二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

食いしん坊だった正岡子規その他のこと

2013年02月20日 | エッセイ(国内)
<キャッツフードを食べおえて立ち去るキャンディとそれを見送る今日のテンちゃん>


正岡子規が稀代の食いしん坊だということを教えてくれたのは、たぶん、山田風太郎さんの「あと千回の晩飯」だったと記憶している。
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20090613/p3
この本はかなり売れて、ベストセラーにせまる勢いがあったから、お読みになった方もおられるだろう。わたしは文庫本になるのを待ちかねて買い、むさぼり読んだ。

うろ覚えで恐縮ながら、そこに正岡子規の食にまつわるエピソードがいくつか紹介されており、これにインスパイアされるようにして、「病床六尺」「仰臥漫録」を読んだ・・・ということはすでにどこかに書いた。

このあいだ岩波文庫「飯待つ間(めしまつま)」を手にしたのも、この本に収録された「くだもの」という子規のエッセイが読みたかったから。
いやー、こんな痛快なエッセイはそうめったにあるものではない。
本書のタイトルとなった「飯待つ間」も悪くはないけれど、この一編といえば「くだもの」にとどめをさす。

彼は自分でも認めているように、異常なほど食い意地の張った男であった。
「仰臥漫録」にも、今日はなにをどのくらい食ったと、事細かに書かれてある。脊椎カリエスの病状が日に日に悪化し、その苦しみとたたかい、のたうち回りながら、食えるものを、食って食って、食う。迫りくる死を見つめながら、阿修羅のごとく食っている。

「くだもの」は、彼が旅先で食べた、いわば忘れられぬ「くだもの」の思い出話。
彼はくだものがなににもまして好きなのだという。
巻頭にはなにやらしかつめらしい前置きがあり、それから「くだものと余」というプライベートな話題へと移ってゆく。
そしてさらにそれにつづき、四つのくだものにまつわる思い出話がはじまる。
・覆盆子(いちご)を食いし事
・桑の実を食いし事
・苗代茱萸(ぐみ)を食いし事
・御所柿を食いし事

どの一編も非常にすぐれた「写生文」のお手本のような文章である。
わたしは紀伊國屋で立ち読みし、この部分を二ページばかり読んで、買うことに決めたのであった。
このエッセイを読んでいると、まったくのところ、彼がむさぼり食ったというくだものを、読者も食いたくなる(^_^)/~ 子規は何事に対しても、真剣勝負で挑みかかる。短歌・俳句しかり、ベースボールしかり、食い物しかり・・・。渾身の力がこもっているから、それを眼にした周囲の人間たちを巻き込んでいく。
若かりしころは、まだ教師だった漱石すら「子規の一周辺人物」にすぎなかったのである。

つぎに「御所柿《ごしょがき》を食いし事」を全文引用しておくから、興味がおありの方はどうぞ!
ただしディスプレイでの読みやすさを考慮し、わたしの判断で適宜段落を分けてある。



子規への理解を深める、あるいはその後の俳句の展開を知るため、こういう本も今日買ってきた。左は現代日本文学大系19(筑摩書房)。
昔各出版社からさかんに刊行された文学全集のかたわれが、100円の棚に惜しげもなくならべてある。子規のなにがどう継承され、あるいは継承されなかったのか、知りたいのである。
なお、右はやっぱり100円の棚にさらしてあったミルトス刊「骨董屋ピンクス」(デニー・ピンクス)。連作短編集。
おもしろいかどうかわからないが、立ち読みであたりをつけたら、骨董屋という名の蒐集家について書いてある。
「これって、もしかしたらおれ(たち)のことかな?」と考えたわけだ。

もしそうだとしたら、おもしろいに違いない(^_^)/~
ネット上の評判はまずまず!



ついでにもう一枚。
はずかしながら、本日のわたしの昼食メニュー(^^;)



○御所柿《ごしょがき》を食いし事
 明治廿八年神戸の病院を出て須磨や故郷とぶらついた末に、東京へ帰ろうとして大坂まで来たのは十月の末であったと思う。
その時は腰の病のおこり始めた時で少し歩くのに困難を感じたが、奈良へ遊ぼうと思うて、病を推《お》して出掛けて行た。

三日ほど奈良に滞留の間は幸に病気も強くならんので余は面白く見る事が出来た。この時は柿が盛《さかん》になっておる時で、奈良にも奈良近辺の村にも柿の林が見えて何ともいえない趣であった。
柿などというものは従来詩人にも歌よみにも見離されておるもので、殊に奈良に柿を配合するというような事は思いもよらなかった事である。余はこの新たらしい配合を見つけ出して非常に嬉しかった。

或夜夕飯も過ぎて後、宿屋の下女にまだ御所柿は食えまいかというと、もうありますという。余は国を出てから十年ほどの間御所柿を食った事がないので非常に恋しかったから、早速沢山持て来いと命じた。
やがて下女は直径一尺五寸もありそうな錦手の大|丼鉢《どんぶりばち》に山の如く柿を盛て来た。さすが柿好きの余も驚いた。それから下女は余のために庖丁を取て柿をむいでくれる様子である。余は柿も食いたいのであるがしかし暫しの間は柿をむいでいる女のややうつむいている顔にほれぼれと見とれていた。
この女は年は十六、七位で、色は雪の如く白くて、目鼻立まで申分のないように出来ておる。生れは何処かと聞くと、月か瀬の者だというので余は梅の精霊でもあるまいかと思うた。

やがて柿はむけた。
余はそれを食うていると彼は更に他の柿をむいでいる。柿も旨い、場所もいい。余はうっとりとしているとボーンという釣鐘の音が一つ聞こえた。彼女は、オヤ初夜が鳴るというてなお柿をむきつづけている。余にはこの初夜というのが非常に珍らしく面白かったのである。あれはどこの鐘かと聞くと、東大寺の大釣鐘が初夜を打つのであるという。東大寺がこの頭の上にあるかと尋ねると、すぐ其処ですという。

余が不思議そうにしていたので、女は室の外の板間に出て、其処の中障子を明けて見せた。なるほど東大寺は自分の頭の上に当ってある位である。何日の月であったか其処らの荒れたる木立の上を淋《さび》しそうに照してある。下女は更に向うを指して、大仏のお堂の後ろのおそこの処へ来て夜は鹿が鳴きますからよく聞こえます、という事であった。
(引用は青空文庫)

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