ウオーク同好会の11月定例ウオークです。
今月は多治見観光ボランティアガイドの案内で廃線跡になってしまった笠原鉄道の跡を歩くと言うものでした。
沿線の主産業である陶磁器の原料および製品を運搬する目的で敷設され、旅客営業も行っていたが、自動車の普及により利用者が減少した。1971年に旅客営業が休止され、1978年には貨物営業も廃止された。
その鉄道敷地が陶彩の径と名付けられ整備された。そんな道をウオーキングしてきました。
東濃鉄道の廃線フォークのチラシ。
多治見駅で下車して土岐川に向かって歩いています。
笠原川を渡ります。
笠原川を渡った場所で多治見観光ボランティアガイドの説明を受けています。
笠原鉄道の橋脚です。
橋が撤去されているが土岐川側の橋脚だけが残っていまだけ
反対の笠原町側は擁壁の整備で撤去されたのでしょう。残っていません。
笠原鉄道の跡地が陶彩の径と名付けられ整備されています。
沿線を紹介する地図が有り、見ています。
陶彩の径。
笠原鉄道の跡地の地図です。
なお、この場所は本多治見駅が有った所です。
今日、私たちを案内して下さる多治見観光ボランティアガイドです。
2人のガイドが携わってくれました。
すぐ横に有った陶彩の径の解説碑です。
解説碑の写真。
蒸気機関車が映っています。
笠原鉄道が開業した当時はこのように蒸気機関車で運行していた。
左は土岐川を渡る列車です。
橋脚が有りますが、今では撤去されて残っていません。
陶彩の径を歩きます。
先の方が左にカーブして行きます。
ここを列車が走っていたと言われれば、そのように想像できます。
陶彩の径を整備する人。
生垣を刈り込んでいました。
市から依頼を受けてやっているのだろうか。
このようにして貰えるから、陶彩の径が綺麗になっています。
両側の桜。
春の時期、美しく咲き誇ることでしょう。
少し勾配が有ります。
当時、機関車が喘ぎながら登ったのでしょう。
旧市之倉口駅跡の地図です。
多治見市のマスコット。
「うながっぱ」です。
民家の入口に有りましたが、注目の的となりました。
切通の場所。
旧下滝呂駅跡です。
先の方の紅葉が綺麗です。
旧下滝呂駅跡の地図に有った切通しの場所のかつての姿です。
鉄道敷となっていました。
紅葉したカエデです。
紅葉したカエデを写して
滝呂中央公園でトイレ休憩となりました。
公園で目にしたモニュメントと言うのかアーチです。
相合傘やハートマーク。
右側には1973細川内閣土井議長と有ります。
このモニュメントがその時代に設置されたものなのでしょう。
陶器の街、笠原ならこのような物を焼くのは訳ない事でしょう。
一枚一枚に個性が有り面白いです。
モザイクアートで表現された多治見市内の小中学校の姿と校歌がズラ―と並んでいます。
旧笠原駅跡まで歩いて来ました。
陶彩の径旧笠原駅跡の地図です。
スタートした時の地図とは逆になっています。
地図に載っていた当時の写真。
ディーゼル機関車と当時の笠原駅の風景。
プラットホームに停車しているのはディーゼルカーだと思います。
登校する女子高生だろうか。
笠原神明宮まで来ました。
ここの境内で昼食にしました。
ボランティアガイドを通じて境内で食べる許しを得ていたのです。
昼食後、時間が有りましたので、笠原の酒蔵。
三千盛に行ってきました。
純米大吟にごりの300CCを買って来ました。
笠原車庫前のバス停です。
多治見駅前行のバスが来ました。
最後に
陶彩の道を歩いていて軽四トラックが停まっており、男性が作業しているのを見ました。また、その近くで木の枝を剪定している人も居ました。このような場面に出会ったから分かったのだが、出会わなかったら判らなかったかもしれない。このような美観保持のほか、沿線住民が並べたのでしょう。狛犬かシーサーか。陶製の物が有りました。旧駅跡にはガラス扉となった展示ケースの中に絵手紙の作品が掲示して有りました。
このようなことから沿線住民が陶彩の道を可愛がっていると思えました。