福音書はキリスト者ではないわたしのような人間にとっても、一度や二度読んだらといって、星印で評価したりできない特別な本である。聖書、主として福音書は読まざるをえないから、必要にかられて、十代の終わりころから断片的には読んできた。美術史においても、文学においても、ヨーロッパを理解するうえで、キリスト教はギリシア文明とならんで無視し得ない、強固な土台そのものであったからである。日本聖書教会が発行した「 . . . 本文を読む
ドストエフスキー・ファンにとっては、いま話題の東京外国語大学学長亀山先生の著書。あとがきに最終講義が出発点と書いてある。
「へえ、どんな内容を学生たちに講義なさっていたのか」そんな興味で手にとった。
「罪と罰」「白痴」「悪霊」「未成年」「カラマーゾフの兄弟」の5大作を俎上にのせて論じているが、それほどの切れ味はないな~というのが第一印象であった。
<人物、時代、作品の謎を通して、現代の猛烈なグロ . . . 本文を読む
「罪と罰」の余熱があるあいだに、どうしても読み返したい著書があった。小林秀雄の「『罪と罰』についてⅡ」である。かつて読んだはずのその本を見つけるのは時間のむだと判断し、新潮文庫の新装版を買ってきた。
わたしはかねがね、この本に収められた「『罪と罰』についてⅡ」や「『白痴』についてⅡ」は、彼のあの「モオツァルト」とならぶ傑作ではないかと、漠然と考えてきた。読書というものが、現実の体験にまさるとも . . . 本文を読む
「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する」という長いタイトルは、どうもしっくりこないが、内容を端的にあらわしている。
30年ぶりの新訳という亀山郁夫さんの「カラマーゾフの兄弟」(光文社文庫5分冊)が、なんと昨年(2007年)55万部を突破した。これはこの種の本としては驚くべき数字で、マスコミで話題となった。どういった年代のどういった読者の支持をあつめたのか、そういった、いささかミハー的な興味によ . . . 本文を読む
NHKブックスに収録されている現行本。ただし、わたしが持っているのは昭和46年5月、第14刷りとあり、現在は装幀が変わっている。
埴谷雄高さんはいわゆる「戦後派」を代表する作家のひとりで、長編小説「死霊」短編集「虚空」「闇の中の黒い馬」で知られている。わたしが若かった70年代には、高橋和己などとならび、さかんに読まれた作家だが、現在ではあまり読まれていないとみえ「死霊」以外は入手しにくい。
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十数年ぶりに読み終えて、深いふかいため息のようなものが唇をついて出た。ため息の大部分は驚嘆であり、賛嘆である。一章ごとに、苦悩と崇高と哄笑が炸裂し、読者の胸に食い込んでくる。「うん、ここは覚えている。そうだったな~」とうなずいていたのは最初の数十ページだった。わたしはたちまち「新しい体験」のなかに投げ込まれることとなった。読むたびに「新しいドストエフスキー」。こういった体験をとても2000字程度 . . . 本文を読む
いうまでもなく、世界の名作としてつとに評価が高い、ドストエフスキーの代表作。
これ一作でもすごいのに「白痴」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」と超弩級の傑作長編を四編も残している。いや、まだある。「地下室の手記」や「永遠の夫」、あるいは先日読んだばかりの「死の家の記録」。こういった作品が後世の文学、思想に与えた影響ははかり知れない。「もういまさら付け加えることなどな~んにもないぜ」といわれそうであ . . . 本文を読む