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kオジサンの中山道旅日記 その13 JR上松駅からJR宮ノ越駅 まで

2018-08-22 23:11:35 | Kオジサンの中山道旅日記 

8月22日(水) 晴 JR上松駅からJR宮ノ越駅まで

暑い時期ですので街道歩きを控えていました。少し秋めいてきましたので、街道歩きを再開しました。第13回で、JR上松駅からJR宮ノ越駅までを歩きました。当初の計画ではJR薮原駅まで行こうと思っていましたが、暑すぎましたし、足が痛くなりましたので、JR宮ノ越駅までに留めました。
途中、中山道の中間点が有りました。2月から歩き始めて回を重ね、漸く半分まで歩きました。

JR上松駅 ― 十王橋  ― 笹沢  ― 中央線ガード下  ― 赤い橋「かけはし」 
― 明治天皇聖蹟碑― 木曽の桟跡 ― 沓掛一里塚 ― 沓掛馬頭観音堂 ― 板敷野
 ― 中央線ガード下 ― 御嶽山遥拝所 ― 元橋 ― 沼田野 ― 中平 ― 塩渕
 ― 塩渕一里塚 ― JR木曽福島駅 ― 八沢町 ― 上ノ段の家並 ― 
福島宿高札場 ― 福島関所  ― 関町 ― 木曽大橋 ― 出尻下 ― 出尻一里塚  
― 手習天神  ― 正沢川金網の橋  ― 中山道中間点石碑  ― 第5中仙道踏切 ― 
宮ノ越一里塚 ― 明治天皇御膳水 ― 宮ノ越宿脇本陣跡 ― 宮ノ越宿本陣 ― 
義仲館
 ― JR宮ノ越駅 

JR中津川駅

(07:36)
7時40分発のワンマン列車の松本行きです。
中津川駅に着くと反対側のホームで待っていました、
もう、高校が始まったのか高校生が多く乗っていました。





下に木曽川と国道19号線。
中山道が国道へ出てくる場所です。
あの止まれの処から国道に出ました。
横断歩道は無いですが、ガードレールは切れています。

アノ場所。
第11回で6月17日に歩いたところです。


JR上松駅

(08:51)
上松駅に着きました。
ここから前回の続きを再開します。



十王橋

(08:59)
上松駅で降りて旧19号線を歩き、上松宿を外してしまいました。
それで本陣や脇本陣のあるところには向かいませんでした。
この十王橋。
十王堂が有って十王橋と呼ばれるようになったようです。
ポケットパークの一角のようになっています。




秋の七草の桔梗。
珍しい白い桔梗も咲いていました。





(09:09)
国道19号線は、かつては、この手前を右に折れていましたが、新しくバイパスが出来、先に進むに連れて右にカーブして行く新しい道路に変わりました。桟バイパスです。
2012年8月に歩いた時は、まだ工事中でした。




(09:10)
外国人男性とすれ違いました。
「ウフェアー  ユー  フロム」と声を掛けたら、「アメリカ」と言う返事が返ってきました。
スマホを見ながら歩いています。
Googleを頼りに歩いているのでしょう。


この男性を8月26日16時頃。
私の自宅の近く。各務原市那加新加納町の手前で見かけました。
彼と会ったのが22日の朝です。
22日水曜日。23日木曜日。24日金曜日。25日土曜日。そして26日の日曜日です。
出会ってから5日間。凄いペースで歩いています。
テント泊なのだろうか。
この調子なら、今日は岐阜市までは行ったでしょう。
この先、恐らく4日ほどで京都へ到達するのでしょう。




旧国道19号線です。
コンクリートの塊とガードレールで歩道を確保しています。
タマタマ通った黄色い車。
この車以外。時どき走る程度でした。




赤い橋が見えてきました。
あの橋を渡ると桟温泉へ行けます。
それに、赤い橋を渡った所に明治天皇聖蹟と彫られた石碑や正岡子規の歌碑が有りました。
赤い橋には「かけはし」と書かれた銘板が着いていました。


木曽の桟

(09:51)
赤い「かけはし」から見える木曽の桟。
国道や国鉄の工事に寄って、残っているのが僅かな部分となっています。
あの石垣の箇所が桟です。
石の隙間に丸太を入れ板を渡した桟。
旅人の松明で燃えてしまった事もあるようです。
道幅が狭く、通過するのに難儀したようです。
「木曽の桟、太田の渡し、碓氷峠が無くば良い」と言われた中山道の三大難所でした。



