宮崎県児湯郡川南町西ノ別府の小丸川左岸、標高60mの丘陵上にあります。
持田古墳群の北西方向(小丸川の上流方向)、約3キロの地点です。
約0.5平方キロメートルの狭い範囲の中に、前方後円墳24基(うち柄鏡形古墳が3基)・円墳23基(1基は方形墳か?)があります。
かなりの数の古墳が周堀を伴っています。
未盗掘状態の良好な古墳群です。
具体的な発掘調査は行われていません。
わずかに、昭和57年、昭和60年、平成元年、平成3年に鶏舎建設などに伴う確認調査や一部発掘調査が行われただけです。
4世紀から6世紀末頃の古墳群です。
4世紀頃が一番勢力が強く、強大な権力を持っていた時期で、以後は西都原に巨大な古墳を造った勢力に取って代わられますが、その後も5世紀を中心に小さな古墳が造られ続けます。
前方後円墳の多さでは、西都原古墳群に次ぐ数です。
昭和36年2月25日、国の史跡に指定されました。
今までは、ほぼ何所からでも観察できましたが、一部の古墳では、今年1月宮崎県内で相次いで発生した鳥インフルエンザの影響を受けています。
鶏舎の周りが立ち入り禁止になっているため、鶏舎の傍のいくつかの古墳は良く観察できません。
「柄鏡形古墳」
前方部の幅が後円部に比べ極端に狭く、かつ低平なのが特徴です。
日向地方に最も多く存在(特に西都原古墳群に多い。)し、古式古墳との位置づけがなされています。
畿内では唯一、奈良県桜井市の茶臼山古墳がこの墳形をしています。