スカーレット・プリンセス

2022-10-15 00:57:57 | 舞台
数分のプロモーション動画を見た時は、めちゃくちゃアングラテイスト満載だったのが、実際の舞台は、見た目はアングラだけど、中身は歌舞伎だったから驚いた。

もっと脚本をテコ入れしているかと思ったよ。っていうか、歌舞伎並みに長かった。正直、もう少し短くしてほしかったかな。でも、ぶっちゃけ歌舞伎より分かりやすかった。アンタ誰やった?的な登場人物は多数登場しますが…。


いやー、ぶっちゃけ書いて申し訳ないけど、「桜姫東文章」のストーリーを知らないと、めちゃ眠たくなると思う。字幕は歌舞伎の現代語訳みたいなもんだから、登場人物の関係性が分かりにくかったと思う。

ぶっちゃけ、私の周りは寝てる人が多かった。この人たち、話についていけなかったんだと推察。

もちろん私は、去年と今年、歌舞伎シネマも含め、仁左衛門さんと玉三郎さんの即完売チケットの「桜姫東文章」を運良く観させもらったお蔭でめちゃくちゃ楽しく拝見させてもらいました。

しかもアングラ要素満載な上に、男女入れ替えての見せ方も、まるで宝塚と歌舞伎の融合みたいで楽しみ拝見できた。

ただね、見せ方は確かに前衛的で大好きなんだけど、正直なところ、こういうアングラ作品は、もう少し小さい小屋で観たかったかな。空間が広いと、世界観が凝縮されにくいから、余分な空間があるだけで間延びしちゃう。

それに関しては、同じ海外作品の「ガラスの動物園」の方があの広い中劇場の空間を制限した舞台美術だったので、登場人物も少ないこともあり功を奏したと言えるでしょう。

今のパルコ劇場は知らないけど、旧パルコ劇場の客席も含めたあの空間で観たかったかな。こればかりは採算を取るなら仕方ないことだとは思うくけど…。

というより、クラシックのオーケストラ並の大所帯だったから、パルコ劇場だと狭いわな…。

ということで、同じ東京芸術劇場で「Q」を観たに行った時からめちゃくちゃ観たかったので、ハード日程で観て帰ってきました。

実は、悲しいことに、前売りでチケットを購入していたのに、当日発券して劇場のお姉さんに渡したら、

11日のチケットじゃなくて、まさかの8日のチケットだった!

8日は完全に仕事だったのに、11日ならソワレだから頑張れば観に行ける!と思って購入したはずなのに、まさかの8日のチケットだった(涙)

仕方なく当日券でチケットを購入して観てきました。

いかにも幽霊というかファントムというか、エリザベートのトート的存在でもあり、ご先祖様でもあったり、過去の亡霊であったり、はたまたメフィストフェレスやリュークみたいな運命を操る象徴の霊的登場人物、決して喋ることはなく、要所要所でただ登場するだけなので、歌舞伎にはないオリジナル登場人物がめちゃくちゃ印象的でした。

桜姫って、めちゃくちゃ強引な設定やん。同性愛、心中、輪廻転生、レイプされた相手を好きになる、桜姫の吉田家の存続の危機、お姫様が娼婦になる、自分の子供を殺したり、好きだった男を殺したり。

家宝の「都鳥の一巻」がストーリーのキーアイテムとなり、それを恋人の釣鐘権助(桜姫の父と弟を殺した別名しのぶの惣助)が奪ったことも加わり、釣鐘権助とその兄清玄との出会いによって桜姫の運命は左右されることになる。

今までは、権助の言いなりになって娼婦になった桜姫だったが、権助が自分の父と弟を殺したしのぶの惣助であることを知り、権助の血を引く我が子と権助を殺し、「都鳥の一巻」を取り返し再度家を再興し、お姫様に戻る物語。

