超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

法治国家のパラドックス 現代犯罪は法治国家の改革である

2008-06-13 08:54:52 | Weblog
犯罪、特に再犯は、法治国家の改革である。

現代国家は、犯罪を製造販売消費する。
この社会や人間への犯罪に対する判決刑罰が犯罪となった。

法治国家が、その改革を犯罪とする法治国家のパラドックスである。

*。
犯罪は法治国家への刑罰である。

これで改心しない法治国家、
犯罪の上塗りをする。

*・
かく犯罪は発振した。
即ち、手に負えなくなった。

これで更に暴力を高める法治国家、
限度を越える制裁犯罪が行われる。

これが凶悪犯罪だ。

              *。
NHK訴訟、
期待権を求めなかった。

問題は期待権でなく、言論の自由だ。

NHKと異なる言論は認めないと言う最高裁判決だ。

*。
国家の犯罪、
市民は存在さえ認められなかった。
民事不介入、棄民がここに実証された。

*。
この種の犯罪に対し、
犯罪を持って主張する。

これが現代犯罪だ。

               *。
勿論神の作った犯罪もある。

それと国家犯罪の識別、
これはスーパー理性にしか見えない。

*。
本来の犯罪と、
国家犯罪を制裁する犯罪。

これらの複合、
これの識別は法によって出来ない。

*。
法が犯罪を取り締まる格好をして、
犯罪をやらせて食っている。

この問題が見えない現代社会だ。

             *。
犯罪は絶叫している。

国家の犯罪を止めさせろ。
国家に犯罪させるのを止めさせろ。

そのための抗議を聴け。

*。
社会が国家犯罪を止めさせないので、
その被害者が、改革犯罪をやらされる。

人を心の闇に閉じ込め、
閉塞して、爆発させる。

*。
国家は社会に内圧を高め、
これを爆発させて、遊んで金を取っている。

             *。
国家暴力に対する正当防衛暴力、
悪が勝つ国家。

これが問題だ。
だがこれで国家は生活している。

*。
やっとスーパー理性で、
この問題を認知した。

科学のパラドックス 消点と目標の違いへの注意

2008-06-13 08:13:36 | Weblog
人間や自然は機械である。
ここの科学は成立した。

この考えは、消点であって、目的や真理ではない。

この消点に対して、科学を展開すると、
壮大な科学が得られた。

*。
東洋に消点と言う考えはない。

心身一元論では、このような思考は出来ない。

いや思考自体存在しない。
思考が成立するに消点などが必要だ。

              *。
玉蔓は言う。
ウソの中にこそ真実があります。

科学というウソ、
ここにこそ真実があった。

科学と言うウソを使わないと、産業は作れない。

*。
東洋が人や自然は、機械でないとしながら、
産業文明を受け入れたのは、
それが真実だったからだ。

             *。
科学はウソである。

ウソの中の真実を使う科学だった。

*。
西欧でさえ分かっていない人が多い。

素粒子、
そんなものはない。

だがこれがあるとすると、
壮大な科学が出来る。

               *。
素粒子のパラドックス。

素粒子があるとすると、
その素粒子を生む素粒子は素粒子か。

素粒子を生む素粒子、
それは素粒子であって素粒子でない。

                  *。
即ちウソの中にこそ真実がある!

即ち、消点と目標・目的は違う。

消点はメタ目標と言った方がいい。

*。
自分を生む自分、
ここに思考は始まる。

五次元の自分が、四次元の自分を生む。

五次元は子宮であり、
四次元は子供である。

*。
五次元と四次元の接点が、子宮!

これが消点!

消点の先は五次元!
手前が四次元!

