二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

読みおえた本、いま読んでいる本、これから読む本

2017年06月04日 | エッセイ(国内)
(S・モーム「世界の十大小説」岩波文庫・上巻。3回目か4回目の読書となる)


これはレビューではない。
読書は写真とならんで、わたしの道楽の最たるもの(^^♪
本をめぐる個人的な随想(これは半ば死語化しているけど)である。
読書が趣味となったのは、中学2年あたりからだから、写真道楽より数年はやくスタートした。これまで何冊読んだのか、まったくのところ見当がつかない。

ミステリといっても、主として海外のハードボイルドや冒険小説だけど、そういったジャンルを遍歴し、そのあとで日本の歴史・時代小説に没頭した。後者では山本周五郎、司馬遼太郎、池波正太郎、藤沢周平あたりを、とくに熱心に読んだ。
「本はこころのご飯」なので、毎日読む。体調の良し悪しにかかわらず、ほぼ毎日、およそ50年間にわたって倦まず読んできたことになる(*^ー゚)

本というのは、わたしの場合、あくまで白い紙に黒い文字で印刷された「印刷物」のこと。
ところが、ところが・・・娘や息子たちの世代の動きを見ていると、電子書籍へと移行してきているのがわかる。Amazonのキンドル版が代表格だろうけど、ほかにもそれによく似たアプリがあって、このあいだも娘と話していたら「夏目漱石の『こころ』を、端末で読んだ」というので、いささか愕然(ノ_・。)
「だって印刷物はかさばるから、置場に困る」とのこと。たしかに16GBなり32GBのSDカードが一枚あれば、何十冊、何百冊の「活字情報」が叩き込んでしまえる。
「本に対する愛着はないの?」とあえて訊きはしなかったが「うん。だって読みたいのは中身だから」という答えが返ってくるだろう。

書物としての本にはなんら愛着はなく、電子書籍で大量の小説を持ち歩く。あるいは好きな時、Webからダウンロードする。こういう現象は、本ばかりでなく、音楽、映画などの場合も同じである。
ところが、旧世代たるわたしにしてみたら、「もの」としての書物に愛着があるから、紙の媒体からはなれることができない(笑)。
「50冊分の小説が、小さなSDカードに収まっている」といわれても、正直なところ、ピンと来ない、来ない(^ω^) 
そして、そういった本を、ものとして大切に扱うのが、「わたしの流儀」なのである。友人の中には、買ってくるとさっそくカバーを剥がし、浴室に持って入ったり、トイレで読んだりする人がいる。しかも、栞を使わないで、読みすすめたページの角を折っておく。場合によってはボールペンで傍線を引いたり、書き込みをしたりする。
したがって、彼が読みおえた本は大抵ボロボロか、さもなくば、食い散らかしたテーブルの上みたいになっているから、古書店ではまず、買い取ってもらえない。当然友人はそんなこと、苦にしない。

売却するときのことを配慮しているわけではないが、わたしには栞は必需品。傍線を引く、あるいは書き込みをする場合は、2Bまたは4Bの鉛筆を使う。蔵書の「ヤケ」も気になるから、西日が射し込むようなところへは、原則として本棚を置かない。
これまた「わたしの流儀」。
いろいろな読書人がいるけれど、「本とのつきあい人さまざま」というほかないだろう。

さてここらで、今日たまたまクルマに積んである本について書いておこう♪

■読みおえた本
○ S・モーム「世界の十大小説」岩波文庫
TOPにあげた本。
はじめて読んだのはおそらく高校時代。読書案内のつもりで買って、その年頃なりにたいへん参考になった。
数年おきに読み返したくなる本の一つ。シニカルなモームのガイド役は、読み返すたび微苦笑をさそわずにおかない。バルザックと「ゴリオ爺さん」の章、スタンダールと「赤と黒」の章、オースチンと「高慢と偏見」の章は、作家論として絶品!
モームのこの名著にならって、わが国でも、何人かの文学者が類書を書いている。
だけど、わたしの知るかぎり、モームのこの書が、ダントツにおもしろい!





