仕事はじめが昨日5日。いきなり、葬儀のお手伝いからのスタートとなって、てんてこ舞い。まだ当面忙しいけれど、明日はむりやり休み・・・の予定。
「光陰矢の如し」なので、もたもたしてはいられない。
さてさて、今日は眼の進化について。
眼の進化といっても、この場合は、“探鳥のための”という意味。
人間の眼は、機械の眼とは違う。
そこにあるものすべてを公平無私に映し出してはいないのである。
感情のフィルターが、あるいは意識のフィルターが必ずかかっていて、それを通してありのままの現実と向き合っている。
眼は予備知識や訓練や経験により、進化することがある。意識の変化により、退化することだってあるだろう。
一つ例をあげる。
これはある親水公園に流れこんでいる用悪水路の落ち口。
用悪水路というのは、雨水、雑排水、農業用水などが流入する、多目的水路とかんがえていい。
一時期汚濁がひどく、いやな臭いがすることがあった。
しかし、この10年ばかりで、ある程度浄化されたのではないかと思う。
公園利用者のため、散歩用の橋がかかっていて、ウォーキングのおじさん、犬をつれたおばさん、子ども連れのお母さんが、ときおりここを通過していく。
このサイズでは、ここになにがいるか、わからない。
通過者のほぼ100%が、ここにいる鳥に気がつかず、気がつこうともしない。
中心部分を少し拡大。
これなら、この中心になにがいるか、判別できるだろう。
さらに拡大してみよう。
・・・そう、いるのはカワセミ。
わたしも、うっかり見過ごすところだった。親水公園のこのあたりにカワセミがいるのは、以前昆虫を追いかけていたころ、耳にしたことがあった。
「はあ、そうか」
あいにく、そのころは、野鳥に対して、さしたる関心がなかった/_・)/_・)
だからそこにいるカワセミが見えなかった。眼では見えていたはずなのに、脳まで届かなかったということか?
不用意に近づくと、カワセミはパッと飛び立って逃げていく。
わたしが撮影している真っ最中(この正月のこと)、カメラをもったひとりのおじさんがやってきて「なにを撮っているんですか?」といいながら、案内看板の陰にたって、息を殺すように撮影していたわたしに訊ねた。
その声が引き金となって、カワセミがパッと消え失せるのと「カワセミ」とわたしが小声でつぶやいたのが、ほぼ同時。
「え? カワセミがいるんですか!」彼は立ち止った。「いま逃げました」とわたしはつい、いまいましげな調子になって、お答えした。彼のカメラには明らかに望遠ズームがセットされていた。
しばらく待っていると、カワセミは猟場へ帰ってくる。通行人が途絶え、安全が確保されるのを、カワセミはどこか近くから、観察しているのだろう。
別なポイントを一回りし、15分20分たって戻り、静かにゆっくり近づいてみると、カワセミはまた、そこにいる。
家族連れなどは、小さな鳥は眼中にない。犬をつれたひとも。
5~6mさきに美しい鳥がいるっていうのに、まったく関心はしめさない。関心がないから“そこにあるもの”が見えない。
これは昆虫の場合とほぼ同じ。
年末にも、つぎのような経験があった。
T町のBポイントでアオゲラを撮りおえたときのこと。
ウォーキングにやってくる定年すぎのおじさんがいて、いつのまには顔を見知っている。そのおじさんがわたしに近づいてきて「あのう、あんたのような人をときどき見かけるんだけれど、この林には、いったいなにがいるだんね?」と訊ねる。
「え? ああ」とわたしはちょっと戸惑った。
「あんたのような」とは、双眼鏡やカメラを手にして、樹上を観察している人・・・という意味だ。ウォーキングおじさんは、運動だけが目的だから、自然界つまり外界に対しては、なんら好奇心をしめさない。
「アカゲラ、アオゲラはご存知ですか。野鳥ですけど」
「ああ、なにかで(新聞、雑誌など)見た覚えがある」
「そういう鳥がいるんですよ。ほかにも、なかなか他では見られないキレイな鳥がいます」
「はあ、あー。そうなんですか。知らなかった。もう何年もここを散歩しているけれど、いっぺんも見たことがない」
長話になりそうな気配がしたので、わたしはその場をさっさとあとにした。
人間の眼。
いまさらいうまでもないようなものだけれど、それは意識や好き嫌いや関心のあるなしに直結している。
その眼は、訓練や経験によって、ある程度は進化していく。
野鳥の観察をはじめたころ、わたしの眼は節穴同然だった。いまになって、そのことが、わかるようになった。
なにごとも、一歩、一歩。努力を怠れば、進化はそこで止まる。耳が敏感になり、探鳥を助けてくれるようになったのは、ごく最近のことだしね(´∀`*)゜
それでますます、撮り鳥がおもしろくなってきたのかもしれない。
最近のお気に入りをつぎに2枚ピックアップしておこう。
毎度の顔ぶれだけれど、ジョウビタキ♂。
このあたりではそれほどめずらしい種ではない・・・と、このこともごく最近になって、気がついた。数は多くはないが、都市周辺の自然公園には、わりと普通にいる。大抵10mくらいまで近づける。
背景を単純化し、被写体を浮かびあがらせることができた。
こちらはジョウビタキ♀。
このシーンは撮った瞬間ドキッ!
カ、カワユイ(^-^**) こんな自然なコケットリー、野鳥にもあるんですねぇ~。女の子は女の子!
