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街道歩き  美濃路を歩く。④  清洲宿~熱田宿

2013-05-18 20:04:13 | 街道歩き

美濃路は江戸時代に東海道と中山道を結ぶ街道として発達したものです。
その経路は熱田宿で東海道と別れ名古屋・清洲・稲葉・萩原・起の宿を経て美濃に入り
墨俣・大垣を経由して垂井で中山道に合流しました。その延長は57キロと言われています。

これまでに3回、回を重ね今回は最終回で清洲宿から熱田宿までの13.8キロを歩きました。
公式的には13.8キロとなっていますが、若宮八幡や熱田神宮に寄りまして7時間程掛かりました。お昼の昼食時間を差し引いても6時間はあり、20キロ程は歩いたと思います。 

JR清洲駅(8:04) - 五条橋(8:38) - 石丸(8:41)~(8:59) - 清洲川護陣屋(9:41)
 - 問屋記念館(10:01)~(10:10) - 琵琶島橋 - 巾下公園(11:23) - 四間道
 - 伝馬橋(11:56) - 白川公園(12:27)~(13:00) - 若宮八幡(13:05)~(13:16)
- 熱田神宮(14:18)~(14:.35) - 熱田宿道標(14:46) - 七里の渡し公園(15:03)




今回、歩いていて、街道沿いに何枚も美濃路の垂井と熱田を指すプレートを見かけました。
このようなプレートをこれまでは目にしませんでした。
特に、旧新川町で多く見かけました。
このようなプレートを街道の自治体が共通して設置して貰えればと思います。
それに街道は歩いていれば判ることですので、曲がり角に設置を望みたいです。



朝、8時に清洲駅に着きました。
ここから歩き始めます。


五条橋。
今はコンクリートの橋となっていますが、かつては木の橋でした。
むかしを想うように擬宝珠が付いています。



甘味処の喫茶店に寄りました。
店の名は石丸です。
表の看板に色々のモーニングが乗っていました。
ピザトーストを注文しましたが、看板のピザトースト程は具が乗っていませんでした。


モーニングでプリンや餡子が付いていました。


旧新川町の丸の内。
電柱が有りますが、旧街道の雰囲気が残っています。


旧新川町の川護陣屋。
ポケットパークとして整備され、石柱にはここから津島へと書かれているものが有りました。
このようにポケットパークを整備するのなら、街道を歩く人のために、併せてトイレも整備すればと思いました。


この辺りは五条川や庄内川が流れて水の押し寄せる場所となっています。
古く江戸時代から「水」に悩まされて来た土地です。
窮状を訴え出ただけで蟄居を命ぜられる。
そんな封建の時代です。


問屋記念館に寄りました。


青果問屋を再現しています。



どっしりとした建物。
往時、多くの人で賑わったことでしょう。



琵琶島橋を渡ります。
ここを渡ると名古屋市に入ります。


堤防下に旧琵琶島橋のモニュメントがありました。
かつてはここから舟で渡っていて、後には橋が架かり、人々が行き交っていたのでしょう。


尾州殿茶屋跡。
今は民家の玄関脇に説明の札が建っています。


国道22号線の上の渡道橋を歩きます。


同士とすれ違いました。
言葉を交わしましたが、彼は今日から美濃路を歩き始め、第1回だと話していました。
美濃路を歩く人。
同士に会えたという気がしました。


四間道。
幅が広い道で、名古屋市の街並み保存地区に指定されています。


桜通りまで着ました。
名古屋駅近辺の高層ビルが見えます。


伝馬橋。
今は鉄筋の橋となっていますが、かつては清洲から持ってきて架橋されました。


ビジネス街の昼食。
ここで300円の弁当を買いました。


お昼の弁当の店をウオッチングしました。
丸の内のビジネス街のあちこちに弁当を売る店がありました。
300円から500円の値です。

そけぞれの店にテリトリーが有り、客の取り合いなのでしょう。
今日は財布にゆとりが有るから500円の店。
今日は、財布が困窮しているから300円の店となるのでしょうか。
昨日の弁当が美味しかったから、また、行くということも有るのでしょう。
お昼は弁当屋戦争が繰り広げられ短時間の勝負です。
客が並ぶ店。
並んでいない店と色々でした。




