超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

夢と希望は 嘘と妄想である

2011-01-08 05:59:29 | Weblog
夢と希望で船出する。
これは子供の生き方で、大人はその実現を図る。

だがそれが感動や幸福であると、人は地獄を作る悪魔となる。
これが対偶対称性だ。
それは人間活動で保存される。

日常を生きれば、そういう問題は起きない。

*。
これは自我と人間性の不確定性原理の問題だ。

子供であれば、自我も人間性も成立以前であり、この問題は起きない。
大人になると、自我を生きれば、人間性は失われる。

この転換期が、第二反抗期であろう。
良い子であるとこれがなく、国家の言いなりとなる。
これが強欲エリートの問題だ。
その本性が、夢と希望の未成熟にある。

       *。
第二反抗期のない抵抗が、未成熟自我の問題だ。

権威を否定し、権威を肯定し、このシーソーをやる。

*。
これが実存や現存在の問題だ。

サルトルは、スターリンを肯定しながら否定し、この反抗を実存とした。
ハイデガーは、ヒトラーに従いつつ、これを超えようとした。

肯定の否定、ここに揺られた。

       *。
許容しつつ排除する。
このパラドックスを生きた。

これらが共同幻想だ。
スターリンを否定し、その権威は肯定する。

*。
これがシステムを記号化し、それを消費する運動だ。
これはシーソーであり、無限循環だ。

ここに消費の快楽を作った。

*。
これは否定の肯定や肯定の否定であり、排除のパラドックスだ。

排除している時だけは、実存し、現存在する。
しかし日常に戻ると、それは存在しない。

これが共同幻想だ。

*。
実存とか現存在は、共同幻想であった。
即ち、嘘や妄想であった!

     *。
日常は実数である。
物や事で展開する。

精神は高尚でも、生きることは、物事だ。
物事の高階型が、精神だ。

*。
精神は固有関数、日常は固有値=実数である。

精神は音楽であり、物事は楽器である。
人の世界は、進行波と後進波の調和振動でなければならない。

ここにしか人の居場所はない!
この秩序を破壊した消費産業だ。

     *。
人が人を排除する、否定の肯定現象だ。
発振させた。
これはやってはいけないことだ。

*。
生体操作、利益もあるが、秩序を失う。
即ち、やってはいけないことだ!

対偶対称性の破壊で、人は生きられない。

小津安二郎の本質

2011-01-08 04:54:18 | Weblog
紫式部思想の本質は、日常性である。
例えば恋愛すると人を傷つけえることもある。
良いことをすれば、悪いこともする。
これが最適化である。
これを普通といった紫式部だ。

      *。
普通とは、全体であることだ。
これが最適性である。
これが日本人の本質である。

普通であれば、それが最適である。
その中でいいこと悪いことを行う。
これが人の存在である。

*。
そう考えると、日常性とは、普通であることであり、最適であることだ。
そういう生き方をした小津安二郎だ。

即ち、全体を維持していた。
変わったことをやろうとすると、全体を得られない。
部分の強調と成る。

     *。
すると世界の隙間を埋めることになる。
多くの人はそれでよい。

だがトップとなると、これではいけない。

これが日本が世界でしゃきっとしない理由だ。
多くの人はそれでいい。
だがトップにこういう人がいないと、文化は従属的となる。

これが欲求不満の原因だ。