二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

薔薇を愛した詩人大手拓次 ~近代詩の探索者として(下)

2020年06月29日 | 俳句・短歌・詩集
   (2019年5月撮影)


<承前>


香料(香、香水、香炉、香気をふくむ)  24編
薔薇   12編

岩波文庫でチェックすると、香料、薔薇をタイトルにふくむ作品が36編存在する。これは瞠目すべき数である。
だから大手拓次を「薔薇の詩人」と称するわけだ。
男と女の色恋のロマンではなく、孤独な詩人の枕辺にあらわれるあえかな幻影の薔薇である。
また大手拓次を「薔薇の詩人」といったとき、近代の詩人を一様に襲った、軍国日本の権力構造が精神的に重苦しくのしかかっていることも見逃してはならない。



◆薔薇忌

というのがある。だれの忌日かと思ったら、ほかならぬ大手拓次の忌日であった。
1934(昭和9)年4月18日。
だれも看とる人はなく、たった独りの臨終であったという。


  (安中市にある大手拓次詩碑)

薔薇の詩をじつにたくさん書いているので「薔薇の詩人」とロマンチックに呼ばれることがあるようである。読んでみると、ロマンチックというより、幻想的な作風なのでがっかりする読者もいることだろう。
1編引用してみよう。


■薔薇の散策
   序
こゑはこゑをよんで、とほくをつなぎ、香芬のまぶたに羽ばたく過去を塗り、青く吹雪する想ひの麗貌を象(かたど)る。
舟はしきりにも噴水して、ゆれて、空に微笑をうゑる。みえざる月の胎児よ。時のうつろひのおもてに、鏡を供へよう。

   1
地上のかげをふかめて、昏昏とねむる薔薇の脣。

   2
白熱の俎上にをどる薔薇、薔薇、薔薇。

   3
しろくなよなよとひらく あけがた色の勤行の薔薇の花。

   4
刺(とげ)をかさね、刺をかさね、いよいよに にほいをそだてる薔薇の花。

   5
翅(つばさ)のおとを聴かんとして、水鏡する 喪心のあゆみゆく薔薇。

   6
ひひらぎの葉のねむるやうに ゆめをおひかける 霧色の薔薇の花。

   7
いらくさの影に囲まれ茫茫とした色をぬけでる 真珠色の薔薇の花。

   8
黙祷の禁忌のなかにさきいでる 形なき 蒼白の 法体(ほったい)の薔薇の花。

   9
鬱金色の月に釣られる 盲目の ただよへる薔薇。

10
ひそまりしづむ木立に 鐘をこもらせる うすゆきいろの薔薇の花。
                        (以下略)

こんな調子で36番までつづく。非常に風変わりだが、1行だけで一連がつくられた、詩的には野心作というべき一編。拓次特有の、粘りけの強いことばにからめとられ、詩的言語のほの暗い淵に引きずり込まれる。

有名な詩人には、多くの読者に愛唱される代表作があるものだ。
藤村なら「千曲川旅情の歌」、白秋なら「落葉松」、朔太郎なら「竹」、賢治なら「松の針」、光太郎なら「レモン哀歌」等々。
ところが、拓次には、そういう意味での代表作がない。
詩集のタイトルともなった「藍色の蟇(ひき)」の場合は難解な象徴詩で、とても愛唱するには向かない。
代表作が一つ、二つない詩人は忘れられてしまう。
むろん拓次ばかりではなく、そういう“忘れられた詩人”が、北村透谷、島崎藤村以降、何百人と存在する。

さきに引用した「薔薇の散策」はもしかしたら、彼の代表作といえるものかもしれないが、愛唱するにはほど遠い内容である。

さらに2編、引用しておく。



■こゑ (全編)

こゑは つぼみのあひだをわけてくる うすときいろの霧のゆめ、
こゑは さやいでゐる葉の手をのがれてくる 月色の羽音、
こゑは あさつゆのきえるけはひ、
こゑは こさめふりつづく若草の やはらかさ、
こゑは ふたつの水仙の指のよりそふ風情、
こゑは 月ををかしてとぶ 鴉のぬれいろ、
こゑは しらみがかってゆく あけぼのの ほのむらさき、
こゑは みづをおよぐ 銀色の魚の跳躍、
こゑは ぼたんいろの火箭(ひや)、
こゑは 微笑の饗宴。
   ・・・「藍色の蟇(ひき)」以後(昭和期)


■雪色の薔薇 (全編)

またしても 五月のゆふぐれにきて わたしの胸にさくばらのはな、
ひとつの影を ともなひ、
ひといろの にほひを こめて、
さよさよと咲く ばらのはな。

ゆふぐれの あをいしづけさのなかに咲く
しろい 雪色のばらのはな、
こころのなかに 咲きいでる
さざめ雪のばらのはな。

あはれな あはれな 雪色のばらのはな。
ことばをなくした こゑをなくした
ちらちらする おもひにふける ばらのはな。

ひとりの ひとりの ばらのはな、
眼をとぢた 雪色の あをあをとするばらのはな。
   ・・・「藍色の蟇(ひき)」以後(昭和期)


  (拓次の筆跡)

さて、いかがであろうか?
名詞を列挙し、錐を揉み込むように空虚な内面へ下りていく。「薔薇の散策」でもそうだが、彼はイメージをひたすら蒐集する。それによって、内心の虚無を塗りつぶそうとするかのごとく。
悲しいとつぶやいても、だれも振り向こうとはしない。だから、おそらく「悲しい」「虚しい」というかわりに、これらのイメージを集めたのだ、まるで花束ででもあるかのように。
わたしには、そう映る。
出口のない孤独な世界に生きた詩人と一口にいうが、たとえば中原中也と大手拓次では、その詩的世界はまったく異質である。

なお、ここで詩の身体ともいうべき日本語についてふれておくなら、近・現代は、比較的安定していた中世、近世に対し、いちじるしい混乱の時代である。
元来が、表意文字と表音文字が混在する、世界的にもめずらしい言語である日本語。
そこに、口語という新たな表記の可能性がくわわる。
素材としての口語的表現を用いて、詩的世界をいかに構築していくのかは、現在から想像するより多くの困難をともなったはずである。

大手拓次の詩は、こういった困難のなかから生み出されてゆく。表記のゆれも激しいし、文語的表現から抜け出すため、ひらがなを積極的に活用している。
中原中也や大手拓次は、このような日本語と格闘しながら、詩的世界をつくりあげていった。
戦後になって、さらにそこに、旧かな遣いの問題と、“新漢字”の問題がくわわる。
旧かな遣いは、彼の作品に、表記のうえでふところの深さを感じさせる陰翳をもたらしている。
これらを新かなに変換してしまったら、じつに味気ないものになってしまうだろう。


  (薔薇の詩人大手拓次 ネット上の画像より)


  (岩波文庫 大手拓次詩集)

岩波文庫版「大手拓次詩集」にみられる、ほの暗い古井戸のような詩人大手拓次の詩と真実。
大正期から昭和初期(昭和9年死去)に、一冊の詩集も残すことなく、ひっそりと町の片隅に生きた詩的言語の尖鋭なチャレンジャー、ユニークな言語美への探索者。

しかも彼の詩的世界は、ここに引用した作品にとどまるわけではない。翻訳詩や文語詩、散文詩、また書き散らされた個性的なスケッチ群については、いずれ考察する機会があるだろう。



※ 以上、おしまい//
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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