文学は人間性を破壊した。
自我や国家を主体化し、生きる喜びを創造した。
これは日常性の破壊であり、普通に生きる人を排除した。
生きる喜びは、普通に人を生きる人を、価値のない人とした。
ここにエリートだけが生きる価値のある人とした。
これは強欲を秩序としたのだ。
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文学や国家は、生きるに値しない人を大量生産した。
弱者を食って生きる強者の世界を造った。
これが主体性の論理だ。
そこには人間性がない。
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文学は、人間性を排除した。
この排除を向上心としたのだ。
人間性を否定することを、人間の向上心とした。
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文学は人間性否定を喜びとした。
これがグローバリゼーションだ。
文学者になることが喜びとなった。
これは人間性の否定だ。
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否定の肯定、肯定に否定の罠にかかった。
これは言葉はモノポールであることの言い換えだ。
ダイポールをモノポールにする文字の罠、
それで金儲けする悪魔の落とし穴に落ちた。
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文学は国家は統合失調症だ。
そのダブル・バインドに落ちた。
金儲けに走れば、自己否定の肯定で、
権力に走れば、自己肯定の否定である。
否定と肯定のメビウスに首吊り自殺させられた!
これが人の喜びであった。
ここの人間性はない!