二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

世界のピアニストを考える

2013年01月11日 | 音楽(クラシック関連)

今年の冬将軍は、例年になく強力なので、あまりムリをして街撮りなどへ出かけず、温かい部屋でのんびりした休日を送ろうと慎重にかまえ、このところ、かつてなく熱心にCDを聴いて過ごしている。
・・・というわけで、本日は世界のピアニストについて、わたしの考えをちょっと書いておこう。

20世紀を代表するような、世界最高のピアニストといっても、多士済々、いろいろな演奏家が思い浮かぶけれど、そこからたとえば5人あげるとして、だれの名がノミネートされるだろう。
わたしは聴きはじめたのがもう昔のことなので、1950年代、60年代、70年代に活躍したピアニストの印象がとても強烈で、まず彼らが頭をよぎる。

バックハウス
ケンプ
グルダ
アシュケナージ
ブレンデル

このあたりのCDは、クラシックを聴きはじめたころ熱心に耳をすました。したがって、初心者の「刷り込み効果」もあって、巨匠というと、まずこの人たちを思い浮かべる。
バックハウス、ケンプはベートーヴェン、グルダはベートーヴェンとモーツァルト、アシュケナージはオールマイティ、ブレンデルはシューベルトといったぐあいに、その組み合わせも、おおむね決めてあった。
ほかに、ショパンならルービンシュタイン、シューマンならホロヴィッツと、いくつかの「定盤」があった。コルトーやアラウ、ギレリス、ミケランジェリはあまり馴染みがなかった。

だれがいちばん偉大なピアニストか・・・という質問は、気になるとはいえ、まあ、愚問といっていいだろう。いくら天才とはいっても、得意・不得意があり、問題は「だれをどの演奏家で聴くか」というところに集約される。
この場合でも、たとえば、モーツァルトはだれがもっともすぐれていて、だれがだめ・・・とは一概にはいえないし、受容者の視野を狭めるだけだろう。わたしはそう考えることにしている。

カメラなんかは、惚れたら「痘痕もエクボ」といったたとえのように、ある決まった、一つのメーカーに偏って、そのメーカーのカメラばかり使う人がいる。ピアニストの演奏も、ある種の“嗜好品”という側面があるから、このピアニストに惚れたら、そのすべてのディスクを集めて聴き入る・・・という人があるだろう。
指揮者でいえば、カリスマの中のカリスマ、フルトヴェングラーのファンなどが、そういう指向の持ち主だったりする。
「指揮の神様、ピアノの神様、カメラの神様」として崇めるのである。
わたしにもそういった傾向はいくらかあるけれど、ピアニストの演奏に関しては、少し距離をとって、「あれもいいけれど、これもいいじゃないか」というスタンスで接する場合が多い。

であるにしても、人間とはおおよそ、好き、嫌いの問題をいたるところにクモの巣のように、不可避的に張り巡らして生きている。
自身の場合でいえば、人気はダントツに高いようだけれど、ポリーニとアルゲリッチは、「好きではないピアニスト」の範疇に入る(^^;) 理由はよくわからないが、これまでこの二人の演奏に耳をすましていて感動した経験がないのである。
リヒテルやグールドは以前はむしろ嫌いなピアニストだった。ところが、聴きこんでいくうち、いくらか事情が変わってきた。
リヒテルは曲にもよるけれど、素直に感動できるようになってきたし、風変わりなグールドでさえ、たいして感動はないまでも、最後まで愉しむことができるようになった(^_^)/~

クラシック音楽の「名曲」は、「名曲」の数がおおむね決まっていて、一般的には20世紀中頃までに作曲された作品に限定されるから、同じ曲を、いろいろな演奏家で愉しむというファンが圧倒的多数をしめるだろう。

トップにあげたのは、最近になってわたしのところへやってきたCDたち。
ポリーニが弾くショパンの「練習曲」をはじめて聴いたのは、もうずいぶん昔・・・むかし。
わたしはこのCDによって、ポリーニが嫌いになり、「練習曲」はもっぱらフランソワ、アシュケナージで聴くことにしていた。
凄いというか、凄すぎる、まるでコンピューターのような、正確無比なタッチと、リズムなのである。
これはわたしの独断と偏見だが、情緒など、クスリにしたくも存在しない。ゴミどころか、この世界には細菌すら棲息できないような無菌室の中で、音楽というか、ピアノが鳴っている。聴いていると、なんだが息をするのが苦しくなってしまう。
このあいだ久々に聴こうとCDプレーヤーにセットしてみたのだが、やっぱり最後までは耳をすましていられなかった(~o~)

ところがこのあいだ、モーツァルトのピアノ協奏曲17番を、21番とカップリングした輸入盤CD(写真上左)を手に入れて聴きはじめたら、これがなかなかいいではないか!
わたしがモーツァルトのコンチェルト17番をこれまで聴いたことがなかったというところに、なにか原因があるのか、ポリーニの演奏が変化してきたのか?
ポリーニは昨年、このディスクのほかに、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番など数枚買ってもっているので、これからゆっくり時間をかけて、自分なりに検証してみようかと考えている。
現在まだ活動している巨匠の中の巨匠、ポリーニとアルゲリッチ。聴きこんでいけば、どこかに必ず手がかりがあるだろう。人がいいといい、人気があるといっても、それがわたしにとってそのまま必要欠くべからざるディスクになるとは限らない。

「ははあー、気むずかしいこといってますね」といわれるかもしれないけれど、これがいつわらざる心境だし、クラシックファンの大半は、わたしとよく似た経験をしているはずである。
それにしても、こうして名前をあれこれと列挙してみると、世界の有名ピアニストのうちで、わたしが「知っている」といえるのは、ほんの一握りにすぎない。
・・・愉しみはあとにとってある、というと、強がりに聞こえそうだけれど(笑)。

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