観音寺城

2014年03月29日 | 滋賀百城


 

 観音寺城は近江国守護で近江源氏の嫡流である佐々木
六角氏の居城として築かれた山城である。日本五大山城
のひとつして数えられる。六角氏がいつ観音寺城を築い
たのかは明確ではないが、建武二年(1335)の太平
記には、佐々木氏頼が北畠顕家軍を阻止しようとし、観
仔寺城に立て龍もったという記録が認められる。その後
もここを拠点として江北の京極氏や浅井氏と境目の戦い
を繰り返してきたが、今のような山城としての形が整っ
たのは、大永の末年から享禄年間(1528~32)に
かけて行われた大改修の後と考えられている。

 六角氏はこの地で、守護として活躍し在地領主と被官
として南近江を治めていた,近江より東の者共は必ず観
音寺城の麓を通らねばならず、六角氏の権力は大きなも
のであった。しかし、室町文化の粋を誇った観音寺城も、
永禄十一年(1568)、将軍足利義昭を擁して京ヘ上
洛しようとした織田信長に対して反信長方についていた
ためそれを拒否。結果、観音寺城は信長方に包囲され攻
撃されて落城してしまった。



 城は繖山(きぬがさやま)と呼ばれる大きな独立丘陵
の南斜面に築かれている。中央の谷筋の大手道を中心に、
山頂間近の本丸跡を扇の要として、扇を開いたように鱗
状の無数の曲輪が配置されている。城へは山下町があっ
た石寺から車を止めて大手道の石段を登っていく方法と
車やタクシーで五個荘側から観音林道駐車場のある淡路
丸を目指す方法がある。いずれも、観音正寺に到達する。
城跡は、境内左手脇の一段下がった道から境内を通り越
すように尾根へと登っていく。
 しばらく登ると前方に開けた部分に出る。ここが、本
丸である。かなり広い空間が望める。足下には礎石らし
きもの、奥には低い石垣と虎口を認めることが出来る,
さらに、奥に進むと伝平井丸に降りることが出来る。こ
こもかなり広い空間が望める。人目にはやや大きな石垣
で造られた虎口を認めることが出来る。さらに一段下の
曲輪として、池田丸の曲輪を見ることが出来る。これら
の西側の尾根ヒが観音寺城の中心部だ,そこからさらに
山頂部、観音寺城周辺の山腹、東側尾根と大小の曲輪が
石垣を持ちながら連なる。いずれの曲輪にも石組みの枡
や石塁、階段などを見ることができ、安土城に先行する
近江の技術力の高い山城の築城の様fを目心ることが出
きる。

   

 

 【エピソード】   

 

長浜から近江八幡周辺の城跡はバックヤード。散策や
花見、スケッチ旅行には最適な空間です。

【脚注及びリンク】 
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1. 観音寺城コース、近江を歩く
2. 観音寺城、Wikipedia 
3. 滋賀県近江八幡市 観音寺城
4. 安土町: 観音寺城
5. 観音寺城跡 -江南の雄 六角氏

6. 観音寺城と観音正寺、安土町 
7. 戦国期近江における城下町の展開, 2013.03.18
8. 観音正寺 Wikipedia
9. 観音寺騒動 Wikipedia
 
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