二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

フォトグラファーの眼で視るフェルメールの世界(序章として)

2015年12月27日 | 写真集、画集など
昨日、温かかったので、今季はじめて前橋M霊園へ、野鳥撮影のため出撃。
以前お世話になったSさんがきていらして、ご挨拶し「今年はどうですか?」とお訊ねしたら「キクイタダキがきています」とのこと。そしてキクイタダキをあしらった名刺をいただいた。自慢したくなるような見事なショット!! 背面から撮影しているため、正面からだとまず写らない尾翼の美しい模様がクッキリ(^-^*)/

こういう秀作が撮れてしまうと、野鳥撮影に夢中になるのもむべなるかな・・・である♪
ところがその直後、ケータイがリンリンと鳴った。あ!あー(;´ρ`)
そうだ退去立会いのアポがあったことを忘れていた。
「ひゃ~、参ったな」わたしは平謝りに謝り、約束のアパートへ向かってクルマを飛ばした。

・・・というわけで、一枚も撮れず、野鳥撮影は当分お預けとなったのである。このままでは、昨年同様、年明けからのスタートとなりそう´Д` 年賀状すら、書き終っていないしね。

本日はゆっくり家を出て、紀伊國屋書店に寄り道。2冊の本を買った。
1.「犬と網タイツ」月曜社 森山大道著 定価:3500円+税
2.「フェルメール 生涯の謎と全作品」宝島社 大友義博監修 定価:1300円+税


森山さんの写真集についてはあとでふれる。
さて、昨日、つぶやきで「フェルメールについて書こう」と予告したが、インターネットで調べはじめたら、あきれかえるほど大量の情報があふれている。なにを書こうが「そんなこと、もうAさんがいっているよ」といわれかねない。
あとからのこのこ出ていって、あらためて付け加えることなど、ないのではないか?
いまはどうもそんな気分に落ち込んでいる。

■牛乳を注ぐ女
https://www.youtube.com/watch?v=eCVdlKQY4aA
とくにこれ。目から鱗の経験をする一方、自分の無知蒙昧ぶりをしたたかに味わった。
たのしくわかりやすい解説なので、フェルメールに少しでも関心がある方なら、ぜひぜひ、
ぜひ視た方がいい♪
関心がさらに深まること請け合いのすぐれた番組である。YouTubeにはいろいろなフェルメール関連動画があるが、この一本は絶対に見逃せない!!と断言しておこう。

■フェルメール館
http://homepage2.nifty.com/kenkitagawa/sub-verm.html
こちらは「資料庫」といえるようなページ。
かなり煩雑だが、わたしが調べた限り、情報量はダントツの一位だろう。


つぶやきでは「デルフトの小路(こみち)」を取り上げた。
今日は名作中の名作「牛乳を注ぐ女」など数編を取り上げて、コメントを付しておこう。



「牛乳を注ぐ女」
フェルメールは、ライティングの名手である。窓から射し込む柔らかい光を正確に見極め、「どういう光が、どの方向から、どちらへ向かって射しているのか」を、画面に定着している。
なぜこの絵にこうも魅せられるのかは、YouTubeが見事に分析している。彼はなにか作業をしている単身の女性像がとても多いが、「牛乳を注ぐ女」は、その中でもベスト3に入るだろう。漆喰の壁に打ち込まれた釘、さらに釘をぬいた痕に付着する錆までも描いているあたり、フォトグラファーとしてのわたしはただ驚嘆するしかない。
しかもそれはスーパーリアリズムの無機質なタッチではなく、静謐きわまりない情感をたたえたリアリズムなのである。
そこが素晴らしい♪



こういう写真があった。
「え!? こんなに大きなサイズの絵なのか」わたしはびっくりして資料を見直した。
45.5cm×41cm
これがこの作品の実寸法。仰天させないでくれ~(´д`;;フー



「真珠の耳飾りの少女」
こんな作品見たことない・・・という日本人はいないだろうと思われるほど、超有名な一枚である。
わたしがなぜ、以前からフェルメールが気になっていたかというと、彼の人物画の大部分は、写真の技法でいう“スナップショット”だからである。動作のある一瞬を切り取っているのである。この少女は振り返ったのだろうか、それともなにか話して、立ち去ろうとしているのだろうか?

