登山で己を知る

2010-09-28 07:41:01 | 日記
大山登ってきましたよ!

登頂した時の感想を正直に言うと…

怖かった(震)

何故なら、自分が高所恐怖症だということを完全に忘れていたからです(恥)

樹木に囲まれながら登山してる時は気付かなかったのですが、七合目あたりから山肌とか海とか風景がくっきり見えてくるじゃないですか?っていうか見えるんですよ!

わたしゃ、ダメなんですわ。ああいった風景を見るのが。吸い込まれそうになるんでね。だから一人で登るのが本当に怖かった。というか一人では登れなかった。

実際は叔父と叔母と一緒に登り始めたのですが、お二人がゆっくりだったので、途中から一人で登りだしたんですね。

そしたら臆病風に吹かれへっぴり腰になってしまい…。恥ずかしい醜態を見せてしまった(悲)こんな私と一緒に登ってくれた見ず知らずのお姉さんに感謝します。あなた様がいなかったから私はどこかで気絶してたかもしれません。

叔父と叔母を待とうと思ったのですが、待ってる間も景色が飛び込んでくるので待てませんでした。

頂上に着いて感じたこと…

・自分がいかにわがままであるかということ。

・一人では山に登れない。

・自分の中に悪魔がいること。←いらいらしている自分の意(早く登ってや!挨拶なんかどうでもいいから早よ登りたいねん!なんでジャリ道やねん!と気持ちに余裕がない)

・赤ちゃんを背負って登っているパパさんやその赤ちゃんに大きな勇気をもらった。元気に登る子供達や若者にも。そして、ママさんや女性の皆さん。そして何より、叔父と叔母の姿に生きるための教訓を教えてもらいました。

私は途中からさっさと登ってしまいましたが、相手のペースに合わせて一緒に登る叔父と叔母の姿に、わしには協調性も優しさもないことないことを改めて思い知らされました。

優しくありたいと思って接するように日々努めていますが、実は自分の都合であったり、相手のことを考えない恩着せがましい行為だったのかもしれないのでは…?と気付かさせられました。

ですが、心にゆとりがあれば登山は素晴らしい!です。

見ず知らずの人たちと「おはようございます」「こんにちは」「頑張って下さい」…と挨拶して登る。私に高所恐怖症の症状がでなかったから、すがずがしいったらありゃしない。

高所恐怖症になるということはまだまだ生きたい証拠。

一人じゃ生きていけない。誰かに助けてもらったら、誰かを助けないと。甘えてばかりいると必ず天罰が落ちると悟りました。

上記のことは、私自身に関することなので皆さんに必ずしも当て嵌まる訳ではないので安心して下さい。

登山中に私と関わった出会った全ての方に感謝します。本当皆さんから生きるパワーをもらいました。

本当に感謝すべき相手は、私のわがままで登山を計画してくれた叔父と叔母です。本当にありがとうございました。ちゃんと口に出して言ってますのでご心配なく←誰も心配してない。

今夜は感謝の気持ちを込めて最高のカレーライスを作る予定にしてます。明日兵庫に帰るので。

なんか「田舎に泊まう」みたいやな(笑)っていうかタイトルこれであってるっけ…。

そうそう、登山の帰りは、水木しげる記念館に連れていってもらいました。水木しげるさんには直接お会いしたことないですが(←あたりまえ!)、なんか不思議な縁を感じました。妖怪好きな点かな(笑)

また、違う所で牡丹の花の苗を二つ購入しました。この二つの名前が素晴らしい。「花王」「花競」と言うんですと。お店のおばあちゃんに選んでもらったのがたまたまこの名前の二つでした。

月下美人も咲かすことが出来たので、次は大輪の牡丹を咲かせたいと思って購入しました。

私みたいな水やりなど面倒臭さがりやにはもってこいの花のようなので、今日の思いを忘れないために枯らさないようマイペースで育てていきます。母さん頼むで~!←また甘えてる。

今日のまとめ:このblogやっぱり辞められないね…

ちなみに下山は怖くありませんでした。なぜなら、雲(?)霧(?)が風景を消してくれたので。

やはり、信じることは大事。自分だけでなく他人様も。登山する人は皆いい人やったわ。
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