二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

ニコンF3伝説

2010年12月19日 | Blog & Photo
今日はいささかマニアックに、カメラにまつわる思い出話をひとつ書かせてもらおう。



かつて、20年に渡って現役をつづけ、製造された1台のカメラがある。
それがニコンF3。
ニコンF
1959年―1974年
ニコンF3
1980年―2000年

これほど長く販売されつづけた機種はほかにないだろう。あのFでさえ、15年なのに。
昔大原麗子のコマーシャルに「少し愛して、長~く愛して」というセリフがあったが、まさにあの感じ(^_-)

学生時代にはじめて買った一眼レフがキヤノンAE-1だったせいで、そのあと、A-1、T70、T90と、ずっとキヤノンのカメラを使ってきた。オートフォーカス時代はEOS650にはじまり、EOS10、EOS5とプラスチックカメラの愛用者だった。
「はぐれ雲」という写真サークルを運営していたころ、日常に密着した、すぐれた生活写真を淡々と撮影している、若いNさんがいた。メイン機種はニコンF3。レンズはたぶん、50mmF1.4だったと思う。
キヤノンのカメラとズームレンズをつぎつぎと買っては使っていたわたしは、その息の長い、ゆったりした「つきあい方」に羨望を覚えたものだ。



ライカではないけれど、そうして使い込まれ、真鍮の地金が出て、ますますカメラマンの手との一体感がましていく「すごさ」。
わたしがこのF3を買うことになったのは、2002年か、3年ころ。
中古カメラショップで、程度のいい後期モデルが、50,000円くらいはしていた。
50mmF1.4はもらいものだが、その後、FM2も手に入れたから、28mmF2.8、55mmマイクロF3.5を調達し、さてさてと考えていたところ、仕事に追われなどしてもたもたしてしまい、気がつくと、すっかりデジタル新時代に突入! ・・・とあいなってしまったのだ(=_=)
だから、わたしのものになってからの歳月は長いが、通したフィルムは2、30本と、寥々たるもの。



F3はいろんなヴァリエーションが存在する。わたしのは、ノーマルタイプのHP(ハイアイポイント)というタイプ。
これである。かなり大振りのファインダーだけれど、メガネ使用者のために開発。接眼レンズから2.5cmくらい離れても、全視野を見渡すことができる。

ファインダーはむろん着脱式。
1年ばかりまえ、空シャッターを切ろうとしたら、電池切れで動かなかった(1/60のメカニカルのみ作動)。
というわけで、今日はダイソーへいって、LR44というボタン電池を買ってきた。
これがそれ。
2個で100円。



シャッター、モルト、ファインダー、巻き上げトルクの感触、すべてOK.。
ペンタックスSPやOM-1の露出計はその寿命が尽きてしまっているが、こちらはまだだいじょうぶ。



ファインダーをはずすと、ミラーが左右逆像の外界を映し出す。
軍艦部の偉容は、マニアを痺れさせること請け合い、溝にほこりが溜まるので、手入れするには綿棒がほしくなる(笑)。



このカメラとのいちばんの思い出は、旅好きの友人と出かけた高野山。
RDPを10本ばかり持っていって、キヤノンのEOS5と併用した。レンズは50mmだけ。
宿坊に一泊し、宿願を達した高野山とF3は、わたし的にはわかちがたく結びついてしまっている。あれほどの宗教都市がわが国にあったとは! 一泊したあと、大阪へ立ち寄り、高速バス泊して、早朝5時に新宿へ着いて、喫茶ルノワールでモーニングセットにありついた。

それから新宿スナップ。
ところが、東口紀伊國屋そばの縁石に腰をおろし、フィルムを詰め替えていたら、大事なF3がガタンと路面に落下。あわてたが、傷らしい傷もつかず、ほっと胸をなで下ろしたものであった。

そのころはもう、コンデジの初期モデルなんかを使いだしていた。
しかし、いまとは違って、ほとんどオモチャ。ここ一番! の信頼を寄せることができるようなシロモノではなかった。
このあいだ、カメラのキタムラのショーウィンドゥを見て歩いていたら、F3が4、5台ならんでいたが、FM2よりはるかに値が安い。
メカニカルシャッターではないから、壊れると、メンテがむずかしい・・・という事情があるのだろう。販売台数が多く、在庫がだぶついているのも理由のひとつかな?

マニアのあいだでは、なかば伝説ともなっている、日本製カメラの名機は、ほかにもいろいろあるだろう。
わたしはF3を肩にかけて、高野山へ空海に遭いにいってきた。
「入定」した空海は、うっそうたる杉木立の薄暗がりのなか、奥の院に鎮座している。
わずか数年で見向きもされなくなってしまういまのデジタルカメラ。
一台一台にその折節の思い出が刻まれた銀塩フィルムのカメラ、レンズたちは、お金に困ったとき、その大部分を処分した。しかし・・・F3は残しておいて、ほんとうによかった。
F3で撮った高野山。あのフィルムはいま、どこに眠っているのか(笑)。


つぎの一枚はおまけ。



森山大道「何かへの旅」(月曜社刊)3,600円+税
1971―1974年
森山さんが当時「アサヒカメラ」「カメラ毎日」など、雑誌に発表したものを2009年に復刻。
いただいた商品券で、先日、買うことができた。わたしにとっては、ほかのフォトグラファー数人の写真集とならんで、コンテンポラリー・フォトの原点といえる作品群である。


■わたしのF3ボディの製造番号 「1918147」
 この認証番号によって、製造年が判明する。

■ 写真家 (フォトグラファー、カメラマン) リンク集
http://www.genkosha.co.jp/pd/photographers
玄光社
ここはフォトグラファーのリンク集としてはいちばん大きいが、そのリンクが切れているものもある。
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