超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

愛のない正義

2008-06-18 08:28:32 | Weblog
西欧では愛と正義はペアーである。

愛はソフトで、正義はハードだろうか。

*。
西欧以外の国々で、正義を導入するとどうなるか。

愛は輸入しようがない。

正義は言葉と制度で導入できる。

*。
ここで国家だけが絶対化し、
国民が棄民される現象が起きている。

              *。
アメリカは、民主主義を輸出販売しようとしている。

日本で成功したと言う。

*。
日本は民主主義を使った全体主義だ。

これが彼らには、民主主義に見えるのだ。

*。
異文化接触、
日本音楽は西洋人には、音楽として聞こえない。

ただの音だ。

*。
人類皆同じではない。

身体は同じ構造でも、精神は別の法則で動いている。


               *。
愛と正義は、ヨーロッパでは客観的普遍妥当化された。

アメリカではそうなっていない!

*。
日本では、言葉だけ存在して、内容がない。

言語能力はあっても、意味を成さない。
社会システムが拒否する。

*。
日本では愛と正義はアレルギーを起こし、排除される。

言葉だけがあるのだ。

無理に入れようとすると、ぶっ殺される。

              *。
世界理解が進み、
民族の地下迷宮も理解され始めた。

格好は同じでも、地下構造は違っている。

*。
日本で憲法は銅像であって、意味を成していない。

銅像的権威が現象するのだ。

銅像が、俺の言いなりになれという。
そうしないと罪悪感が湧く。
いや言いなりにならないと、銅像の管理人に、殺されるのだ。

*。
法や官憲は、恐怖として存在する。

恫喝が彼らの仕事であって、
法は制服の皺程度のことだ。

               *。
世界は日本は法治国家と思っている。

この程度の思考能力で、世界に対応する。

これ自体暴力だ!

*。
そういう訳で、世界は力で動いている。

知的人間に、これが理解できない。

即ち、人類に、地球社会を運営できる能力がない。

*。
かくして強い国家のやりたい放題になった。

世界を理解できる能力がない、
これが現代問題だ。

愛のない正義

2008-06-18 08:28:22 | Weblog
西欧では愛と正義はペアーである。

愛はソフトで、正義はハードだろうか。

*。
西欧以外の国々で、正義を導入するとどうなるか。

愛は輸入しようがない。

正義は言葉と制度で導入できる。

*。
ここで国家だけが絶対化し、
国民が棄民される現象が起きている。

              *。
アメリカは、民主主義を輸出販売しようとしている。

日本で成功したと言う。

*。
日本は民主主義を使った全体主義だ。

これが彼らには、民主主義に見えるのだ。

*。
異文化接触、
日本音楽は西洋人には、音楽として聞こえない。

ただの音だ。

*。
人類皆同じではない。

身体は同じ構造でも、精神は別の法則で動いている。


               *。
愛と正義は、ヨーロッパでは客観的普遍妥当化された。

アメリカではそうなっていない!

*。
日本では、言葉だけ存在して、内容がない。

言語能力はあっても、意味を成さない。
社会システムが拒否する。

*。
日本では愛と正義はアレルギーを起こし、排除される。

言葉だけがあるのだ。

無理に入れようとすると、ぶっ殺される。

              *。
世界理解が進み、
民族の地下迷宮も理解され始めた。

格好は同じでも、地下構造は違っている。

*。
日本で憲法は銅像であって、意味を成していない。

銅像的権威が現象するのだ。

銅像が、俺の言いなりになれという。
そうしないと罪悪感が湧く。
いや言いなりにならないと、銅像の管理人に、殺されるのだ。

*。
法や官憲は、恐怖として存在する。

恫喝が彼らの仕事であって、
法は制服の皺程度のことだ。

               *。
世界は日本は法治国家と思っている。

この程度の思考能力で、世界に対応する。

これ自体暴力だ!