白川公園で弁当を食べました。


弁当で、揚げ物が多くこれらは冷凍食品です。
300円ですが、値段からいったらこんな物かも知れません。
ご飯はしっかり入っていました。
ビールは水分補給用です。


若宮八幡社でお祭りが行われていました。


15日は試楽でした。


屋台蔵から福禄寿車が引き出されていました。



奉納のお囃子です。
山車には鼓や大鼓、笛の音色が聞こえました。


熱田神宮に寄りました。


境内では店が並び、金魚を売る店も出ていました。


東海道と美濃路の分岐点です。


標柱の説明です。



七里の渡しまで着ました。


ここから船に乗り、桑名へ向かいました。
今は、埋め立てが進み近くまで土地が来ていますが、かつては海岸線はもっと遠かったことでしょう。


4回に分けて美濃路を歩きました。
街道を歩く面白さの1つに往時を想像してみる事が有ります。
侍も歩いたでしょう。坊主も歩いたでしょう。
駆け落ちがあったかも知れません。
象がこの街道を通りました。
朝鮮通信使も歩きました。

この美濃路には揖斐川。長良川。木曽川が流れています。
川が穏やかなときなら、支障なく渡れたのですが河川が氾濫し舟が出ないときは宿で待たされたことと思います。
非常の時は難儀したことと想像します。
今は家々が多く立って居ますが、家がまばらな昔を思って歩く事が面白かったです。

 

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8 コメント

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Unknown (風花老師)
2013-05-19 15:48:04
頑張っておられますね。
見慣れた風景が続くと、うれしくなります。

> ビールは水分補給用です。

ハハハ、ま、そういうことで
返信する
Unknown (Kオジサン)
2013-05-19 20:40:44
風花老師。コメントありがとうございます。
街道を歩いて面白いのは、新しい発見です。
大須に家具屋は少し有りましたが、南の通りで、あんなに仏壇屋が多く並んでいるとは知りませんでした。
名古屋のビジネス街で沢山の弁当屋を見かけました。
新しく知る事が新鮮に感じます。
返信する
はじめまして (ニコ爺)
2013-05-25 11:47:46
街道歩きいいですね。投稿も面白いです。
最近愛知県が発行した愛知の街道膝栗毛みたいなタイトルの小冊子(もちろん無料)はお持ちですか?相当出来がいいです。
さて旧新川町のポケットパークは地域の町おこしグループが発案し、公衆便所を作る計画をしたのですが地域住民の反対で断念されたそうです。
長文失礼しました。
返信する
ニコ爺さん。コメント有難うございます。 (Kオジサン)
2013-05-25 16:17:33
街道を歩いて新しい発見があります。
新川町の名は知っていましたが新しく川を発削して出来た川が新川だと知りました。

新川町が洪水に浸かったと言うのは、まだ新しい記憶です。ポケットパークに案内看板が有り、昔から水との戦いだった。
そんな事も知りました。
美濃路を歩いてきて、ポケットパークで休憩できる場所に成っていたのにトイレが整備されていないことを残念に思いました。

今回、歩く参考にしたのは尾西民俗資料館発行の地図です。

街道膝栗毛みたいなタイトルの小冊子。

何処で手に入るか教えてください。
返信する
あいちの街道 膝栗毛 (ニコ爺)
2013-05-25 18:40:26
正式タイトルは上記のとおりです。
こちらで配布のようです。
http://www.pref.aichi.jp/0000060177.html

最近は常夜灯に心惹かれております。
こちら今日初めて拝見しました。
ゆっくりと読ませていただきます。
よき街道ライフを。
返信する
あいちの街道 膝栗毛 (Kオジサン)
2013-05-25 20:55:23
ご教示有難うございました。
街道を歩く面白さが有りますが、自治体によって、取組みに温度差が有ります。
早急に「膝栗毛」を手に入れたいと思いました。

岐阜と愛知につながる道。
両県が手に手を取ってPRすることを望みます。
返信する
Unknown (匿名)
2015-12-30 22:49:52
はじめまして、こちらのサイトで貴サイトの写真が無断転載されていると思われます。
https://retrip.jp/articles/3663/?page=5

対応としては以下のような手段がありますので、ご参考にしてください。
http://suzukidesu23.hateblo.jp/entry/zenbun-pakuri
返信する
Unknown (Kオジサン)
2015-12-30 23:53:03
匿名さん。
ご教示有難うございます。
自分の写真が断り無しに使われているのは気分の良いものではありませんね。


有難うございました。
返信する

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