              *。
これを知ったスーパー理性だ。

五次元は四次元で証明決定不能である。

だが存在する。

*。
Gёdelの不完全性定理は、意識を五次元に飛ばす方法だ。

四次元の決定不能証明不能、
五次元からその状況が見える。

*。
ナッシュ関数もまた、
五次元から四次元を見る方法である。

五次元から、不確定な四次元の因果関係が見える。

*。
Gёdelの不完全性定理やナッシュ関数は、
自分で自分を見たり作る方法だった。

             *。
消点と現実の目標の差異、
これを知らないとスーパー理性=知性に飛べない。

スーパー理性は、四次元理性のポインティング・ベクトルだ。

時には四次元理性の定在波だ。

通常四次元で見えないものが見える。

人間性のパラドックス 現世は犯罪可能に成り立つ

2008-06-13 07:22:16 | Weblog
社会や人は、犯罪や狂気の可能構造に成立する。

善には悪が必要であり、悪があれば善がある。
善悪の相互依存性に世界が成り立つ。

*。
だから犯罪や狂気や障害はなくならない。

それを最低にすることは、人や社会の義務である。

             *。
いろいろ問題が起きれば、
社会や国家や法などにも責任が問われる。

法治国家は法治国家の責任を問わせない。
法治国家は、犯罪に成り立つ。

*。
法治国家の犯罪、
国家が犯罪を製造販売消費する。

これに抵抗摩擦が起きる。

これが法治国家犯罪の修正制御力であり、
自動的に発生する。

*。
現代は、犯罪、法治国家の犯罪、その改革としての犯罪のカオスである。

法が機能しない。
いや法が犯罪となり、犯罪発生と増幅装置となった。

                *。
ここで重大な問題が認識された。

自由は正義は、人間性の所産であるが、
自由や正義は、犯罪の排除力ではないことだ。

*。
自由や正義は、犯罪を抑止しない。

いやかえって、犯罪を促進する。

人間性のパラドックスが現れた。

               *。
その点、日本の絶対権力は、
人間性を否定、国家として秩序がいいように見える。

国家を恐怖体制とし、
人の感情を低温化、
活動度を鈍くして、
秩序を良く見せる。

*。
衝動レベルを低くし、人を優しくする。

ここの人間性はないから、
衝動が励起されると、残酷になる。

*。
犯罪も残酷、それへのリンチも残酷、
これらが共振し、いじめ殺し社会が出来る。

               *。
この社会を如何に生き抜くか。

社会から引きこもり、癒しに耽るもの。
社会と戦うもの。
そして逃げ回るものが生まれる。

*。
社会を戦うものに、
精神年齢を上がる戦いをするものや、
暴力で、社会を変える犯罪者が現れる。

一見犯罪だが、残酷な社会改革運動だ。

*。
逃げたものは、飲む打つ買うに逃亡する。

これは人間性の否定と破壊だ。

                 *。

かくして日本人全員が、ダブルバインドに掛る。

日本を変えようとして、日本を壊し、日本に壊されるもの。

日本から逃げて、自分を壊し、結局自分と日本を壊すもの。

*。
日本人全体が、壊れ、壊れた人の世界となった。

ダブルバインドは地獄だ。

             *。
自由と正義は犯罪率を高め、凶悪化する。

これを認めないと犯罪は少なく見える。
国家犯罪が、人間性破壊犯罪を引き受けていたのだ。

*。
かく犯罪率やGOPは、
社会によさのバロメーターではなくなった。

人間性品質が評価基準となった。

*。
すると日本は、この評価対象外となった。


             *。
かく現代は壮大な物語を始めた。

それはスーパー理性の世界だ。

絶対権力のパラドックス 校則はリンチである 抵抗は内戦である

2008-06-13 05:53:27 | Weblog
校則は憲法違反であり、
正義や人権の棄却であり、人間性の破壊である。

日本は法治国家ではない、
この日本で正義を求めるものは、犯罪者である。

すると日本では、犯罪は人間革命ではないかと仮定できる。

               *。
東南アジアは、西欧と日本の植民地支配を受けた。

彼らは言う、
日本の植民地支配は、西欧の支配より残酷であった。

*。
例えば、日本では凶悪犯罪者の両親を、
報道陣の前に立たせ、
どのように責任を取るのか、質問する。

このようなことは、西欧は行わない。

              *。
犯罪における親の責任。
犯罪者の責任だけでなく、親の責任を問う。

だが社会国家の責任は問われない。

*。
国家やマスコミが、
神の立場に立って、犯罪者とその一家を、断罪しリンチする。

神に責任はない。
これが矯正教育ではないか。

*。
これを法の名において行う。

この土台が校則教育だ。

ここに国家への順法精神と社会規範意識が涵養される。

              *。
通常神がいるならば、
犯罪の一部は神の責任であろう。

神が責任を取らないと、
これを糾弾することは、犯罪となる。

             *。
日本人は、西欧の言うアンドロイド・オートマトンであり、
エコノミック・アニマルだ。

*。
校則によって、
自分で考えない人々が作られる。

これが、言語力は高く、理解力に劣る現象だろう。

*。
ここに西欧や世界に理解できない日本がある。

この日本を世界に解放するにはどうするか。

それが犯罪となる。

*。
日本ではどんな犯罪も、国家改革力となる。

              *。
日本の世界への解放は犯罪となる。

すると現在の犯罪者は、日本の人間解放者となる。

*。
絶対権力は、このパラドックスに陥る。

犯罪を製造販売消費し、
この犯罪は犯罪によって糾弾される。
いや糾弾させているのだ。

              *。
校則は人間性破壊の犯罪であり、
校則破りは、校則の修正力である。

校則は犯罪であり、
犯罪は犯罪を呼び、
これに修正を求める。

*。
人を殺して死刑にして貰う。

校則や日本国はこうしているのではないか。

人々を犯罪者に仕立て、
彼らに殺して貰う。

*。
これが絶対権力のパラドックスだ。

国家のパラドックス 何故値上げせず 量目を減らしたか

2008-06-13 04:58:45 | Weblog
物価指数は操作され、偽装されている。

物価指数計算用指定商品がある。
生活上多く使われている商品だ。

*。
物価指数トリック。

五百グラム商品二つ買うより、
一キロ商品を買った方が、安くなる。

だが物価指数計算用商品は、
一キロ買った方が高くなる。

*。
この操作で、
指定商品は値上げせず、
内容量を減らすことで、
物価指数上昇を抑える。

*。
この結果、
必要な人は多数買うので、GDPは増大し、
年金などの物価指数スライドをしないで済む。

              *。
ついでに言えば、
この国の大GDPは、物価が高い効果である。

よって、実質生活感は低所得となる。

*。
国家秩序は高いが、生活秩序は低い。

つまり生活での犯罪不安が高くなったが、
国家の犯罪率は下がった。

犯罪指数は操作され、偽装されてている。

*。
道路交通法の改正で、
駐車違反などの検挙率が上がり、
一般の犯罪は、相対的に低下した!

*。
道路建設上の、交通量予測に根拠はない。

              *。
国家のパラドックス、
国家は、国家をやっているのではない。

国家は国家の立場で、
好きなことをやりたいようにやっているのだ。

*。
日本はパラドックスに対策をしていない、
即ち衝動を生きているので、
国家が好きなことを、やりたい放題で出来る。