○ トルストイ「戦争と平和」新潮文庫
わたしは大学へ向かう途中、駅のホームで読みはじめ、何時間もそこのベンチで釘付けになった経験がある。
大長編なので、有名なわりには、最後のページまで読み通した人は少ないだろう。
工藤精一郎さんの新潮文庫で、わたしは2回読んだが、現在は岩波文庫版も、書棚にそろえてある。
一説に500人といわれる登場人物。トルストイはその一人ひとりをじつに鮮やかに描きわけてはいるが、読書の途中、2~3日あいだをあけてつづきを読むとき、読者として混乱をきたすことがある。そのとき、藤沼貴さんの6巻本(岩波文庫)は、系図や登場人物一覧が備えてあって、まことに重宝する。
「戦争と平和」は、わたしにとってはすでに読みおえた本だが、60代になって、もう一度読み返す本のリストに入っている。



■いま読んでいる本



○ E・H・カー「歴史とは何か」岩波新書
ベストセラーより、断然ロング・セラー!!
わたしはそう信じ、行動している。写真と同じく、かなりわがままな偏食家であることを否定しない(´ρ`)

だからベストセラーや「話題作」に飛びつくことは稀。
老舗岩波新書には、わたしが長らく気になっていたロング・セラーが何冊もあり、「歴史とは何か」もそのうちの一冊。
1962年3月に第1刷り。わたしが買ったのは2015年9月の第84刷り。1刷り1万部とすれば84万部、1.5万部とすれば126万部となる。
クローチェの「すべての歴史は現代史である」ということばを援用しながら、カーは堂々と論陣を張った。
わが国の歴史家は大きな影響をうけている。歴史家ばかりでなく、小林秀雄をはじめとする文芸批評家、戦後の思想家にも深い刻印を残している。

何々とは何かというタイトルの本は、大抵は観念論の堂々巡りをする本が多いが、これはそうでもない。いま読まなければ、一生読まずにおわってしまうだろう。


■これから読む本



○ バルザック「セザール・ビロトー」藤原書店(人間喜劇セレクション全13巻)
バルザックの「人間喜劇」は、19世紀文学の脊梁山脈である。これに対抗してゾラも大部極まりないルーゴン・マッカール叢書を書いたが、ゾラの場合は、型にはまった、類型的な登場人物が多い。ゾラはゾラですごいものがあるが、バルザックはその上をゆく(^^♪

責任編集者の鹿島茂さんがどの巻でも対談を行っていて、やや出しゃばっている。しかし、わたしはこの鹿島茂さんにも、多くのものを負っている。フランス文学者、批評家として、現在最高の権威といってイイだろう。



○ 加藤郁乎「俳人荷風」岩波現代文庫
永井荷風は、およそ80年の生涯に800句を超える俳句を残しているそうである。明治生まれの文人は、正岡子規の親友であった夏目漱石を筆頭に、俳句をたしなんだ人物が多い。
しかし、荷風の俳句を、正面切って取り上げた書物は、これが最初ではなかろうか?

荷風にたいする関心は、とぎれとぎれに、もう何十年もつづいている。
小説家荷風
エッセイスト荷風
日記「断腸亭日乗」の筆者荷風
江戸文学研究者荷風
俳人・詩人としての荷風
写真家荷風
大散歩者荷風
独居老人荷風
そういったさまざまな切り口があるけれど、わたしとしては全方位的に、荷風を知りたい・・・という願望がある。彼こそ、近代文学の担い手として、1、2を争う、興味深い人物であると思っているからである。

はてさて。
これはあくまで本日現在、クルマの中にあった本というにすぎない。
明日は必ず、何冊かが入れ替わる。
このままでは、電子書籍には、生涯移行できないだろう。
何十冊もの本が親指のさきほどのICチップに収まってしまうなんて・・・あっああ~、まるで悪夢のようだ・・・いや絶対悪夢だわい(ノД`)

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