二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

鷗外の「堺事件」と大岡昇平に寄り添う

2022年08月11日 | 小説(国内)
大岡昇平といえば、“ケンカ大岡”と呼ばれたほどの文壇有数の論争家である。
湯川豊さんの「大岡昇平の時代」河出書房新社(2019年刊)も、いずれ読もうとかんがえて、ストックしてある。
戦後派作家のなかで、ただお一人を択べといわれたら、わたしは躊躇なく、中原中也の伝記を書いた大岡さんに指を屈する。
そのうえ「野火」は、ドストエフスキーの「死の家の記録」とならび、二度読みしてもまだ読み足りないと思わせてくれる、サイコーの傑作である・・・とかんがえている。

《私は頬を打たれた。分隊長は早口に、ほぼ次のようにいった。
「馬鹿やろ。帰れっていわれて、黙って帰って来る奴があるか。帰るところがありませんって、がんばるんだよ。そうすりゃ病院でもなんとかしてくれるんだ。中隊にゃお前みてえな肺病やみを、飼っとく余裕はねえ。見ろ、兵隊はあらかた、食糧収集に出動している。味方は苦戦だ。役に立たねえ兵隊を、飼っとく余裕はねえ。病院へ帰れ。入れてくんなかったら幾日でも坐り込むんだよ。まさかほっときもしねえだろう。どうでも入れてくんなかったら — 死ぬんだよ。手榴弾は無駄に受領してるんじゃねえぞ。それが今じゃお前のたった一つの御奉公だ」
私は喋るにつれて濡れて来る相手の唇を見続けた。》(「野火」冒頭)

この冒頭場面、夢に出てきて、わたしはうなされたことがある。
《死ぬんだよ。手榴弾は無駄に受領してるんじゃねえぞ。それが今じゃお前のたった一つの御奉公だ》
おそるべきひとことを、大岡さんは書き留めている。フィクションが事実を超え、真実に迫るとき。これが日本の兵隊であったのだ。
この冒頭をふくむ数ページを何度読み返したことだろうか!

ところで、数日前岩波文庫で「大塩平八郎」を読もうと思っていた。これには「堺事件」が収録されている。そこにいたって、大岡昇平の「歴史小説論」が手許にあったことを思い出した。

大岡さんの最後の仕事は「堺港攘夷始末」。
これは「歴史小説論」で鷗外を罵倒したことと深く関連している。
「堺事件の構図―森鷗外における切盛と捏造―」ほか2編は、大岡さんにとって重要な論考である。
なぜ牙を剥き出しにして、文豪たる鷗外に噛みついたのか? 
堺事件の隠された深層にせまる論考「堺事件の構図―森鷗外における切盛と捏造―」。

また「レイテ戦記」は、事実誤認が発見されるたび、死の直前まで労を厭わず書きなおしていたという。そこに大岡昇平の戦後派作家としての誠意と面目が躍如としている( -ω-)
《1972年(昭和47年)、日本芸術院会員に選ばれたが「捕虜になった過去があるから」と言って辞退した》というのも、有名な逸話。
国家による栄典を潔しとしなかったのだ。
それは「出征まで」「靴の話」を読んだときの感動とむすびついている。大岡さんは死の床にあってまで、旧日本軍の一兵士(一等兵)であったことを忘れていない。敗残兵であり、捕虜であった過去を。

■死者たちの声~大岡昇平・レイテ戦記~(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=QMJRA7-BVco


鷗外の「堺事件」を捏造とまで罵倒した執念の人、大岡昇平! 
鷗外没後100年のいま、鷗外と大岡さんの接点が気になってきましたぞ。

とはいえ、地味で稠密感たっぷりの「堺港攘夷始末」をおしまいまで読めるか・・・どうか!? 
相当な忍耐と志の高さが必要じゃなあ(;^ω^)













※レビューではないため、無評価です。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 歌枕」を買う ~猛暑の中の読書 | トップ | 大岡昇平の本3冊 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

小説(国内)」カテゴリの最新記事