ダビンチのモナリザと対比され「北のモナリザ」(イタリアではなく、オランダだから)といわれるこの愛くるしい、いささか謎めいた女性像は、じつに多くの人々をひきつけてやまない。
この絵は「青いターバンの少女」「ターバンを巻いた少女」とも呼ばれているが、じつに印象的な深味のある“青”のターバンが、この少女をいっそう輝かせているのは疑いない。

フェルメールは1632年にオランダのデルフトという小さな町に生まれ、43年の生涯を、そこからほとんど離れることなく過ごした画家である。
初期、中期、後期と、その作風は大きな変貌をとげている。中期になり、ライティングに習熟し、スナップショットの技法を身に着け、神話的・宗教的な世界観から抜け出して、日常生活の観察者へと方向を転じていく。



「窓辺で手紙を読む女」
これも単身の女性像、わたしの大好きな一枚である。
真紅のカーテンや手紙を読む女の顔が、別角度から、窓のガラスに映り込んでいる。窓枠と外の光が、左端にほんのわずかのぞく。
窓の外には、どういった光景が広がっていたのだろう。表情から手紙の内容を推測するのはむずかしい。しかし、いまにもまばたきし、唇が動き出すのではないかと思えるほど、生々しい臨場感をつたえてくる。
真紅のカーテンは外からの空気を、緑がかった画面右のカーテンは、室内の空気を暗示しているように、わたしには見える。
そして彼女は他人(ひと)には聞き取れないような、小さなちいさなため息をもらすのだ。

彼はマイナーながら、プロの画家として当時から名を知られていた。つまり、描くそばから、彼の絵は売れたのである。こういう日常を描いた絵を“風俗画”というらしいが、そういう需要が当時のオランダという社会の中にあったということになる。



「地理学者」
最後の引用は「天文学者」と一対をなす、この「地理学者」をあげておこう。
画面中央手前に描かれた左手は不屈の意志を、コンパスを握る右手は知性をあらわしている。
この構図や人物の描き方を眺めていると、フェルメールが非常なテクニシャンであることがよくわかる。
大航海時代、ポルトガル、スペインと覇を競うような国力があったオランダも、画家が生まれたころから、坂道をころげ落ちるように衰亡期を迎える。
しかしまだ、地理学は天文学とならんで、花形の学問でありえただろう。この男の眼には、自信と、ある種の野望のようなものが漲っている・・・とわたしには感じられる。

30数点の絵(なぜあいまいな数になるかというと、美術の世界にありがちな真贋問題が片付かないから)だけで、これだけの人気を誇るフェルメール。
彼はレンブラントのような“大画家”ではなかった。そして、小さな絵ばかりである。
しかし、数が少ないからこそ、その価値が増す・・・という現象が起こり得る。
世界中に散らばったフェルメールの「全点制覇の旅」というのが、旅行会社などでよく企画されるようである。
絵画はいくらだってコピーできる写真と違って“一点もの”、すなわち“本物”が絶対なのである。

わたしは残念ながら、複製画や動画でしか、彼の作品を知らない。こういう輩はむろん、フェルメールを語る資格はないのである´Д`

トップに置いたフォトの左にある黄色い表紙の文庫本(角川文庫)。
これは吉田秀和賞を受賞した小林頼子「フェルメール論 神話解体の試み」(八坂書房)のアンソロジーだそうである。
BOOK OFFを散歩していたら、この本と再会した。そして、フェルメールの魅力の源泉をあらためてたどってみたくなったのである。
17世紀半ば、オランダのデルフトという田舎町を舞台に活躍した、寡作の画家。その43年の短い生涯。
それがわたしのフォトグラファーとしての思いを、いままた、限りなくインスパイアしてやまない。

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