二草庵摘録

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ウジェニー・グランデ(純愛)  オノレ・ド・バルザック

2010年01月07日 | 小説(海外)
書評をアップしようとして、レビュー欄をのぞいたが、バルザックの「ウジェニー・グランデ」がない。この作品を読もうとしたら、古い文学全集を買ってくるか、高価な「バルザック全集」を手に入れるしかないのか・・・と思ったら角川文庫で見つかった。「純愛」という、口当たりのいいタイトルになっているけれど、売るためには仕方ない戦略なのだろう。

「赤と黒」スタンダール 1830年
「ウジェニー・グランデ」バルザック 1833年
「ボヴァリー夫人」フローベール 1857年

ドストエフスキーは、若いころに、フランス文学から、たっぷりと影響をうけながら、作家的出発をしていった。
彼は「ウジェニー・グランデ」のロシア語への翻訳者として知られる。フランス文学における、19世紀の代表作を3つあげろといわれたら、このあたりに止めをさすと高い評価をうけているはずなのに、わが国におけるこの冷遇はひどすぎる。

イギリス文学にもフランス文学にも、守銭奴というキャラクターがあって、昔からなかなかの人気を誇っていた。シェークスピアなら「ベニスの商人」、モリエールなら文字通り「守銭奴」があり、バルザックの「人間喜劇」では、ゴプセックと本作のグランデじいさんが、それにあたる。

読めばわかる通り、グランデじいさんは、ゴプセックとはやや趣がことなる。
後者には酷薄極まりない、ある種の「金銭哲学」があるのに、前者にはそれがないように見える。利にさとく、ケチで、営々と蓄財にはげむモンスターおやじ。
家のなかでは家長として猛威をふるい、社会的なつきあいもろくすっぽできないような男である。この男が住んでいるのは、パリ南西の片田舎、ソーミュール郊外。

バルザックは、よく知られているように、「人間喜劇」において、パリ生活情景、地方生活情景、田園生活情景と、三通りの舞台背景を用意し、これによって、壮大な時代の風俗絵巻を構築した作家である。
本作は地方生活に属する一編で、これを書いたとき、34歳。「ゴリオ」が書かれる前年にあたる。

かつては桶屋だったが、いまでは葡萄づくりをやっているグランデじいさんとその娘ウジェニーをめぐる9年間の物語が、本作の骨子となる。
ウジェニーはこの男の一人娘。 バルザックが描きたかったのは、しかし、グランデじいさんのほうだろう。そういう意味では、主人公はウジェニーではなく、じいさんのほうである。
この男の特異性を際だたせるために、バルザックは、一人娘に「愛の殉教者」という役割を負わせた。娘ばかりでなく、妻までが、グランデに徹底的に虐げられる。
忙しいと、ほとんど寝ずに仕事をする。昼飯は立ったままとる。妻にはきまった金しかわたさない。「秘密の部屋」に相当量の金貨を貯め込んでいるが、そこに立ち入れるのは、グランデ一人である。

こういう人間のすさまじさが、これでもか、これでもかと執拗に描写されていく。
ここには、作者バルザックのいわばフェチズムがあるのである。酒も女も、博打もやらない。欲望は、田畑の収益と、それを投機などで運用して、もうけを出すことに、ひたすら注がれていく。わずか、1フランにさえ、この男の欲望が注がれる。バルザックは読者に印象づけようとしていくらか誇張してはいるが、それにしても、このキャラクターは、際だった存在感をもって、読者にせまる。ディテールがびっしりと描き込まれているため、この男の風貌や、この男の足音、この男の声がつたわってくる。そのあたりの作家的力量は驚くばかり。構成もととのっていて、名作の名に恥じないものである。
「わたしの周辺には、このグランデじいさんによく似た守銭奴が、何人かいる」
そう思わせることこそ、バルザック的達成のなによりの「証」であろう。

しかし、この守銭奴にも、死がやってくる。
このあたりから、わたしはすっかりバルザックのペースにのせられてしまった。
金への執着が生み出した、途方もない財貨。とはいえ、末期をむかえたとき、ひとはそれを携えて「あの世」に旅立つことはできないのである。
バルザックは、キャラクターを創始し、誌面に躍らせる名人だった。
たとえば、のっぽのナノンという下女を見るがいい。
「われわれは皆、ゴーゴリの『外套』から出てきたのだ」とは、よく知られたドストエフスキーの名文句。ここでいう「外套」は一個の作品のことではなく、だじゃれのようなものだろう。19世紀のロシア文学ほど、日本の近代小説に大きな影響をあたえた文学はない。
だが、そのロシア文学を丹念に読んでいくと、そのさきに、19世紀という時代をリードしたフランス文学が浮かび上がる。なかんずく、バルザックの仕事が、圧倒的なボリュームで、立ちはだかってくるのは、いかんともしがたいのである。


評価:★★★★★

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