超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

イラク戦争の成功は議論の余地がない ブッシュ

2008-06-20 07:46:10 | Weblog
このような議論は対偶を取れば穴が見える。

イラク戦争の失敗は、世界の混乱から明らかだ。

その対偶を取れば、
イラク戦争でアメリカ軍需産業は儲けまくった。

*。
ここで明らかになることは、
イラク戦争は、アメリカ軍需産業の、金儲け戦争であった。

死の商人は、死の国家に格上げされた。

*。
世界支配国家は、死の国家であった。

世界制覇思想は、死の国家を頂上とすることだ。

世界制覇を理想とすることは、
世界を支配し、
正に必ず殺されるリングを取ったことだ。

*。
西欧伝説のリング、
成功と幸福、
人類は繁栄と破滅のリングを追っていた。

                 *。
繁栄と破滅、
これは貨幣の両面であり、
対偶対称性である。

*。
破滅は後の問題、
これほどスリルがあることもない。

光源氏はリングの物語でもあった。

*。
こういう人がこの世に必要、
だがこれを負帰還する人々がいないと、
その社会は破滅する。

               *。
アメリカに負帰還を掛け、
世界を安定化する。

これが最適化だ。

これ以上の世界はない。
だがこの達成も困難だ。

*。
今アメリカは、繁栄と破滅のリングの物語を実演している。

対偶対称性の理解に絶好の例題だ。

新自由主義はいじめ殺しを楽しく消費することである

2008-06-20 07:05:21 | Weblog
新自由主義は、いじめ殺しの楽しい製造販売消費である。

新自由主義の構造と法則は次の通りだ。

*。
新自由主義は、
市場主義を、
癒しの問題に還元し、
楽しい癒し商品の製造販売消費の問題とし、
国家と資本の関係を、
民主主義と市場主義の問題にすり替え、
政治と経済の結合を強化しながら、
それを所得・消費・欲望に隠蔽する。

*。
国家と国民の不可避の内的弁証法、
即ち強食集団を生きさせることを、
弱肉集団を死に廃棄する不作為の殺害に安心して消費させる。

この金融商品を軸にした市場主義の自己完結性、
この正体が、
シュミットの言う、
権力と無力の不可避な内的弁証法であり、
これはナッシュ関数ゲームだ。

*。
金融ゲームは、
新自由主義の必然性、
即ち、金融の自由の実践にしかなく、
新自由主義は自己完結システムであり、
新自由主義の必然性は、
新自由主義の実践にあるのであって、
福祉厚生とか環境問題とかが、直接規制することはできない。

                *。
これが新自由主義の構造と法則だ。

ここには人間性のひとかけらもない。

これが新自由主義の自己完結性だ。

*。
新自由主義は悪魔の洗練されたお菓子であり、
これに噛み付いて人間性を落とした。

新自由主義は、強盗殺人システムであり、
強盗殺人を安心して製造販売消費する。

               *。
これが悪魔の超資本主義だ。

新自由主義はガンであり、
人類を絶滅する。

核ミサイル以上の強力自殺兵器だ。

*。
これを打ち破るには、
精神年齢の高い知性が必要だ。

癒しとはいじめ殺しを楽しむことである

2008-06-20 06:12:08 | Weblog
感動商品を軸とする情報市場主義は、
その利益追求の実践自身に自己完結するのであって、
それによって引き起こされるいじめ殺しや人間性の荒廃に、
関与しない。

*。
いじめ殺しは、
感動と不快との不可避な内的弁証法によって展開される、
生きさせるか死に廃棄するかの演算の結果によるものであって、
癒しを求める、不作為の殺害となり、
癒しがいじめ殺しを安心して消費してしまうのだ。

