群馬県高崎市上小塙町稲荷前、稲荷神社の境内内です。
「烏子稲荷山古墳」とか「六郷村12号墳」とも呼ばれています。
全長90m、 後円部径60m・高さ8m、 前方部先端幅42m・高さ?m 二段構築の帆立貝形前方後円墳です。
後円部墳丘上には烏子(スナイゴ)稲荷神社の社殿が建っています。
墳丘の周りには盾形をした周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されていたとみられています。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
1984年には発掘調査が、1991年には調査が行われています。
後円部北側にある埋葬施設は、自然石で造られた無袖型横穴式石室です。
北西方向に開口しています。
(石棺?)
石室の全長10.1m、玄室の長さ5.5m・幅2.1mあります。
須恵器器台1、須恵器壺2、須恵器はそう1、須恵器堤瓶1 などが出土しています。
古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。
平成3年3月1日、高崎市の史跡に指定されています。
「烏子稲荷山古墳」とか「六郷村12号墳」とも呼ばれています。
全長90m、 後円部径60m・高さ8m、 前方部先端幅42m・高さ?m 二段構築の帆立貝形前方後円墳です。
後円部墳丘上には烏子(スナイゴ)稲荷神社の社殿が建っています。
墳丘の周りには盾形をした周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されていたとみられています。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
1984年には発掘調査が、1991年には調査が行われています。
後円部北側にある埋葬施設は、自然石で造られた無袖型横穴式石室です。
北西方向に開口しています。
(石棺?)
石室の全長10.1m、玄室の長さ5.5m・幅2.1mあります。
須恵器器台1、須恵器壺2、須恵器はそう1、須恵器堤瓶1 などが出土しています。
古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。
平成3年3月1日、高崎市の史跡に指定されています。
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