はじめに断っておくと、わたしはピカソ展にいったこともないし、画集すら、一冊ももっていない。そういった人間が、いったいピカソについて、何を語ろうというのか。
BOOK OFFで見かけ、たまたまこの瀬木慎一さんの本を手に取り、衝動買いした。
この前後「徒然草」を一方でゆっくりしたペースで読みつづけていた。ところが、この「ピカソ」は思いがけずすらすらと読めたので、簡単にその感想をまとめておくことにする。
好きか嫌いかというレベルの話なら、わたしはピカソが「好き」だったことは過去にない。
その作品に、心底感動した経験がないにもかかわらず、気になる存在でありつづけた。
新書という体裁の本ではあるが、瀬木さんはもてる力のありったけをこめて本書を書いている。それが、奇妙な説得力を発揮し、すぐれた本になっている。
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さっき読み返していたら、昨日の「徒然草における無常感」について、ずいぶんといい足りない内容だと気がついたので、少しだけ補足記事を書いておこう。
なぜいま、徒然草を引っ張り出して読み出したかというと、その理由は石井進センセイの「中世武士団」に、第百十五段が引用されていて、それがどかんと、わたしの胸の上に落ちてきたからである。
「徒然草」第百十五段(この引用は吾妻利秋さんのTUREDUREGUSAに拠っています)
http://www.tsurezuregusa.com/index.php?title=Mainpage
宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品の念仏を申しけるに、外より入り来たるぼろぼろの、「もし、この御中に、いろをし房と申すぼろやおはします」と尋ねければ、 . . . 本文を読む
「おい、おまえらはいいなあ。だけど一日、にゃ~んにもやることがないのは、退屈だろう?」
「いまなにを考えているんだ。年中そうやって寝て、起きて、餌を飼い主にねだって。雄なら季節になれば雌猫どもを追いかけ回し、縄張りの確保にやっきとなるけれど」
「一日が人間の十倍は長いだろう。だとすれば、寿命が十年としても、ちゃんと人間とつりあいが取れている」
猫や犬が好きな人ならだれでも知っているけれど、彼らは人間の愛情にとてもとても敏感。愛情をそそいでくれる人を待っている。敵意をもっている相手を、すぐに見分ける。
気むずかしい人間のおやじ族と違って、喜怒哀楽の表情が豊か。
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