二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

水いろ駅(ポエムNO.21)

2011年06月30日 | 俳句・短歌・詩集
天がうっすらとしたスカイブルーから深いるり色の輝きに変化し
一刻 一刻と移ろっていく。
金星がゆっくりと 太古と同じ角度から
地平線に突き出した岩山 妙義山の上方に姿をあらわす。
ねぐらへと急ぐ鳥たちの影 影。

ぼくは利根川のほとりの水いろ駅にたたずんでそれを見あげている。
十年前にも 二十年前にも 三十年前にもそんなことがあった。
記憶の後頭部にある 関東ローム層。
どんな解釈をもはじき返す硬質なイメージの薄片が
何千枚ものセピア色の写真のようにそこかしこにうもれている。
そして 小さな古い駅も。

ああ ずいぶんと遠くから雷鳴のようなものが聞こえる。
なにかとてつもなく巨きなものが壊れたのだ。
多くの人や生きものたちが死んでしまったり 死にかけたりしている。
だけどぼくは水いろ駅の木のベンチにもたれてぴんぴんしている。
どこにいくために人びとはここにいるんだろう?
電車はいつまでもやってこない。

ごうーという地鳴りのようなものが聞こえてきたがすぐにやんだ。
いつまでもやってこないが
いつかやってくるものを待っている。
そんな感覚が 人びとの日常やぼくのこころにひそんでいる。
あの世へと旅だった生きものたちは
みんなこの駅を通っていったのだろう。

笹藪が風に吹かれてさわさわ音をたてているね。
愛する犬や愛する猫がこの腕の中で息をひきとった日にも
ぼくはこの駅へとやってきたんだ。
その前にも そのあとにも
なんどとなくここへやってきては
・・・結局どこへも旅立ちはしなかった。
見送る人びとの声なきざわめきを全身に浴びながら。
到着するもの 出発するもので
ここいらはいつも混雑している。

昼と夜の境界線があいまいなまま
汀のように弓なりにあちらへと消えかかる――
そんな時刻に 水いろ駅は出現する。
水いろ駅はそこにある。






註1:“水いろ川の水いろ駅”は宮沢賢治の「青森挽歌」、
「水いろ川の水いろ駅
(おそろしいあの水いろの空虚なのだ)」に拠っています。
註2:写真と詩は直接の関係はありません。

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