二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

悲運の先覚者と彼をささえた人びとの物語 ~吉村昭「長英逃亡」を読む

2022年01月18日 | 吉村昭
■吉村昭「長英逃亡」新潮文庫上下2巻(平成元年刊。原本は昭和59年毎日新聞社より刊行)


「桜田門外ノ変」とならび、上下2巻に及ぶ大作である。吉村さん、全精力を傾けたものと思われる。新聞連載という形式のためか、ところどころに挟まれたくり返しが気になる。それに、紋切り型というか、「またかね」といいたくなる“決まり文句”があちこち出てくるのはマイナス点。
純文学と銘打ってあるわけではないから、気にしないといえばそれまでであるが。

まずどんな内容か、見ておこう。

▲上巻
《シーボルトの弟子として当代一の蘭学者と謳われた高野長英は、幕府の鎖国政策を批判して終身禁固の身となる。小伝馬町の牢屋に囚われて5年、前途に希望を見いだせない長英は、牢屋主の立場を利用し、牢外の下男を使って獄舎に放火させ脱獄をはかる。江戸市中に潜伏した長英は、弟子の許などを転々として脱出の機会をうかがうが、幕府は威信をかけた凄絶な追跡をはじめる。》
▲下巻
《放火・脱獄という前代未聞の大罪を犯した高野長英に、幕府は全国に人相書と手配書をくまなく送り大捜査網をしく。その中を門人や牢内で面倒をみた侠客らに助けられ、長英は陸奥水沢に住む母との再会を果たす。その後、念願であった兵書の翻訳をしながら、米沢・伊予字和島・広島・名古屋と転々とし、硝石精で顔を焼いて江戸に潜伏中を逮捕されるまで、6年4か月を緊迫の筆に描く大作。》いずれもBOOKデータベースより

吉村昭の小説は、
・戦記もの
・歴史もの
の二つに大きく分けることができるが、ほかにも、漂流記に材をとったもの、医家伝や逃亡者を主人公に据えたもの、純文学に類別される現代小説・・・と、多彩な作風がある。
「長英逃亡」は、歴史ものであり、幕末を広範囲に描いている。

「史実を歩く」に収められたエッセイ「高野長英の逃亡」によると、「ふぉん・しいほるとの娘」を書くための取材で宇和島を訪れたことが、本書執筆のきっかけとなったのだそうである。そこで高野長英の隠れ家が保存されていることを知った。この宇和島に三十回、四十回と足を運び、いつものように徹底した取材を行った。
本編を読んでいると、たしかに高野長英の生涯の中でも、宇和島での生活がピークとなる( -ω-) まるで舌鼓を打っているような表現の充実ぶりが伝わってくる。風景描写もとてもリアルなのは幾度となく足を運んだ成果。

《長英については、高野家の後継者である高野長運氏の「高野長英傳」(岩波書店刊)がある。氏は、明治二十二年に長英の研究を志し、長英の事績はもとより脱獄後潜伏していたといわれている地を丹念に歩きまわり、それに専念したことによって家族は貧窮におちいったという。このような困難に屈することもなく史実の蒐集をつづけ、昭和三年にようやく伝記を発表したのである。氏の調査がなければ、長英の足跡は、その多くが霧の中にとざされたまま不明に終わったことは疑いない。当然のことながら些細な誤りはあるものの、調査は精密で、その努力に敬服のほかはない。》

吉村昭はあとがきでこうしるしている。巻末には、例のごとく参考文献の一覧がある。
むろんここでも「これはフィクションではないのですよ!」と作者はいっている。
付された地図に、長英の逃亡経路が描かれているのを見ると、奥州から九州まで広大な範囲にわたっている。
逃亡者としての高野長英。
6年間に及ぶ逃亡生活をささえたのが、内田弥太郎や二宮敬作ほか、驚くほどたくさんの各地の縁故知人、支援者たちであった。この人たちが脇役として深い味わいを添えている。罪に問われることを承知の上で、彼の身柄を匿い資金援助を惜しまない。こういった善意の人々にささえられてこその逃亡劇であった。
つまり、この物語は彼をささえた人びとの物語でもあるのだ。

逃亡者という底辺に生きた先覚者高野長英、その入獄してからあとの人生と経路をたどりながら、吉村昭は幕末という時代の手触りを念入りに検証している。
「そうか、幕末とはこんな時代であったのか」と。電車はおろか、クルマもなかった幕末を、一人の男が歩いてゆく。彼は脱獄囚なのだ。
「破獄」もすごかったが、「長英逃亡」の場合は、歴史小説であることが前提である。幕吏・鳥居耀蔵がいなければ、長英の逃亡はありえなかった。

その男鳥居が、脱獄後2か月で失脚。
“悲運”が彼を、真に人間らしい、魅力と幅のある人物に仕上げたともいえる。そのあたりに、作者はくり返しスポットライトを浴びせていて、読み応えがある。長英の苦悩と悔恨。
吉村さんは彼の私生活についても、入念な目配りを怠っていない。

たぶん昭和になってからだろうが、高野長英の顕彰事業がすすんだので、ゆかりの史跡なるものが全国に存在しているようである。生誕の地には記念館もある。
また吉村さん以外に、長英に材をとった著作をものする人が大勢いる。
本編「長英逃亡」は吉村さんらしい切れ味に、若干欠けるが、代表作の一つであることは疑いない。
当時の最高の蘭学者であり、政治権力からの逃亡者であった長英と、その周辺人物たちの苦しみに満ちた悲運のドラマ。

ラストといえるのは、長英が町奉行所の捕吏や目明しに撲殺されるところ(自刃したという説もあるらしい)。
ここまで長英に寄り添ってきた吉村さんは彼から離れ、突き放して客観描写に切り替え、主要登場人物の“その後”の運命に言及して物語を終える。
吉村さんが、幕末という“社会”の激浪を、長英を核に検証したかったのは明らかである。
それにしても人間は他者に対し、このように慈しみ、またここまで残酷になれるものなのだ。
恐るべし、この幕切れ。

・・・といいつつ、十二分に堪能させていただきました♪
う~む。









評価:☆☆☆☆☆

※参照
・幕末ガイド
https://bakumatsu.org/
(歴史的有名人の肖像画が多数閲覧でき、辞世の句や名言、年表などもある)

・高野長英記念館
http://www.city.oshu.iwate.jp/syuzou01/

※下の写真3枚はネット検索からお借りしました。ありがとうございました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« スズメとカラス | トップ | 吉村昭に首ったけ! »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

吉村昭」カテゴリの最新記事