二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

一編の詩と再会 ~「水」

2018年06月02日 | 俳句・短歌・詩集
  (こんなに美しいうろこ雲にはその後出会っていない。2013.12.17撮影)



本日は自己宣伝のために詩を引用させていただく。
詩的言語に関心のない方は遠慮なくスルーしていただきたい(^^ゞ


■1-10(2011.6.4)
「水」

空気の指が半袖になった腕にふれる。
一日一日 初夏の気配が濃くなっていくね。
ぼくがキタテハやアカスジキンカメムシと戯れているあいだにも
刻一刻と 変化してやまないものがある。
ぼくはペットボトルにつめた水道水をクルマに積んで持ち歩き
ふと思いついては それを飲む。
体重の八十パーセントが水分だとしたら
ぼくという存在は ぼくという形をとった 五十キロほどの水なのだ。

おしっこや涙やよだれ。
ビールを飲み ウィスキーの水割りを飲み コーヒーやコカコーラを飲む。
いったどれくらいの水が この一日に出たり入ったりしているんだろう?
二リットル・・・いやもっと多いかもしれない。

水をよごすと 体内がよごれる。
ごみや廃液 放射能で。
遠くから大きな雨雲が近づいてくる。
雨がやんで 陽がでて
群馬大橋の東に大きな虹がかかるのを眺めていたことがあった。
水のしわざ 水の変幻。
このあいだも「薔薇のしずく」を撮影し 
水のたたずまいに魅せられたばかりだが――。

水は器にさからわない。
ひょうたん型にも 丸にも 四角にもなる。
あらゆる場所に浸透していく。
ほんのわずかなすきまさえあれば。
したたり落ちて 硬い鉱物をうがったりもする。

人間とはなにか?
哲学者や文学者がむずかしいことを書いているけど
「水を飲む存在である」って定義はどうだろう?
人間は動物だからね。
「あなたはだれでしょう。
今日 なにを どのくらい飲みましたか?
飲んだのはなぜですか?」
その細胞の一個 一個にしみわたっていく水。
気体や固体や液体に変化し 
大気中をたえまなく循環しているもの。

水がきみの体へ入り
しばらくとどまってから どこかへと出ていく。
H2Oが大量に存在するこの星の一日の中でぼくは働く。
体重の八十パーセントが水分だとしたら
ぼくという存在は ぼくという形をとった 五十キロほどの水なのだ。
肌には保湿力があって ぼくの体はかすかな水を介して
外界に接している。

心地よいひととき。
水がぼくの体を出入りする。
初夏の微風がその肌をなぶる。
汗と名づけられた水を
眼には見えない遠方へはこび去るために。
少し姿を変えて ビールやコーヒー
その他の別名で また帰ってくるその一日のために。



※このところ、自分で書いてきた詩のバックアップを作っている。
編集しなおし、そうしてフラッシュメモリに保存する。
書いてきたすべてが「保存するに足る」作品だとは思えないが、
時間がたったため、非常に客観的に、他の人が書いた詩のように自分の詩を読むことができるようになったのだ。

超一流の大詩人と較べてもらっては困るが、この「水」はわたし的には秀作の部類に属する・・・と思えたので、再掲載させていただいた。この一編を書いたのは2011年6月4日、ほぼ7年が経過したことになる。


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