愛知県安城市桜井町二タ子印内の洪積台地縁辺にあります。
墳丘東側を東海道新幹線が、西側を県道44号線が通っています。
塚越古墳の南約750mのところです。
全長74m、 後方部36.2×36.4m・高さ7m、 前方部先端幅29.6m・高さ4.3m の前方後方墳です。
前方部が後方部に比べかなり低くなっています。
東側くびれ部に造り出しがあります。
墳丘の周りには幅9.5mの周濠があります。
墳丘に葺石は施されていません。
埴輪の出土もありません。
発掘調査が行われていないため、埋葬施設や副葬品は不明です。
古墳時代前期・3世紀後半から4世紀前半頃の築造と推定されています。
当初は前方後円墳とされていましたが、昭和31年(1956年)現地を調査した「大塚初重」氏によって前方後方墳と確認されました。
昭和2年10月26日、国の史跡に指定されています。
桜井古墳群を構成していて、古墳群中最古の古墳です。
墳丘東側を東海道新幹線が、西側を県道44号線が通っています。
塚越古墳の南約750mのところです。
全長74m、 後方部36.2×36.4m・高さ7m、 前方部先端幅29.6m・高さ4.3m の前方後方墳です。
前方部が後方部に比べかなり低くなっています。
東側くびれ部に造り出しがあります。
墳丘の周りには幅9.5mの周濠があります。
墳丘に葺石は施されていません。
埴輪の出土もありません。
発掘調査が行われていないため、埋葬施設や副葬品は不明です。
古墳時代前期・3世紀後半から4世紀前半頃の築造と推定されています。
当初は前方後円墳とされていましたが、昭和31年(1956年)現地を調査した「大塚初重」氏によって前方後方墳と確認されました。
昭和2年10月26日、国の史跡に指定されています。
桜井古墳群を構成していて、古墳群中最古の古墳です。
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