望を叶うことに最善の努力をすることが政治の責任と思いますね。

福島の被曝者が将来不安を抱え、時間経過とともに避難生活を受容せざるを得なくなる脱力感と将来への無気力感の辛い立場で過ごしている情報に接すると心が痛みます。
朝日新聞の記事『「震災前の家に戻りたい」が減少 原発事故避難者調査』で、原発事故による避難住民への聞き取りの3回目の調査では、震災前に住んでいた地域に「戻りたい」「できれば戻りたい」と答えた人が合わせて58%。第2回調査の65%より減り、 「5年後の生活はどうなっているか」という質問には、「これまでと違った新しい生活」との回答が5割、「いまと同じような避難生活」が3割。安心した帰還が見通せず、別の場所での生活を視野に入れる人が増えている。
と報道。
この減少傾向は、避難者の脱力感・無気力感が醸成したのであり、政府・東電の原発事故からの復興の努力不足の証でもあります。

最近、当方が印象に残ったブログは、
【1】 前屋 毅氏の『こんな「絆」はいらない福島に漂う「逃げる」ことを許されない空気
【2】 烏賀陽 弘道氏の『「放射能いじめ」に傷つく親子福島に帰れない生活で高まる孤立感と無力感
【3】 中島聡氏の『福島で作られつつある異様な「空気」』ですね。

【1】の『こんな「絆」はいらない福島に漂う「逃げる」ことを許されない空気』は、避難地域には、
”「皆が避難できない中で、自分だけ避難することは仲間に背を向けることになる。裏切りであり、それを許さない雰囲気があるという。許されない立場に身を置きたくないがために、「避難したい」と思っていても避難できなかったのだ。」”

の雰囲気があると。

”「そうした雰囲気は福島県全体にあるような気がする。福島で取材していると、「逃げる」という表現をよく耳にする。「うちの近所にも逃げた人はいたよ」とか「逃げたいけど先立つもの(カネ)がないからね」といった具合だ。

 「逃げる」が「避難する」という意味に使われているのだ。それは「放射能から逃げる」という意味でもあるのだろうが、多分に「仲間をおいて逃げる」というニュアンスを含んで使われているように感じた。

 大人だけではない。子どもの社会でも「逃げる」という表現が使われている。小学生の子どもを持つ父親が語った。

 「一時避難していて学校に戻ってきた子どもが、まず友だちに言うのが『ごめん』なんだそうです。避難していた子を『あいつは逃げた』と、うちの子も普通に言います」

 露骨なイジメがあるわけではない。「逃げた」と言う方も、あからさまな敵意があって言うわけでもない
。」”

と、住民には避難する自由を抑制する雰囲気があるということです。
そして、前屋 毅氏は、

”「それには、「逃げた」という言葉が使われるような空気をなくす努力こそが先決だろうと思われる。安心というイメージだけを強調し、それに反することは「風評」として批判する姿勢は改められなければならない。

 原発事故以来、「絆」が最重要視されるようになった。言うまでもなく、絆は重要なポイントである。しかし一方で、絆の強調は「逃げる」ことを許さない空気をつくり出してしまっているのではないか
。」”

と問題提起しています。

【2】の『「放射能いじめ」に傷つく親子福島に帰れない生活で高まる孤立感と無力感』は、避難者の家庭の主婦への取材であり、冒頭に、子どもへのいじめがあり、住宅ローン返済の為に別居生活があり、慣れない場所を神経が使い、避難先での無神経な発言、例えば、

”「『おカネをもらえていいねえ』と言われます。そう言われた方の気持ちになってほしい。そういうのが子供に向かった時が怖いんです」

 生活が苦しいので行ったハローワークにすら『東電におカネもらってますよね』と言われました。東電のおカネなんかいりません。3月11日の前の生活に戻してくれればそれでいいんです
。」”

の場面もあり、烏賀陽 弘道氏は、孤立感と無力感を漂わせる避難した主婦の取材の結びに、
”「私はしばらくテーブルに座ったまま呆けていた。あまりの問題の多さに、頭が混乱した。なぜこの人がこんなにつらい目に遭わなくてはいけないのか、どうしても理解を超えていた。」”
と書いております。

【3】の『福島で作られつつある異様な「空気」』は、短文なので、全文を転載すると、

”「知人にすすめられて「子供たちを放射能から守る福島ネットワーク」というボランティア団体のメーリングリストに流れるメッセージを読んでいる。これを読んでいると「放射能による被害をできるだけ小さく見せよう」としている政府と、「子供たちだけは放射能から守りたい」と感じている親たちとの間に大きなギャップがあることが伝わって来て、心が痛む。

たとえば、こんな感じだ。

現在福島市から山形に夏から避難し、現在福島をたびたび往復している者です。最近福島に流れる異様な雰囲気に恐怖を感じます。これは最近益々強くなったと感じています。医者や病院、役所や学校あらゆるところで福島は安全だとのメッセージが流れ、同じ方向に進まないと生きていけない空気を感じます。