旧国道19号線から離れて坂を登ります。
この場所の右側。
沓掛の一里塚が有ります。


沓掛 一里塚

(09:42)
坂の下に沓掛の一里塚が有ります。
元々の中山道が沓掛観音の前を通っており、一里塚もそちらに有ったようです。




細い草道の坂を登りました。
中央線に沿ったう中山道。
先の方に保線区員のような姿の人が居ます。
通過する時に声を掛けましたが、列車が正確に走行しているか、見張り番みたいなものだとと言っていました。




草道から一旦、国道19号に出て、国道から中央線の下を通過して、御嶽遥拝所に向う道をたどります。


道の駅 木曽福島

(09:58)
道は中央線の上となっています。
高い場所ですので、下の道の駅が良く見えます。
道の駅 木曽福島の全景が見下ろせます。
観光バスや大型トラックが停車しています。
それに左上には御嶽山が顔を見せています。




歩いていて、アルペンホルンの音色が聞こえました。
そして、しばらくして演奏が終わりました。
ステージのような場所から現れた人たち。
アルペンホルンを分解して持って来ています。
この時は、どんな人たちだろうと思いました。
それが・・・・・・。
後で判りました。



(10:34)
木曽川を堰き止めるダム。
地図には寝覚発電所木曽川取水ダム管理所が載っていますので、その発電所の取水ダムなのでしょう。
右側は旧国道19号線です。
新しい国道19号線が出来、こちらは旧国道となっています。




一旦旧国道に出て、住宅地の中を通ります。




住宅地の中を通過中、こんな案内説明板を目にしました。
この地図では木曽福島町となっていますが、ネットで検索したら、日義村や開田村と合併して新しく木曽町となったのを知りました。


JR福島駅

(10:55)
歩く道を間違え、下の方を通過しました。
木曽福島駅に出ようと思いましたが、この駅は高い場所に有ります。
それで、何段も有るコンクリートの階段を登りました。



木曽福島の八沢町の一角。
民家の表をガラス張りにして、福島宿や福島関所を解説した場所がありました。
ここは元々は商家だったのかも知れない。
この場所の前にLPガスのトラックが停まっていて邪魔していました。




木曽路を通った参勤交代の大名・著名人。




木曽福島の町並み。




(11:18)
福島宿の上の段。
下の方は大火にあいましたが、上の段は残りました。
ここの右側。
ビストロ松島亭とか肥田亭と言う店が並んでいます。





福島宿の高札場。





高札の中の1枚。
福島宿から上松宿、宮ノ越宿への荷駄の値が書かれています。
ここの高札も成瀬隼人正と竹腰山城守の名が併記して有ります。




この先に福島関所が有ります。


福島関所

福島関所の西の門です。




関所の隙間から関所を眺めました。
丸に一の家紋は関所を守る山村氏の家紋です。
ここは資料館になっていますが、先を急ぎますので、見学は後日にします。




(11:39)
19号線が旧19号線とバイパスとなった新国道19号。
新しい国道はトンネルから出てきて、新旧一緒になります。
左は木曽川。
細い川になってきました。





細い草道。
こんなのも中山道なのです。
右に登って行きます。



出尻 一里塚

(12:17)
登ってきて、あったのが出尻の一里塚です。




出尻の一里塚の説明板です。
中学生が書いています。
ユネスコ協会と有ります。
中学校の先生が指導して制作したものでしょう。




秋の七草。
女郎花です。




(12:37)
正沢川という川です。
網目の鉄板で出来た橋です。
この橋を渡り、右に向かいます。




細い草道となりました。
両側に雑草が繁り、マムシが出てこないかと、ヒヤヒヤでした。


中山道中間点

中山道の中間点まで来ました。
これまで歩いて来て、やっと半分かと言う感じです。





中間点を過ぎてから男性とすれ違いました。
男性と言葉を交わしました。
彼は名古屋から来ていると話し、今日は薮原駅から木曽福島駅まで歩くと言っていました。


帰路、この男性と一緒の列車となりました。
木曽福島駅から乗ったのでしょうが、私も木曽福島からの乗りましたのです。
でも、気が着きませんでした。
中津川駅が近付いてから、すれ違った男性だと気が着き、挨拶しました。



