二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「百年後の未来より」 ~「シベリアの旅」とチェーホフ日記

2017年03月23日 | ドキュメンタリー・ルポルタージュ・旅行記
つい数日前、岩波文庫「<春>のリクエスト復刊」というシリーズで、チェーホフの「シベリヤの旅」を手に入れた。
本書には、
1. グーセフ
2. 追放されて
3. 女房ども
4. シベリヤの旅

の4編が収録されている。訳は神西清さん、文庫で160ページあまり、「シベリヤの旅」はチェーホフの紀行文だけれど、ほか3編は短編小説。「グーセフ」だけはかつて読んだ記憶があるが、ほかは初読である。

わたしは司馬さんの「殉死」となかば並行しながら、「シベリヤの旅」を読み、舌を巻いた。
バッドトリップ(Budd Trip)ということばがある。現在では薬物に対する「悪酔い」という意味で使われるらしいが、わたしはそれを、文字通りに思い浮かべた。
「悪い旅」
ドストエフスキーの「死の家の記録」はわたしにとっては忘れることのできない“凄み”のある作品であることは以前書いた。
それをまざまざと思い出すような、そういう紀行文となっている。シベリア鉄道開通前のシベリアが、これほどのものだったとは、狭いこの温順な列島に住み暮らす日本人には想像できない。
シベリアやシベリア鉄道というと、戦後生まれの日本人はロマンチックな幻想をいだきがち。しかし、現実は単なる「未開地」にとどまらず、人間の生活に対して過酷極まりない、悪天候の荒蕪地である。

このことを、彼はこれでもか、これでもかと描写している。しかも、そこに村があり、百姓や大工などの職人、郵便配達、少数の女たちが暮らしている。道は悪路の連続。巨大な河川の驚くべき氾濫が、その前途をさえぎる。途中にはドストエフスキーが収監されていたオムスクの監獄があり、その行く手には流刑の島サハリンがある。そこは遙かな、はるかな土地。
この世の涯であり、地獄だか煉獄だかの一丁目であり、二丁目である。
モスクワからほんの100キロ、200キロは鉄道で移動できるが、そこからさきは馬車となる。チェーホフを乗せた馬車は、悪路を突っ走る。

本書にも地図があるが、ほんの参考程度。浦雅春さんの「チェーホフ」に、このときの旅の経路が詳しく載っている。
アムール河畔に出てからは、汽船で川を下り、サハリンへと到着している。
20世紀の初頭までは、長旅といえば、快適とはほど遠い命がけの行動であった(^^;) 生きてふたたび帰れる保証はない。

ところでこの「シベリヤの旅」や「サハリン島」は、これまでわが国では無視されるか、不当に低く評価されてきた。近ごろになって、ようやく、一部の読者が注目するようになったようである。わたしもその一人だし「サハリン島」はこれから読むところ。ルポルタージュ文学のさきがけとなったことは、ほぼ間違いないと想像している。しかも、そこには非常に興味深い人間に関するエピソード満載のはず(「シベリヤの旅」のあるエピソードを引用しようとおもったが、長くなるのでやめておく)。

知りあいに「チェーホフを読んでいるんですよ」と話すと「ああ、チェーホフね。なにがお好きなんですか? わたしは『ワーニャおじさん』かな、まあ『桜の薗』も素晴らしいけど」といったような反応が返ってくる。「キマリ文句」であり、晩年の代表作だけを読んで、チェーホフがわかった顔をしている。「チェーホフはわれらが同時代人」という表現もよく見かけるけど、なにしろ彼が死んですでに百年以上が過ぎ去ってしまった。

そんなことを考えながらネットの情報を検索していたら、チェーホフへの手紙をつづったつぎのページを発見した。

「チェーホフ日記」百年後の未来より
http://sachiko.way-nifty.com/chekhov/

うん・・・うん。
そうだなあ、そうですね。ファンという意味ではあなたに遠及ばないながら、あなたにこころから共感いたします♪

チェーホフが夢想した百年後。
われわれは、その「百年後の人」なのである。

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