久々に、日本食屋さんで、ランチ。
海鮮丼。
お刺身がてんこ盛りだ。
盛りがすごすぎて、ごはんまで届かない(^_^;)。
丼からこぼれ落ちないように具を食べるのに苦労しているわたしの背後で、
「いつものを、お願いね。」
と、年配の女性の声が聞こえた。
振り向くと、年配の日本人のご夫婦が席に着いていた。
「いつもの」というからには常連さんなんだろう。
ランチでも15ドルから(うろ覚えだが)という、わたしにとっては高級なこのお店の常連さんらしく、
身なりも上等な、仕草も上品なご婦人だった。
「いつもの」で通じるくらい、一つの店に常連になってみたいものだ、
と、思う気もするが、わたしにはムリだろう。
だって、いろいろ食べたいじゃない!
このお店、ランチメニューは10種類もないくらいだが、それでも次に来た時には今日とは違うものを食べたい。
そもそも、このお店以外のものも食べたい。
今日の気分は和食だが、
明日はメキシカンかもしれない。
はたまた、アメリカーン!なハンバーガーかも。
毎日毎日、気分によって、体調によって、天気によって、お財布の中身によって、食べたいものは変化する。
だから、ただでさえ外食率の低いわたしが、同じ店に行くということがない。
決まったお店で決まったメニューを頼むといえば、スタバくらいか。
それすら、自分が店員さんに覚えられているという自信はない。
「いつものお願い」
と言って、「いつものって、何?」と返されたら恥ずかしい。
こっちは店員さんを覚えていても、向こうにとってわたしは、一日何十人、(ワイキキのスタバだと何百人か?)の一人にすぎない。それを覚えていろというのはムリな話だ。
「いつもの」なんて、本当に覚えてもらったという確信がないとなかなか言えないもんだ。
実際、ワイキキのロミロミのお店で、お客様からリクエストを貰っても、覚えていないこともある。
日本からのお客様は、1年に1度、多くて3度、の頻度だ。
「2年前にあなたからマッサージを受けたのよ。」といわれて、「そうでしたねー」と返すも、実は覚えていないのだ。(ごめんなさい!)
マッサージ中にたくさんお話をした方や、なぜか気持ちの合う方などは、覚えている。
最初は思い出せなくても、お話をするうちに、前に受けていただいた時のことを思い出したりすることはある。
マッサージが始まってシーツをめくった瞬間現れた、背中の刺青を見て思い出した、ということもある。
自分がこうだから、「いつもの」って言って、相手が思い出せずに困ってたら悪いな、と思う。
それでも、もし、スタバで「いつものブラックね。 今日はサイズはグランデじゃなくていいの?」なんて向こうから言われたら、嬉しいんだろうなあ。
そういう事を言える人になれたらもっと嬉しい。
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