(13:11)
原野駅から発車して来る普通列車です。
踏切りは第5仲仙道踏切りと表示しています。
十幾つから始まった数字。
数が大分、減ってきました。
それだけ中央線と中山道が交差していると言えます。
それに踏切りでない箇所で、ガード下を抜けてきたところが何箇所も有りました。


宮ノ越 一里塚

宮ノ越 一里塚に来ました。




ここでも中学生が制作した説明板が設置して有ります。
こちらは日義中学校の生徒が書いています。
このように中学生が説明板に取り組むのは歴史に興味が沸き、好い事です。




一里塚の横に白花キツネノカミソリが咲いています。
沓掛観音でも白花キツネノカミソリを見かけました。
この辺りは白花が多いのかもしれない。



宮ノ越宿 本陣

(13:42)
宮ノ越宿の本陣に来ました。
明治天皇御小休之跡の石碑が有ります。





こちらが本陣跡です。




宮ノ越宿の本陣。
説明板です。



本陣の中へ入らせて貰いました。
殿様の居る場所で、一段高くなっています。





本陣の門へ出てくると男性が撮影していました。
男性は小田井宿に寄ってきたが、誰も居なかったと話していました。
青春18キップで京都から来たと言っていました。


義仲館

(14:03)
義仲が挙兵したのが、この地であります。
義仲館の前に木曽義仲と巴御前の像が有ります。


JR宮ノ越駅

(14:09)
薮原駅に向うのを断念し、宮ノ越駅に来ました。
中津川方面に向う列車は15時33分です。
その前に14時32分の列車が有りますが、木曽福島止まりです。
この宮ノ越駅の近くにはコンビ二は勿論、商店が全く有りませんでした。
ビールが呑みたいと思いましたし、ここで1時間半も待っていても仕方が無いと思い、木曽福島行きの列車に乗りました。




歩き出す前と歩いた後です。
20キロ近くを歩きました。



木曽福島行きの普通列車が入線してきます。
左の男性は、先ほど本陣で一緒になった男性です。



JR木曽福島駅

(14:47)
木曽福島駅に着きました。
次に中津川方面へ向う列車は15時48分で1時間程の時間が有ります。
それで、駅の近くをブラブラしてみました。




D51蒸気機関車が有りました。
福井機関区、糸魚川機関区を経て木曽福島機関区に来ました。
昭和17年に製造されて181万キロ余りを走りました。
静態保存で余生を過ごしています。




木曽福島駅の前で演奏されるアルペンホルンです。
「木曽音楽祭」のPRでした。
午前中、道の駅 木曽福島でやっていたコンサート。
あの時のグループだと判りました。




(15:44)
15時48分発の中津川行きが入線してきました。


恵那山

木曽路歩きを重ねてきて、何度も恵那山の姿を見た。
恵那山は瑞浪辺りから見え出した。
歩く行程で、その度に見える姿が変わった。
今回は中津川駅が近付き、車窓から見えてきた恵那山。
宮ノ越駅から座席に腰掛けれたが、窓際に女性が座っていた。
恵那山を撮影しようとした時、窓際の方が良いでしようと、席を譲ってくれた。
女性は仲間の女性達と火打山と雨飾山の間の山に行って来たと話した。
山の名を聞いて忘れてしまった。山小屋で泊まるのでなく、麓で泊まり下から出発して戻ってくる日帰り山行だと言っていた。それでも条件が悪く途中で断念しても戻ったとか。
花が多い山だったと言っていた。
反対側の座席に仲間が居たのだろう。3人の女性のグループだったと思う。
女性は青春18キップを使っての山行だと言い、私も18キップですとなった。
大津から来たと言っていた。
長野と新潟県境の山。
現地へ向うのに1日。山に登るのに1日。そして帰路で1日。
18キップを使って上手な山行だと思った。
恵那山を撮るのに心掛けたが、撮ってみたら木曽川も写っていた。


感想
ようやく、秋めいてきて、街道歩きを再開しました。
再開しても、まだ、半分の行程です。
この先。
続けれるか否か分かりませんが、やっていこうと思っています。




今日の経費
JR那加駅からJR上松駅までとJR宮ノ越駅からJR那加駅まで。
青春18キップ 2,370円
カップ麺 108円
お握り  138円
ガリガリ君 73円
アクエリアス 84円
缶ビール 267円
ピーナツ   97円
               合計 3,137円


kオジサンの中山道旅日記  その14
8月29日(水) 晴 JR宮ノ越駅からJR木曽平沢駅まで  へ

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