                *。
気持ちや社会には、仕組みがある。

癒しや感動、成功や幸福、いい学校いい会社、
これらは世界に仕組みの中の一部分だ。

              *。
癒しは全体のない部分だ。

気持ちは世界に仕組みの中の、一部分でしかない。

癒しを求めると、
社会全体で何が起きるか。

*。
社会全体の中で、
風が吹けば桶屋が儲かるのである。

癒しを求めれば、いじめ殺しが起きるのだ。

              *。
Gёdelの不完全性定理やナッシュ均衡理論は、
全体を見る方法論だ。

*。
癒しを求める戦略は、いじめ殺しをする戦略だ。

感動に生きる戦略は、人間性を破壊する戦略だ。

これがナッシュ関数であり、
人間行為の因果関係だ。

*。
ずばり対偶を取ればいい。

癒しの対偶は何か。

いじめである。

               *。
感動商品を軸とする情報市場主義は、
その利益追求の実践自身に自己完結するのであって、
それによって引き起こされるいじめ殺しや人間性の荒廃に、
関与しない。

*。
いじめ殺しは、
感動と不快との不可避な内的弁証法によって展開される、
生きさせるか死に廃棄するかの演算の結果によるものであって、
癒しを求める、不作為の殺害となり、
癒しがいじめ殺しを安心して消費してしまうのだ。

閉塞感と心の闇 絶対命令はパラドックスである

2008-06-20 05:27:01 | Weblog
校則に従え、
日の丸に最敬礼、君が代を声高らかに歌え。

これが閉塞感の正体ではないか。

*。
校則社会規範、校則順法精神。
こういう人でないと、日本を健全に生きられない。

だから学校は厳しく指導するのです。
それが生徒のためになるからです。

                 *。
この閉塞感こそが、心の闇であろう。

自分で考えるな。
大きなもの、長いものに巻かれろ。

ここに心の中空や空体の心、
全体ない部分としての自己が出来るのではないか。

*。
これが健全な日本人だ。

そうしないと日本を健全に生きられない。

                *。
国家の言いなりになることが、
日本人の健全な生き方だ。

心や生き方も国家に規定されている。

*。
ドイツではこういう人を、
アンドロイド・オートマトンといい、
イギリスではエコノミック・アニマルと言う。

人間とは言われていない。

*。
日本では人間の奴隷化・家畜化・囚人化という人もいる訳だ。

               *。
日本では、西欧的にまともなことをやると、
犯罪者や気違いに成る。

*。
日本では人間性を生きると、犯罪者になる。

犯罪者と叩かれ、反発すると、それが犯罪となる。

*。
健全と言う犯罪、
健全が犯罪で、不健全が健全となる。

*。
国家の言いなりになっていると、
飲む打つ買うは自由である。

これはもう人ではない。

                *。
日本のパラドックス、
国家が指定する不健全を健全とすることは、
健全か健全でないか。

ここに反ゲーデル帝国がある。

                 *。
ここで言えることは、
仏教儒教は、国家のいいなり人間を健全とした。

国家が殺人を命令すれば、熱狂を持って殺人する。

これが健全な日本人だ。

*。
国家は健全を命令しない。
国家の従うことが健全だから。

国家に従えと言う。

                 *。
今国家命令が、「バカ死ね」となったのではないか。

過労死孤独死自殺…公害医療薬害大虐殺…
虚偽告発死刑…介護殺人尊属殺人…こそが、
永遠の癒しとなった。

それは国家を殺すことだ。
これが国家の永久の癒しだからだ。

                    *。
国に従え、
国家を殺せ。

従うことと殺すことが、
日本で交差する。

*。
これが日本のパラドックスだ。
どっちを取れと、国家は命令できない。

国家に従えとしか命令できないからだ。
これがパラドックスであり、ダブルバインドだ。

*。
国家に従え、
国家に従わないものを殺せ。
これは自動的に国家を殺せと言う命令である。

*。
どっちを取るか指定できない。

絶対命令はパラドックスであり、
国のために死ね、
これは結局国家を殺せと言う命令でもある。

日本は、絶対命令、
即ち日本パラドックスに絞め殺させつつある。