*。
そういう訳で、世界は力で動いている。

知的人間に、これが理解できない。

即ち、人類に、地球社会を運営できる能力がない。

*。
かくして強い国家のやりたい放題になった。

世界を理解できる能力がない、
これが現代問題だ。

新自由主義は法によって行われる犯罪である

2008-06-18 07:40:28 | Weblog
競争の自由、世界に生き残る経済政策、
対偶を取ると、
弱いものを貶める権利、
人々を殺して国家権力だけが生き残る国策である。

これが新自由主義であり、グローバリゼ-ションである。

             *。
どうしてこうなったか。

所得・消費・欲望システムは、
人を空体化・中空化した。

*。
人の心を生きるのでなく、
人の体としての可能性の快楽を追求した。

人の体を中空化し、
これにいろいろの飾りを付けた。

*。
人の気持ちを空虚化し、
人の体にいろいろの飾りを付けた。

これが消費生活だ。

               *。
空虚を豊かに消費し、快楽に変える。

衝動は、楽しく癒される。

だが心は満足しない。

*。
癒しは、空虚を快楽に変える麻薬だ。

これが新自由主義商品の正体だ。

              *。
この空体化した人の気持ちに、
経済はゲームや博打と変わった。

*。
経済はゲーム化し、ビジネスは博打となった。

これを競争の自由と上書きし、
博打を金融経済と言葉を置換した。

*。
これが新自由主義の正体だ。

過労死させる、
低賃金労働をさせる、
これが金を巻き上げるゲームであることを示している。

経済のばくち化だ。

*。
グローバリゼ-ションはビジネスのゲーム化であり
経済のばくち化で、
国家はカジノ経営組織となった。


             *。
ここにしか人類の職場はない。

ここで博打に加わり
僅かの報酬を貰い、
博打を労働と言っている。

*。
空虚さを製造販売消費している。

空虚さをいろいろ飾って、癒しとする。

これが新自由主義グローバリゼ-ションだ。

*。
癒しを求めることは、
国家に食い物にさせることだ。

*。
人生をゲームし、博打し、衝動する。

これが現在の人類生活だ。

虚しさこそ、ゲーム製品であり博打商品だ。

            *。
高度産業はこうなる。

新自由主義国家は、カジノとなった。

国民や人類から金を巻き上げることが国家カジノの仕事だ。

大企業は国家カジノのゲーム・マシンとなった。

*。
新自由主義は、競争の自由の顔をした、
カジノであった。

国家カジノが絶対儲かる八百長ルール、
これが新自由主義だった。

              *。
グローバリゼ-ションは地球経済の博打化だ。

一瞬の快楽に依存し、人生を摩ってしまう。

空虚さの生産販売消費、
これが金融経済だ。

*。
これはガンであり、
人類全滅への万歳突撃だ。

*。
癒しは、グローバリゼ-ション商品だ。

癒し商品を、グローバリゼ-ション時代の時代精神とするものもいる。

時代精神でなく、時代製品ではないか。

世界的日本の仕事 ヨーロッパ的教養 日本立地

2008-06-18 06:17:35 | Weblog
教養として、ヨーロッパでは愛と正義で世界を見る。

日本は現世を悪と犯罪の世界と見る。

日本の教育が、ヨーロッパ的になって、
生きることが正義追求とされた。

この捩れがマルクスかぶれ現象ではないか。

                  *。
それは明治維新現象でもあった。
明治の志士は民主主義にかぶれ、
これを生きてこれを否定する日本とぶつかった。

*。
維新国家を作ったものの、
日本の伝統と捩れた。

その捩れ戻しが、相次ぐ戦争だったのではないか。

*。
西欧に働けば、角が立つ。
日本に掉させば、流される。

意地を通せば、日本からも西欧からも浮き上がる。

これはダブルバインドだ。

*。
ここに絶対的国家を作り、
