二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

司馬遼太郎「街道をゆく」(朝日文庫)を読む

2016年12月01日 | エッセイ(国内)
昭和という時代は、二人の巨大な作家を生み、育てた。
松本清張と司馬遼太郎である。この二人は途轍もなくたくさんの仕事をし、ファンのみならず、社会的にいっても、他に比類をみない影響力を及ぼした。
この二人の作家がガリバーだとすれば、ほかの作家は皆小人である。つまり「普通の人」である・・・とわたしは考えている。

司馬さんの「街道をゆく20 中国・蜀と雲南のみち」は古書店のゾッキ本コーナーに置いてあった。
杜甫を読んでいると、蜀という土地が気になってくる。その土地柄、歴史、風光に、むらむらと興趣がわいてくる。立ち読みしたらおもしろいので、買ってかえり、2/3ほど読んだので、その感想を少し書いておく。

杜甫から、司馬さんの紀行へ。蜀・・・つまり四川省つながりで、蔓をたぐり寄せた。
司馬さんが晩年は創作欲が衰えたことは、ファンならだれでも知っていることである。
現在では朝日出版がウェブに特設コーナーを設けている。

《『街道をゆく』は「週刊朝日」の連載として1971年に始まり、司馬さんが亡くなる1996年まで、25年にわたり続きました。こうして残されたのが、書籍にして全43巻を数える大紀行『街道をゆく』です。司馬さんが辿った街道は、国内は北海道から沖縄まで、そしてアイルランド、オランダ、モンゴル、台湾などの海外へと及んでいます。日本民族と文化の源流を探り、風土と人々の暮らしのかかわりを訪ねる旅。日本の来し方行く末を見定めるために、今こそ読みたい司馬さんのライフワークです。》
司馬さんが出かけたのは、1981年6月の成都。
http://publications.asahi.com/kaidou/
http://publications.asahi.com/kaidou/20/index.shtml

ご自身がどこかに書いていたが、高齢になるにつれ、フィクションを書く情熱が衰え、ドキュメンタリー、紀行文に仕事の中核を移していったのである。
とはいえ、わたしがこれまでに手にしたのは、全43巻のうち、7冊か8冊に過ぎない。
「街道をゆく20 中国・蜀と雲南のみち」は、そういう中の一冊だが、充実した内容には眼を瞠るばかり♪

いまから10年ばかり昔、親しくしていた友人から「中国四川へいくけど、一緒にどうですか」と誘いをうけたことがあった。
ところがそのころ、仕事面でも、私生活でも難破しかかって苦しんでいたわたしは、あっさり断ってしまった(^^;) 団体のパック旅行ではなかったから、いまから思えば残念至極というほかない。

司馬さんは「三国志」について書き、杜甫について書いている。「三国志」はむろん「三国志演義」のほうではなく、陳寿の正史「三国志」である。
世に有名なエピソード「三顧の礼」について、「あれは劉備が孔明を選んだのではなく、むしろ孔明が、劉備という人物を見出したのである」という指摘があるが、「三国志」への司馬さんのまなざしは、鋭い洞察をふくんだ歴史家のまなざしである。

杜甫については、つぎのような感想をもらしている。
「日本ふうにいえば、不遇といってもたかが官吏登用試験に落ちて大官になれなかっただけではないか」と。
肺腑の言というべきだろう。
いたるところに、歴史家司馬遼太郎の歴史家(昭和の歴史家)としての冷徹な目が光っているから「街道をゆく」がおもしろいのである。
司馬遼太郎の紀行文とは、そういうもので、単なる観光旅行、物見遊山の旅ではまったくない。歴史というものの分厚い地層を抉りながら、人間とはなにか、人間にとって歴史、あるいは文化、生活とはなにかとつねに問いつづけている。そして、それに答えを見出そうとしている。

また歴史を概念や類型としてとらえるのではなく、民俗学(民族学)でいうフィールドワークのように、非常に具体的な感触において、とらえることに成功している。
「その場に立って考える」こと。
こういう紀行文は「歴史紀行」というくくりをされるのかもしれないが、それを確立し、ある意味で集大成したものが「街道をゆく」全43巻であろう。

司馬さんについて歩く。
まさに極上の歴史散策である。


※さっき調べていたら、NHKで放映した「街道をゆく」が、オンラインにUPされているのに気がついた(基本的には有料サイト)。
また「街道をゆく」を追体験したいというファンの方が、立派なホームページを立ち上げている。
そういうものを見ていると、この一連の取材と雑誌における25年の連載が、司馬さんの最後の大仕事であったことがわかる(^^♪

老後、こういう本とカメラをバッグにしのばせ、一人旅をして、その記事をブログに書いていくというのは、悪い趣味ではあるまいとおもわれる。

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