二草庵摘録

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卓越した日本文学概論 ~大岡信小論 (1)

2020年08月22日 | 俳句・短歌・詩集
   (「日本の詩歌」岩波文庫 2017年刊。背景はわが家の玄関ドア)



◆「日本の詩歌 その骨組みと素肌」(岩波文庫 2017年刊)を読む


骨組みと素肌とあるように、骨格のしっかりした、大学のゼミか特講ででもあるかのような論考である。
丸谷才一さんの「日本文学早わかり」に触発されたせいで、わたしは漢詩人菅原道真と、「古今和歌集」について、大岡さんの話に耳を傾けたくなったのだ。
僚友谷川俊太郎さんに「理解魔」(川崎洋さんだったかな?)と渾名された本領発揮。
研きぬかれた躍動する知性と、繊細な感受性のアマルガムが、こういう論考を生み出す。

活きのよさが漲る文体、見通しのよい仕上がり。少々長めのあとがきをふくめ、文庫本で225ページ。そこに、著者の思いの丈がぎっしりつまっている。
目次を掲げておこう。

一 菅原道真 詩人にして政治家
二 紀貫之と「勅撰和歌集」の本質
三 奈良・平安の一流女性歌人たち
四 叙景の歌
五 日本の中世歌謡

これはコレージュ・ド・フランスにおける五回の講演録なのである。日本の古典文学研究者ベルナール・フランク教授が、著者のためにフランス語に翻訳し、大岡さんがフランス語で講演に臨んだのだそうである。
念のため、文庫に付せられた内容紹介をそのまま引用しておく。


  (大岡信。ネット検索で拝借しています)

《日本の叙景歌は、偽装された恋歌であったのか。勅撰和歌集の編纂を貫く理念は何か―。日本詩歌の流れ、特徴のみならず、日本文化のにおいや感触までをも伝える卓抜な日本文化芸術論。コレージュ・ド・フランスにおける全五回の講義録。》

内容が濃く、しかも初心者にもわかりやすいのである。フランス人に向けた講演記録なので、こういう切れ味のするどい本ができあがった。
わたしはこんなすばらしい古典文学入門書は、これまで読んだことがなかった。
いや、一冊だけ読んだ覚えがある。
山本健吉「古典と現代文学」である。読んでいる途中、これは山本さんの名著と双璧をなす仕事ではないかと、わたしには思えた。

第一章の「菅原道真」からしてワクワクもの。
第三章「奈良・平安の一流女性歌人たち」も第五章「日本の中世歌謡」もガイドBOOKとして、類書をしのぐ上質な出来映えであろう。
すでに「菅原道真」や「紀貫之」といった、本格的な著作があるため、それらを基礎としたいわば名人の“ひと筆書き”のおもむきがある。
わたしはかねがね読みたいと思いつつ、ハードルが高いだろうと懼れ、いまだ「菅原道真」「紀貫之」を読んではいない(^^;)

20年以上にもわたって、朝日新聞の巻頭コラムを飾った「折々のうた」を知らないという人はいないだろう。よほどの朝日嫌いでないかぎり。岩波新書その他から、「正」「続」となって、何冊も刊行されている。わたしも10冊前後は読ませていただいた。

本書ははじめ講談社から単行本として刊行され、そのあと岩波現代文庫に収録された。そしてさらに、2017年になって、岩波文庫の一冊として、みたび刊行にいたった経緯がある。
あとがきで、著者はつぎのように意気込みを語っている。

《私は、簡単に言って、日本の古典詩歌なんぞまったく知らないし、一旦興味がないとなれば、たちまち私を見捨て、次の週から二度と姿も現わさないであろう聴衆を、何が何でもわが陣営に引きずりこんでやる、というくらいの心がまえで、講義に臨んだのであった。》(本書224ページ)

8世紀初頭からはじまったとされる日本文学に対し、著者にはたいへんなつきあいの蓄積がある。
しかも、このパリにおける講演を機会に、「これまでだれもいわなかったこと」をいおうとつとめている。そこに“凄み”がある。期待に応えようとしているわけだ。
詩人にして政治家・菅原道真とは、いかなる人物であったのか。柿本人麻呂についてはすでに十分すぎる研究がなされてきたが、漢詩人道真について、このように熱く語ってくれた人が、これまでいただろうか?

あるいは、下層民たる遊女たちが残した歌謡集「梁塵秘抄」「閑吟集」の本質を、このようにずばりと指摘してみせた入門書が、これまであったろうか。
大岡さんは、日本文学における“女性がはたしてきた役割”の重要性を強調する。
笠郎女(かさのいらつめ)
和泉式部
式子内親王

この三人にスポットをあてて、相聞、すなわち恋の歌が、日本の詩歌のまことに独創的な和歌の底辺を形成するものであることを解き明かしていく。中国の詩歌の伝統や、西洋の詩歌に対して・・・ということだが。

一講義が二時間。第五章「日本の中世歌謡」のみ約三時間。
その制約があるため、核心部分だけを取り出したのである。コレージュ・ド・フランスの教室はつねに満杯で、途中退席した聴衆はいなったそうである。

「蕩児の家系」「うたげと孤心」が、大岡さんの代表作だと思い込んでいたが、この二冊を、わたしは最後のページまで読み通すことができなかった。
21世紀もすでに20年を閲しているが、現在のこの時点で日本の古典文学を読み解くにあたって、丸谷さんと大岡さんは、逸することができない、flexibleな洞察力にめぐまれた批評家である・・・とわたしはかんがえるにいたっている。

《女性の恋愛の歌が、その痛切さにおいても抒情的な迫力においても、男性のそれより一般的にすぐれていたとすれば、それは言うまでもなく、彼女らがそれだけ厳しい条件を背負って恋をせねばならなかったからでした。》(96ページ)

さらに、視点を切り替えて、《中世日本歌謡では、男たちよりも女たちの生き方の強さ、潔さの方がきわだって印象的》である、と大岡さんは述べている(212ページ)。
笠郎女、和泉式部、式子内親王など、王朝の歌人が残した和歌の数々はこれまで、ことあるごとに紹介されてはきたが、乱世たる中世において、歌謡の世界で、また違った美しい絢爛たる花を開花させたことを、江戸期はむろん、近代に入ってからもしばらく、多くの人たちは気づくことがなかった。表現として下等なものと遇されてきたのだ。

そこでの主役は無名の「浮かれ女(め)」、すなわち遊女や芸人。
また後白河院が「梁塵秘抄」の編纂にあたって敬愛を捧げた名歌手「乙前(おとまえ)」はこういう階層の女であったという。このことをはじめてわたしは知った。

名のある男たちが公的な、建前の世界に生きたのとは異なり、彼女たちが、プライベートな、本音の世界に生きた、生きざるをえなかったことを、著者はこの短い本で素早く浮き彫りにしている。それは「感動的な光景」ですらあるのではないだろうか。
もっと引用したいところがあるが、このくらいでやめておく。大岡さんは、女性読者におもねっているわけではない。

本書は今後も、多くの読者に支持されるだろう。著者にとっては、いい足りないことだらけであるにせよ、ガイドBOOKのふりをした名著である、とわたしは確信する。
とくに古典文学初心者におすすめの一冊!


  (代表作の一つ「折々のうた」第一巻。岩波新書)


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