ナショナル・バイオレンスで国をまとめた。

ここにまとまりはあるが、
まとまっていない日本が出来た。

             *。
格好だけまとまり、中味がばらばらとなった。

中味を抜いた外見だけ国家、
これが空体であり中空だ。

*。
考えようでは、
ばらばら力とまとまり力の併用だ。

これは少年期現象と見ることも出来る。

*。
だがばらばら力とまとまり力に引き裂かれたとも言える。

ここに偽自己日本と仮自己日本が出来、
両者で偽善と欺瞞の演技を生きることとなった。

国家の格好はあって、中味がない日本の成立だ。

            *。
こう考えると、
日本が手本とした西欧も、
これと同型等価だ。

いや日本が西欧をデッドコピーしたことだ。

*。
西欧に切り裂かれた日本が、
科学文明に切り裂かれた西欧に挑み、
殺された。

これを太平洋戦争とすると、
ここに再生した日本は、
切り裂かれた西欧を切り裂くことで、
裂け目を修復したのかも知れない。

*。
切り裂かれた文明を復旧する。
これが平和憲法の意味だろうか。

切り裂かれた文明に魂を入れる。

                  *。
太平洋戦争は、切り裂かれた文明の修復や復旧手術なのかも知れない。

この世は戦争と犯罪で出来ているのだ。

*。
裂かれたものを、魂で接合し、元に戻す。

平和憲法はそういうことだろう。

*。
戦力放棄と戦争放棄、
成功と幸福の放棄、
これで切り裂かれた人類を正常に戻せる。

人類世界へのこの初期条件設定、
これは世界に指名された日本の仕事だ。

世界的日本の仕事 ヨーロッパ的教養 日本立地

2008-06-18 06:17:26 | Weblog
教養として、ヨーロッパでは愛と正義で世界を見る。

日本は現世を悪と犯罪の世界と見る。

日本の教育が、ヨーロッパ的になって、
生きることが正義追求とされた。

この捩れがマルクスかぶれ現象ではないか。

                  *。
それは明治維新現象でもあった。
明治の志士は民主主義にかぶれ、
これを生きてこれを否定する日本とぶつかった。

*。
維新国家を作ったものの、
日本の伝統と捩れた。

その捩れ戻しが、相次ぐ戦争だったのではないか。

*。
西欧に働けば、角が立つ。
日本に掉させば、流される。

意地を通せば、日本からも西欧からも浮き上がる。

これはダブルバインドだ。

*。
ここに絶対的国家を作り、
ナショナル・バイオレンスで国をまとめた。

ここにまとまりはあるが、
まとまっていない日本が出来た。

             *。
格好だけまとまり、中味がばらばらとなった。

中味を抜いた外見だけ国家、
これが空体であり中空だ。

*。
考えようでは、
ばらばら力とまとまり力の併用だ。

これは少年期現象と見ることも出来る。

*。
だがばらばら力とまとまり力に引き裂かれたとも言える。

ここに偽自己日本と仮自己日本が出来、
両者で偽善と欺瞞の演技を生きることとなった。

国家の格好はあって、中味がない日本の成立だ。

            *。
こう考えると、
日本が手本とした西欧も、
これと同型等価だ。

いや日本が西欧をデッドコピーしたことだ。

*。
西欧に切り裂かれた日本が、
科学文明に切り裂かれた西欧に挑み、
殺された。

これを太平洋戦争とすると、
ここに再生した日本は、
切り裂かれた西欧を切り裂くことで、
裂け目を修復したのかも知れない。

*。
切り裂かれた文明を復旧する。
これが平和憲法の意味だろうか。

切り裂かれた文明に魂を入れる。

                  *。
太平洋戦争は、切り裂かれた文明の修復や復旧手術なのかも知れない。

この世は戦争と犯罪で出来ているのだ。

*。
裂かれたものを、魂で接合し、元に戻す。

平和憲法はそういうことだろう。

*。
戦力放棄と戦争放棄、
成功と幸福の放棄、
これで切り裂かれた人類を正常に戻せる。

人類世界へのこの初期条件設定、