桜姫は、権助の双子の兄である清玄と心中しようとして一人だけ死んでしまった白菊丸の生まれ変わり。来世では男女に生まれ変わって結びを誓いあった。

結局は清玄は海に飛び込むことができず生き残ってしまった。

清玄と桜姫が再会することで、桜姫が白菊丸の生まれ変わりだと分かる出来事が起こる。

その時には、桜姫は自分をレイプした権助に惚れまくっていたから腕に権助た同じ釣鐘の入れ墨を掘る。プルカレーテ版では愛の文字の入れ墨。

この時点までは、恋人同士というよりせフレ関係に近く、結局は桜姫の稼ぎで好き勝手する釣鐘権助の印象しかなかった。それでも桜姫は幸せだったと思うんよね。好きな相手だから。

他の登場人物でも、原作通りに、登場し、色恋沙汰もある。

あらすじ書いていたら、めちゃくちゃ現代社会にも通ずるものを感じる。

現実問題として、You Tubeの街録チャンネルを見ていたら、人殺しまではいかなくても、夫や恋人、またはポストのために風俗で働いている方の話をよく聞くので、300年前の絵空事だとはとても言いきれない。

歌舞伎で観たら絵空事に思えるが、こうやって外国人が演出することでリアリティが出るのは素晴らしい演出の証拠だと言えると思う。

って以前に役者さんたちがちゃんと桜姫東文章の内容と世界観を理解していないと表現できないと思うんよね。

唐さんや寺山修司氏のアングラの世界は、唐さんなら口に出すこと、寺山氏なら身体で表現することで彼らの世界観を表現していると思うけど、

プルカレーテ版は、どちらかという寺山氏に近い表現に近いと思った。ぶっちゃけ、寺山氏の作品は、それこそ美輪さんの「毛皮のマリー」や「青森県のせむし男」はまだストーリーがあるけど、後期作品の「身毒丸」「奴婢訓」「レミング」なんてぶっちゃけ理解不能。言葉の意味より見世物小屋的な視覚によるインパクトに圧倒される。

それに対し、プルカレーテ氏のアングラ要素は、視覚だけでなくストーリーも重視しているのが分かるので、正直、もう少し短くしてほしかったけど、3時間近くこれだけの台詞量と、歌舞伎の世界というより、鶴屋南北の世界観を理解されていたプルカレーテ氏と役者さんたちは本当に凄いと思った。

そりゃ、日本人もギリシャ悲劇もシェークスピアもフランスもロシアの戯曲もやってるけど、歌舞伎は、まだ世話物は理解されやすいかもしれないけど、独特の表現をする演劇やん。

古語で話され、ト書きは謡で表現。ま、そこは、ラテン語のギリシャ悲劇と変わらないのかもしれないね。コロスがお囃子みたいなもんやもんね。

と思うと、歌舞伎が独特とは言い切れないが、理解は本当に難しいと思う。

男性キャストが女役を、女性キャストが男役を演じることで、エロい18禁シーンが中和されて、桜姫が裸になっても男性キャストだからリアルなやらしさがないのがいい。それでもエロかった!だからこそ大胆な演出が可能なんだと思った。

女性キャストも宝塚とは違うデフォルメされた男性を演じていたので、時折リアルな男性に見えることもあった。

歌舞伎と同じようにお囃子を意識した演奏家も客席を潰して場所を設けていり、もちろん花道もあり、スッポンもあり、めちゃくちゃ歌舞伎を意識した演出でした。

っていうか、どこの劇場でもオケボックスのために客席を潰すことはあるけど、プレイハウスの客席がこんなに自由自在に客席を潰せるとは知りませんでした。写真に撮りたいくらいだった。

アフタートークによると、コロナ禍でなければ、東京オリンピックに合わせて、5人の海外の演出家に歌舞伎を題材に作品を創ってもらう予定だったのが、コロナによって中止になり、プルカレーテ氏のみが創ってくれたみたいなことを言ってましたが、もし、予定通りだったらどの歌舞伎作品が選ばれてどのように演出されるのか非常に興味がありました。

きっときっと、これを機に実現すると思います。っていうか実現してほしい!




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