二草庵摘録

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司馬遼太郎が考えたこと5   司馬遼太郎

2010年01月19日 | エッセイ(国内)
新潮文庫から「司馬遼太郎が考えたこと」15巻が刊行されたのは、いつであったか。この第5巻の奥付を見ると、平成17年となっている。世には「断簡零墨のたぐいまで収録する決定版全集」というものがあるけれど、どちらかというと、このシリーズはこれまで全集や作品集には収録されなかったエッセイや講演記録を集めてある。
NHKが平成21年、大型時代劇として選んだのが「坂の上の雲」であり「龍馬伝」であることを考えると、司馬さんの人気はまだまだ衰えることを知らないようだ。

昭和という時代は、まことに巨大な二人の「国民的作家」を生み出した。それがこの司馬さんであり、松本清張である。大衆作家の多くは、生きて活動をつづけているあいだは人気を維持しつづけていても、死後時代の変転によってうもれていく。亡くなってもうずいぶん年月がたつのに、いまだ多くの読者を獲得しているのだから、小説界の巨人というにふさわしい二人だろう。

だが、司馬さんといえども、膨大な作品のすべてが、力作・秀作だったわけではない。
わたしがこれまでに読んだ作品のなかに、「暇つぶし」と考えなければ、終わりまで読み通せない小説がいくつかあった。わたしの判断では、純度は短編小説のほうがすぐれている。これは、清張さんや、池波正太郎さんにもいえることで、大方の賛同がえられるのではないだろうか。

この第5巻は、昭和46年2月から、47年4月にかけて発表されたエッセイ、講演記録、推薦文、アンケートなどを収録している。
長いものでは「わが空海」「異常な三島事件に接して」「『旅順』から考える」「日本的権力について」「太平記とその影響」「日本、中国、アジア」「大阪城の時代」「関ヶ原私観」などがある。

わたしは、空海は、はじめ司馬さんの「空海の風景」から入ったので、この人の空海像には、いま読んでも、深く目を瞠らざるをえないものがある。歴史の彼方からある実在の人物をらっし去ってきて、その人物に新たな照明をあててみせるのは、司馬さんが得意とするところで、空海も、信長も、益次郎村田蔵六も、秋山兄弟も、そういう人物たちであった。とにかく、歴史を鳥瞰的に、おおづかみに捉えるのが得意で、その手際の鮮やかさは天才的。

また目が澄んでいて、遠くまで見える人であった、と思う。
三島由紀夫事件に際して発表された「異常な三島事件に接して」を読んでみると、そのことがじつによくわかる。
この事件は、わたしは同時代の大事件として経験している。
だから、いまとなって、当時の司馬さんがどんな感想をもらしていたのか、関心があった。
イデオロギーやマスコミがたれ流す時代のムードには曇らされることのない、透徹したまなざし。

「イデオロギーによる諸現象というのは、その時代が去ってしまえばまるでうそのような白日夢になってしまう」
これは南朝正当論や尊皇攘夷について語られたことばであるが、そのまま、60年代を風靡し、あの三島事件の引金ともなった現象に対し、まことに冷静かつ公平な立場からの批判たりえている。日本と日本人について、これほど真摯に考えつづけた作家はいないだろうし、この人の歴史感覚も知見も、大衆小説の書き手のレベルを大きくこえている。
平成20年代のいまのわが国には、司馬さんに代わるべき人物は出ていないなあ。迷走と混迷の度を深めつつあるいまこそ、司馬さんのようなすぐれてリベラルなバランス感覚にめぐまれた人の慧眼が必要なのに。



評価:★★★★

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