放射能を気にする発言をすると、放射能を気にし過ぎることで子供の健全な成長が阻害される、母子避難することで家族崩壊が招かれる、との情報で「もう子供の心の健康と家族を思い、放射能の事はもう考えません」と言い出す方達があちこちででてくるようになりました。

国や自治体からの発表に疑問を持つと過激な反体制と疑われ、避難を口にしようものなら、地元を見捨てるエゴの塊と見なされる。狭い狭い偏狭な方向へと導かれているように感じるのです。今この場がどんな状況で、何が起こっているかを何の偏りもなく、ただ冷静に知りたい、過去の事実から学んで活かしたいとの思いは、危険と見なされる不思議さ。肌で感じ取り、目で見て、情報を分析して考えること、異なった考えを議論することその全てを一切禁止されているような感覚があります。


自分の子供がいつ癌や白血病になるか心配しながら生きて行くような生活を地元の人に押し付け、かつ、その心配を口に出す事すらはばかれるような「空気」を作る政府。まるで戦時中の日本だ。

政府としては、年間1〜20ミリシーベルトぐらいのところからまで人を避難させていては膨大なコストがかかって仕方がないから、住民には戻って欲しいのだろうが、だからと言って事故前には立ち入り禁止になっていたような放射線量を持つ地域にまで「ただちに健康に影響はない」から戻れと言っても、まったく安心はできないのが親の心情である。

もう事故は起こってしまったのだから、ここは素直に「年間5ミリシーベルト以上の所は強制避難、年間1ミリシーベルト以上の所は自主避難」として土地を買い上げるなり、新しい土地での仕事を探してあげるなどの責任を国(=東電)が果たすべきだ。そんな「ごく当たり前のこと」も出来ない国に、原発の再稼働をする資格はない
。」”

と、中島聡氏は、内部被曝の心配を口にすることを抑制させる雰囲気が増長しているという避難者の声を紹介しています。

当方は、内部被爆について、本ブログ「朝日新聞の『プロメテウスの罠』:小佐古敏荘教授の名前が登場」でも、原爆の後遺症の風評について、

”「被爆で苦い体験がありますから。

当方が高校1年の夏、運動クラブの仲間の同級生が自殺したことがあります。
クラブ仲間とお悔やみに訪問した際、自殺の起因について、両親から「被爆が起因ではないか?」と言われ、戦後生まれの団塊世代の当方は、「被爆?」が不可解でした。
両親の話では、両親とも広島で被爆され、”「同級生は、親の被爆が今後に何らかの後遺症がでるのではないかと悩んでいたのはないか?」”と語ったことです。
原爆が一過性の悲劇でないと思った記憶があります。」”
と書き、5回目の記事にある”「当時、被爆者は就職、結婚で差別を受け、家族にさえ明かさなかった一人だった。」”には、実感しました。
当方は、その後、原爆について話題にすることは、被爆者を傷つけるという思いになり、他人事、傍観者でした
。」”

と書きましたが、原爆の被爆、原発の被曝も同質であり、、福島原発事故による内部被曝により生体への直接的な危険性もあるが、むしろ問題なのは、放射線が生殖機能に影響するということは通説になっており、科学的には確証されていなければ、この風評は次世代まで引き継がれ、自然消滅するには次世代まで時間を要するでしょうね。

当方は、何か、内部被曝を心配無用という雰囲気に違和感を感じており、本ブログ「原発事故:池田信夫氏のブログ「酒やタバコは放射線より恐い」・・・雑音・騒音」でも書きましたが、酒とタバコが放射線より怖いという別次元の話で内部被曝を軽視する雰囲気に抵抗感を覚えると同時に、判らないことはわからないとし、唯一の対応策は、住居環境の良化と生体のもつ自然治癒力の保持とすることしかないのでないかと思いますね。

『「放射能いじめ」に傷つく親子福島に帰れない生活で高まる孤立感と無力感』で、取材に応じた主婦の

”「どうしてテレビは『福島』第一原発事故って言うんでしょうね。福島は何も悪いことをしてないのに。ちゃんと『東京』電力って言ってほしい」”

との発言は、原発事故で避難した人間の「悲痛な声」です。
メディアが「東京電力 福島原発事故」を「フクシマ」と報道したことが契機だと思うが、無神経な表現でした。
このような些細な事が風評被害を根付かせるのですね。

東日本大震災の被災の復旧・復興では、福島原発による避難者は、他県の地震・津波の被災者とは異なり、故郷を捨てさせ新たな生活環境を保障するか、環境汚染が終息するまで避難を耐え忍んでもらうかの決断をすべきでした。
原発事故の収束、除染も大事だが、原発事故の避難者には、地域の絆より、個人生活の将来不安を解消に全力で取り組むことが先決ですね。

原発事故で避難者が艱難辛苦の耐乏生活を強いられているのに、東電と経済産業省が利権争いの姿を見せられると政治不信になりますね。




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