二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

正岡子規を読む

2013年02月19日 | エッセイ・評論(国内)
正岡子規に対する関心がいつごろ芽生えたのか?
以前「病床六尺」「仰臥漫録」を読んで圧倒されてしまい、この二草庵摘録にも書評をアップしてある。
私見によれば、近代における俳句や短歌は、子規によって息を吹き返した文芸である。子規の大才がなかったら、はたしてどうなっていたか、知れたものではなかろう。それほど彼の功績は大きいものがある。
というわりにはその後関心がそれてしまって、ろくすっぽ読まずにここまできてしまった。

わたし自身は俳句はつくらないが、芭蕉、蕪村、一茶は教科書で習ったときから心惹かれるものを感じて、折りにふれこれまで多少はつきあってきた。
マイミクの葉流さんが、写真と自由律俳句のコラボをやっているのを拝見しているうち、種田山頭火を思い出し、それをきっかけとして俳句、俳諧への関心が、1週間ほど前から甦ってきた。

持っていた本を探し出したり、何冊か仕入れたりして、気がすむまで俳句の世界を散歩してみることにした。
そうして手はじめに読みはじめたのがこれ。

「俳諧大要」(岩波文庫)
1.俳諧大要
2.俳人蕪村
3.古池の句の弁
4.俳句の初歩
5.俳句上の京と江戸

いまのところ、「俳人蕪村」「古池の句の弁」しか読みおえてはいないが、いやはや、まさに正岡子規恐るべし。
近代の俳人には、批評家の才能を有した人物はいないと漠然と考えていたが、その考えを修正しなければならなくなった。
理路整然とし、徹底している。「郷愁の詩人与謝蕪村」の萩原朔太郎のものより、はるかに説得力のあるすぐれた蕪村論となっている。

坪内稔典さんの評伝(岩波新書)や、「飯待つ間」(岩波文庫)も用意し、少しずつ読みはじめた。
子規の時代はまだ文語文が大勢をしめていたから、最初はいささかとっつきにくい。しかし辛抱して読んでいくと、子規という人物の稀有な才能に、すっかり魅了されていることに気がつく。

わたしは詩を書いている。
そういうわたしにとって、わが国最高の詩人はだれですか?
・・・という質問をしたとしたら、迷わず松尾芭蕉と答えるだろう。
わたしの独断と偏見によれば、芭蕉を超える近代詩人はひとりとして存在しない。
そういう意味において、俳句への関心は、そのまま究極の短詩系への関心と重なる。

万葉集を再評価し、実朝、蕪村を発見した子規は、明治期特有ともいえる広い視野の中で、俳句、短歌を徹底して省察し、みずから実作も試みた。それ以降の歌人、俳人で、子規の影響をうけていない人はだれもいないだろう。
理論家あるいは批評家としても一流だった子規。そういう人物を、いまようやく、手がとどきそうな距離の中にとらえようとしている。

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