自己認識が出来るようにしたのはウィトゲンシュタインだ。
統合失調症を観測装置として、統合失調症を制御できれば、自己を認識出来る。
制御できないと自分が反響して、自己が失われる。
*。
ドストエフスキーは、自己を反響装置=統合失調症にかけ、
その中に人間性を結晶しようとした。
そこに出たものは、人の苦悩であった。
苦悩のエッセンスを結晶した。
人の苦悩の本質を、結晶した。
*。
仏教や儒教は、悟りを開くことで、苦悩を排除した。
そこには人はいなかった。
それは現実を暴力装置に結晶した。
*。
人を暴力に耐える人とした。
それは人か、人でないか。
証明不能。
仏教や儒教は、人を人でない人にした。
それは人か、人でないか。
証明不能。
*。
限りなくいい人は、現実を殺すことを、いいこととしていた。
このトリックはゲーデルの不完全性定理で暴かれた。
*。
理性がないと人になれない。
だが理性だけでは、人間性は得られない。
人間性はカオス系で得られ、自我系では得られない。
*。
自我は人の位置を定めるが、人間性は自我を消した運動量である。
位置は人間性ではない。
そのような人の存在構造が解明された。
これは言葉では認識できない。
*。
国家も文学も嘘や妄想であった。
それを夢と希望とした子供時代は終わった!
統合失調症を観測装置として、統合失調症を制御できれば、自己を認識出来る。
制御できないと自分が反響して、自己が失われる。
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ドストエフスキーは、自己を反響装置=統合失調症にかけ、
その中に人間性を結晶しようとした。
そこに出たものは、人の苦悩であった。
苦悩のエッセンスを結晶した。
人の苦悩の本質を、結晶した。
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仏教や儒教は、悟りを開くことで、苦悩を排除した。
そこには人はいなかった。
それは現実を暴力装置に結晶した。
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人を暴力に耐える人とした。
それは人か、人でないか。
証明不能。
仏教や儒教は、人を人でない人にした。
それは人か、人でないか。
証明不能。
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限りなくいい人は、現実を殺すことを、いいこととしていた。
このトリックはゲーデルの不完全性定理で暴かれた。
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理性がないと人になれない。
だが理性だけでは、人間性は得られない。
人間性はカオス系で得られ、自我系では得られない。
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自我は人の位置を定めるが、人間性は自我を消した運動量である。
位置は人間性ではない。
そのような人の存在構造が解明された。
これは言葉では認識できない。
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国家も文学も嘘や妄想であった。
それを夢と希望とした子供時代は終わった!