このまま、春さきまで、野鳥撮影がメインとなってしまいそうな年始めのMikenekoであります。
「光陰矢の如し」なので、もたもたしてはいられない。
さてさて、今日は眼の進化について。
眼の進化といっても、この場合は、“探鳥のための”という意味。
人間の眼は、機械の眼とは違う。
そこにあるものすべてを公平無私に映し出してはいないのである。
感情のフィルターが、あるいは意識のフィルターが必ずかかっていて、それを通してありのままの現実と向き合っている。
眼は予備知識や訓練や経験により、進化することがある。意識の変化により、退化することだってあるだろう。
一つ例をあげる。
これはある親水公園に流れこんでいる用悪水路の落ち口。
用悪水路というのは、雨水、雑排水、農業用水などが流入する、多目的水路とかんがえていい。
一時期汚濁がひどく、いやな臭いがすることがあった。
しかし、この10年ばかりで、ある程度浄化されたのではないかと思う。
公園利用者のため、散歩用の橋がかかっていて、ウォーキングのおじさん、犬をつれたおばさん、子ども連れのお母さんが、ときおりここを通過していく。
このサイズでは、ここになにがいるか、わからない。
通過者のほぼ100%が、ここにいる鳥に気がつかず、気がつこうともしない。
中心部分を少し拡大。
これなら、この中心になにがいるか、判別できるだろう。
さらに拡大してみよう。
・・・そう、いるのはカワセミ。
わたしも、うっかり見過ごすところだった。親水公園のこのあたりにカワセミがいるのは、以前昆虫を追いかけていたころ、耳にしたことがあった。
「はあ、そうか」
あいにく、そのころは、野鳥に対して、さしたる関心がなかった/_・)/_・)
だからそこにいるカワセミが見えなかった。眼では見えていたはずなのに、脳まで届かなかったということか?
不用意に近づくと、カワセミはパッと飛び立って逃げていく。
わたしが撮影している真っ最中(この正月のこと)、カメラをもったひとりのおじさんがやってきて「なにを撮っているんですか?」といいながら、案内看板の陰にたって、息を殺すように撮影していたわたしに訊ねた。
その声が引き金となって、カワセミがパッと消え失せるのと「カワセミ」とわたしが小声でつぶやいたのが、ほぼ同時。
「え? カワセミがいるんですか!」彼は立ち止った。「いま逃げました」とわたしはつい、いまいましげな調子になって、お答えした。彼のカメラには明らかに望遠ズームがセットされていた。
しばらく待っていると、カワセミは猟場へ帰ってくる。通行人が途絶え、安全が確保されるのを、カワセミはどこか近くから、観察しているのだろう。
別なポイントを一回りし、15分20分たって戻り、静かにゆっくり近づいてみると、カワセミはまた、そこにいる。
家族連れなどは、小さな鳥は眼中にない。犬をつれたひとも。
5~6mさきに美しい鳥がいるっていうのに、まったく関心はしめさない。関心がないから“そこにあるもの”が見えない。
これは昆虫の場合とほぼ同じ。
年末にも、つぎのような経験があった。
T町のBポイントでアオゲラを撮りおえたときのこと。
ウォーキングにやってくる定年すぎのおじさんがいて、いつのまには顔を見知っている。そのおじさんがわたしに近づいてきて「あのう、あんたのような人をときどき見かけるんだけれど、この林には、いったいなにがいるだんね?」と訊ねる。
「え? ああ」とわたしはちょっと戸惑った。
「あんたのような」とは、双眼鏡やカメラを手にして、樹上を観察している人・・・という意味だ。ウォーキングおじさんは、運動だけが目的だから、自然界つまり外界に対しては、なんら好奇心をしめさない。
「アカゲラ、アオゲラはご存知ですか。野鳥ですけど」
「ああ、なにかで(新聞、雑誌など)見た覚えがある」
「そういう鳥がいるんですよ。ほかにも、なかなか他では見られないキレイな鳥がいます」
「はあ、あー。そうなんですか。知らなかった。もう何年もここを散歩しているけれど、いっぺんも見たことがない」
長話になりそうな気配がしたので、わたしはその場をさっさとあとにした。
人間の眼。
いまさらいうまでもないようなものだけれど、それは意識や好き嫌いや関心のあるなしに直結している。
その眼は、訓練や経験によって、ある程度は進化していく。
野鳥の観察をはじめたころ、わたしの眼は節穴同然だった。いまになって、そのことが、わかるようになった。
なにごとも、一歩、一歩。努力を怠れば、進化はそこで止まる。耳が敏感になり、探鳥を助けてくれるようになったのは、ごく最近のことだしね(´∀`*)゜
それでますます、撮り鳥がおもしろくなってきたのかもしれない。
最近のお気に入りをつぎに2枚ピックアップしておこう。
毎度の顔ぶれだけれど、ジョウビタキ♂。
このあたりではそれほどめずらしい種ではない・・・と、このこともごく最近になって、気がついた。数は多くはないが、都市周辺の自然公園には、わりと普通にいる。大抵10mくらいまで近づける。
背景を単純化し、被写体を浮かびあがらせることができた。
こちらはジョウビタキ♀。
このシーンは撮った瞬間ドキッ!
カ、カワユイ(^-^**) こんな自然なコケットリー、野鳥にもあるんですねぇ~。女の子は女の子!
このまま、春さきまで、野鳥撮影がメインとなってしまいそうな年始めのMikenekoであります。