これは世界に指名された日本の仕事だ。

日本一家の論理と問題

2008-06-18 05:24:33 | Weblog
日本の現実は、常に劣悪であって、然もこれは変えられない。

従って人が生きることは、
如何に劣悪な現実を、生き延びるかだ。

これが日本人の世界観であろう。

                 *。
この考えで問題なことは、
現実を変えられないとすることだ。

これはGёdelの不完全性定理違反だから、成立しない。

変える意思を放棄する。
これによってますます変えられなくなる。

*。
ここに閉塞感が現れる。

そこを如何に生き抜くか。

自分で自分を牢獄に入れ、ここで優等生になろうとする訳だ。

*。
閉塞感は、心を闇に閉じ込める。

心は病んでしまう。

これを変えられないこととして、
如何に生き抜くか。

*。
自分を鞭打つ、
毎日40キロも走ることだろうか。

              *。
この考えどこかおかしくないか。

そう考えてはならないのだ。

*。
自分に厳しくするほど、
そこに得られる喜びも大きくなる。

だがその喜びは、わざわざ作ったものではないか。

本来なくてもいいことではないか。

人生や生活の設定に無理はないか。

             *。
日本で犯罪は本人と家族の責任となる。

社会や国家や組織の責任は問われない。

過労死でも、自己管理の問題だとなる。

*。
これは現実は、変えられないとすることに原因がないか。

それが原因で、自分を鞭打つことしか出来ないのではないか。

*。
この時国家は、変えられないとする結果、
何やっても、問題にされない。

国家はやり放題になる。

そして人々は、何事が起きても、
自分を鞭打つ。

               *。
その結果、太平洋戦争のように、
人類の数千万人を大虐殺することをやってしまった。

これが実質的に、
自己に鞭打つことの癒しや楽しみだったのではないか。

この論理で、過労死もする。

*。
過労死こそ現代日本人の癒しではないか。

こういう存在構造と法則にある。

*。
これは、現世は変えられないものだ。

その現世を厳しく生き抜く結果の出来事だ。

こういう考えの結果であろう。

                *。
自己への厳しさ、
それは他人への厳しさでもある。

すべてに厳しい。

これが死刑や厳罰の要求であろう

だから厳罰と言う癒しが、
ますます気持ちいいものとなる。

*。
厳罰と言う鞭と癒しが、同じにまる。

働くことがレジャーである。

いじめることがレジャーである。

               *。
自分と他人や国家と、
厳しさを交点に繋がっている。

この厳しさは、人間性の否定である。

*。
死刑や厳罰、
それは自己への厳罰と死刑の、対偶対象だ。

*。
先ず自分を殺している。

ますます癒しが必要になる。

それが他人の死刑や厳罰であり、
それが癒しと楽しみななる。

これが現代日本の構造と法則だ。

               *。
自分に厳しくする。
これで魂になる場合と、魂を壊す場合があった。

癒しを求めることと魂を求めることの違いだろう。

*。
人が求めていることは、
厳しさでなく、愛ではないか。

*。
厳罰の社会、
自分に厳しい社会、
過労死もいとわず、大虐殺もいとわない。

*。
この社会では、
犯罪や狂気が、正常性回復動作となる。

総犯罪社会や総うつ病社会、
原点復帰運動、
それが犯罪であり狂気である。

                 *。
自分殺しと言う犯罪と狂気、
それに抵抗する犯罪と狂気。

異常と正常が、同じ現象として現れる。

*。
犯罪こそが正常である。

健全こそが犯罪である。

犯罪のパラドックス、
正常が犯罪となり、犯罪が健全となる。

*。
決定不能性、証明不能性という刑務所の囚人であることだ。

パラドックスを堂々巡りしている。

金と快楽で生きるしかない。