超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

リアリティとメタ・リアリティ

2008-06-24 08:50:03 | Weblog
源氏物語宮殿は、優雅さを極める男女関係の世界である。

いや源氏物語は思想の書である。

*。
同じようなことが、ロラン・バルトのラシーヌ論で起きた。

優雅さを極める恋愛悲劇をされたものが、
壮大な精神現象の物語とされた。

*。
最近でもこのような事件が起きた。

保元物語と平治物語においてだ。

これは概念的枠組みのない、
戦いの叙事詩だ。
フロランス・ゴワイェ。

              *。
このようなことは芭蕉俳句で起きている。

古池俳句だ。

蛙が池に飛び込んで、
何で人類最高峰の芸術なんだ。

*。
言語読みと知性読み、
コンテンツとメッセージ。

リアリティとイマジネーションの違いだ。

*。
物事として読むことと、心で読むことの違いだ。

実証主義と精神現象論の違いだ。

             *。
最近も教科書問題でこれが起きた。

実証主義で行くと、
問題があったかなかったかの証明が問題となる。

精神現象論で行くと、
中国人韓国人は何が言いたいのかが問題になる。
日本人は何が言いたいかが問題になる。

*。
無かったと言いたい気持ち、
大問題にしたい気持ちの衝突だ。

ラシーヌ問題は大論争になった。

*。
現代はこの調整能力がない。

理論理性では、世界現象に対応できない。

             *。
メタ・リアリティ能力、
これが必要になったが、
それがない。

財布が盗まれた、
この問題を巡って争っている。

*。
人類は知的痴呆症だ。
これが問題の本質ではないか。

貧困と差別を資源とする芸能論

2008-06-24 08:07:17 | Weblog
塩見鮮一郎「乞胸」(こうむね)を下敷きにした。

知能の獲得は、孤独と絶望空間に成立した。
ここに文化が創造された。

人の集団が組織化された時、
組織から排除される人々が出た。

彼らは貧困と差別を資源として、芸能を確立した。
人には芸能が必要であり、
それは組織の一員として作れないからだ。

偉大な創造は、組織の中では現代でも行われない。
組織をはみ出さなければ、出来ることではないからだ。

              *。
はみ出したものを、劣悪視することは、
日本社会が劣悪だからだ。

劣悪組織の彼らを癒す、これが芸能集団だ。

芸能の成立には、差別を貧困の資源が必要だ。

*。
この列悪と、組織社会の劣悪が接続され、
社会全体が一つの集団となる。

社会組織が、異質の集団を作り、
これを接続して、一つとなる。

これが文化であることが分かる。

               *。
西欧でも学問芸術は、はみ出し集団の成果である。

文化創造者は、生きている時は尊敬されることはまれだ。

だが死後尊敬される。

*。
現代は彼らを巨匠と持ち上げる。

これで創造性を失った。

差別と貧困を使う社会の能力が問われる。
エチケット問題と同じだ。

*。
抗争の必要を知って、これを使う。

こういう高度知能時代が始まっている。

Gёdelの不完全性定理の簡易証明

2008-06-24 05:52:32 | Weblog
Gёdelの不完全性定理が社会科学にも成り立つ、
こうした考えに慣れてくると、
本当は成り立っていないのに、それを忘れてしまう。

こういうパラドックス存在する。

*。
引っくり返す、
Gёdelの不完全性定理は形式論理だけに成り立ち、
社会現象に成り立たない、
こういう考えに慣れると、
成り立つことを成り立たないとしてしまう。

こういうパラドックスが存在する。

              *。
本当のところどうなんだろう。

そこで昔、簡易証明をやった。

*。
私はウソは申しません。
これはパラドックスだ。

ウソは言わないとウソをついていることもあり、
ウソをついていないからウソをついていないと言っていることもある。

この発言の中で、ウソかどうかは証明されない。

つまり意味のない発言だ。

              *。
靖国に行くとも行かないとも申しません。

慰安婦問題はあったともなかったとも申しません。

典型的ゲーデル文だ。

この文章で、
この発言で唯一つ正しいことは、
発言したことだ。

*。
靖国発言はあいまいでも、
行くか行かないかはどっちかしかない。

Gёdelの不完全性定理第一定理では、
正しいか正しくないか決定できない命題が存在することだ。

第二定理では、
更に形式論理上、
正しい命題において、
その無矛盾性はその形式論理の中で、
その無矛盾は証明できない。

             *。
では第一定理で、
そういう命題は存在しないとする。

二つの命題を、
両面テープの表裏に書く。

命題は同一であるから、
両面テープの交点として、
表裏を重ね、
Mёbius構造とする。

すると両命題は無限循環=発振し、
意味を成さない。

*。
命題が無限循環に陥ったのは、
命題は存在しないとしたからだから、
始めの命題は正しい。

               *。
靖国問題では、
行くに決まっているのに、
はっきりいうと問題になるので、
あいまいにして、
煙幕や偽装によって、
問題を隠蔽した。

煙幕を張る必要がある、
それが靖国に行くことを意味する。

*。
今までのところ行っていないではないか。

だが行かないはずがないことは、誰でも知っている。

*。
証明しよう。

靖国に行くとも行かないとも申しません。

文章は二つに分解される。

*。
靖国に行くとは申しません。

対偶を取る、
靖国に行かないと申します。

*。
靖国に行かないと申しません。

対偶を取る、
靖国に行くと申します。

*。
ここに得られた二つの文章は矛盾しているので、
この発言自体が成立しない。

             *。
靖国に行くとも行かないとも申し上げません。

この文章は無矛盾だ。

この文章の中で、無矛盾は証明されない。

*。
証明できるとする、
すると無限循環に陥り、
意味のない文章となる。

それは証明できるとすることが原因だから、
証明できないことが正しいとなる。

            *。
靖国に行くとも行かないとも申しません。

この無矛盾文が成立したら、
どうなるのだろう。

行く状態と行かない状態が、同時に成立する。

*。
体は行かず、心が行く。

例えば供物を供える。

*。
体と心を切り裂く。

偽自己と仮自己の偽善と欺瞞の演技だ。

これは狂気の状態だ。

現に靖国発言をした人は、病気になった。

               *。
証明不能決定不能、
無矛盾の証明できない状態で、これを生きる。

それは精神の病の状態だ。

発言者の、現実と精神がそれを実証証明した。

*。
通常この国では、
ウソで押し切るか、
問題をも問題にさせず、突っ張るかだ。

自分は狂わず、日本を狂わせる!

こういう人を大物というのだろう。