今回、自分でも ドびっくり の、
ちょー長いっすので、本当に申し訳ございません・・・
どうぞご覚悟の上ご覧いただけましたら、幸いに存じます。
アルフィーのジャケットやパンフなどに出てくる、明治学院のチャペルは、だいたいこの角度から撮られているので、
チャペルにはこの石段を登って行き、登りきったところにチャペルの入口があるものと思っていたのだが、
行ってみるとハテサテ 、入り口がどこにあるのかよくわからない。
急いでるのに、もぉーーー と、しばしその辺をぐるぐる回って、かすかに聞こえてくる音楽を頼りに、それらしいドアをそぉ~っと開けてみる。
入ってみると、もちろんもう礼拝は始まっていて、TVで見た、木でできた茶色の重厚な椅子に何人かが座って、パイプオルガンの演奏を聴いていた。みな、手にプリントされた白い紙を持っている。
空いている椅子の一つに腰を下ろして、近くの男性にコソコソっと聞いてみる。
私「その紙はどこにあるんですか?」
男性「入口のところにありましたよ」(自分の入った入口のところにはなかったと思いつつ、どうやらそれは反対側らしいと気付く。)
「持ちに行ってきてもいいでしょうかね?」
「終わってからの方がいいんじゃないですか?」
終わってからじゃ意味ないよ~ 、 と思いつつ、(礼拝の邪魔になるから)それもそうだと思ってあきらめる。
どうやら皆さんは、パイプオルガンの方を向いて、演奏を聴いているようで、そちらの方向には、TVで見た卒業証書を授与した壇上らしきものは見当たらなかった。
座っているのは女性が4,5人と男性が一人、ほとんど終わりころになって地元民と思しき?初老の男性が入ってきた。
演奏が終わるとオルガンのパイプの下がっているあたりがバルコニーになっていて、奥のドアを開けて女性が1人出てきた。
女性は今演奏された演目(トッカータ ヘ長調BWV540)と、次に演奏される演目(コラール「おお人よ、汝の偉大なる罪を悲しめ」BWV622)の紹介をしてくださった。いずれもバッハである。
どうやら、本物のパイプオルガンを奏者の方がちゃんと演奏してくださっていたのだ。
贅沢ぅ~ と思いながら、演奏に聞き入る。
聞いていると厳かな気分になり、心が洗われていくような気持ちになる。
チャペルのクラシカルで重厚な内装の、天窓から差し込む柔らかな光までもが、まるで絵画のようで、清らかなオルガンの音色によく似合う。
青春の多感な時期に、こういう場所で宗教音楽をいつも聞いていたとしたら、その人の人間形成にもきっと、深い影響をもたらすのだろうなぁーと、
十代の頃、この清廉で荘厳な調べを聴きながら育ったタカミーのことを想った。
厳密にいうと現在のパイプオルガンは、パイプオルガン全盛期である17~18世紀、バッハの時代の音色を再現するというコンセプトと工法技術のもと、12年の歳月を費やして2009年に完成した (現存していたもののリニューアル) ということで、設置場所もチャペル内の反対側になったということですので、彼らが聞いていたものとは全く同じではありませんが、その前身のパイプオルガンではあるようです。
今でこそコンサートができるほどの規模の大ホールを持つ大学も珍しくないですが、あの時代にパイプオルガンがあったなんて贅沢というかお洒落ですね。 (注:1)
礼拝は、演奏が終わった時点で終了、最後にお話をしてくださった本学オルガにストの長谷川美保さんと、この日パイプオルガンを演奏してくださった池尾靖志さん(キリスト教研究所客員研究員)が出てきてお辞儀をしてくださったので、拍手のお礼をしました。
立ち上がって振り返ってみると、ちょうどパイプオルガンとは反対側の場所が、
TVにも映っていた、アルフィーの面々が卒業証書を受け取った講壇 (正面舞台、2006年に創設当初の姿に復元) になっていた。
ああ、こっちが正面だったのね、とわかったのと、あの時の舞台だわ と思うと、
こげ茶色の演台も、アールがかった天井の白壁も、眩しく、神々しく見え、感激もひとしおでした。
これです!!
写真は、NHKBS 『歌のあとさき特別編』 を写真に撮らせていただいた時のものです。
この写真で、メンバーの座っている後ろの方に見えている四角いBOX型の固定椅子が、礼拝堂作り付けのもので、
メンバーも座っていて、写真ではその左横に映っているのが、一脚ずつの稼働椅子です。
私たちがパイプオルガンの演奏を聴く際に、講壇には背を向けてオルガンの方を向いて座ったのですが、
その座った椅子というのが、こちらの稼働椅子でした。
もしかして、メンバーの (タカミーの) 座った椅子かも なぁ~んて思うだけでも嬉しかったです。
と、長々書きましたが、
これらのことをものの数分の間に考えて、サッと見ただけですぐにチャペルを後にし、
私の入ってきたのとは反対側の出入り口 (でも、今思うとあの時の正面になるわけだから、後方から入ってきてよかったぁ~ってカンジですが・笑) のところで、大学礼拝 (チャペルアワー) の日程が書かれている 『チャペル週報』 と、本日4月18日の演目 (曲目や内容の簡単な説明) を書いたプリントの二つをいただきました。
週間日程表を見ると、今週の月曜から木曜までの4日間が聖書と讃美歌、金曜日は 「音楽礼拝」 となっていて聖書とオルガンを聴く日だったようです。
聖書のお話を聞き、一節を一緒に朗読するのには間に合わなかったので、残念でした。
でも、途中からでもパイプオルガンの素晴らしい演奏を聴かせていただくことができたので、偶然選んだ日とはいえ、とてもラッキーでした。
讃美歌も歌ってみたかったです。
やはり、礼拝に参加させていただいてよかったな、チャペルの中も見られたし、
と、感慨深く、また厳かな気分になって外へ出て、入口の所に立っていらした職員の方に聞いたトイレ (3号館という半円形のような形をした建物の中にあった) へ行きました。
トイレはとてもきれいで明るくて、なんと、トイレも手洗い水道もすべて全自動でした。
す、すごい さすが、明治学院。
( って、今は大学のトイレってみんなそうなのかな? おととし30年ぶりに母校の和光大学に行ったんだけど、近い人なので、その時もトイレに入ったけど、忘れてしまったわ。きれいだったことは確かでした。 )
それから真っ先に、電話で教えていただいた、チャペルの裏手にあるという 島崎藤村の書いた 「明治学院校歌歌碑」 を見に行きました。
こちらです。 下の方に、 「1937」 と校歌碑の建設された年(昭和12年)が刻まれています。
かすかに読み取れるでしょうか?
藤村直筆によるもので、この校歌は大好きなので、拝見できてとても嬉しかったし、感動しました。(注:2)
そのあと、3号館反対側に建っていたのですぐにわかった、文化財の 「明治学院記念館」 と 「インプリ―館」 を眺め、写真に撮らせていただきました。
左が 「インプリ―館」。1889年ころの木造建物で、学院で教える宣教師たちの住居だそうで (1964年の道路拡張によりこの地へ移築) 都内における宣教師館としては最古のもので、建築物としても日本国内で一、二位を競う古い建物だそうです。
右が 「明治学院記念館」。 小チャペル、歴史資料館、事務室が入っています。(同じく1964年にこの地に移築)
私が大好きな島崎藤村の 『桜の実の熟する時』 の中には、この建物の描写とこの中にある図書館に主人公 「捨吉」(すてきち、藤村のモデル) が足しげく通っていたことなどが書かれているそうです。
私は家に帰ってから、歴史資料館で頂いてきた 『明治学院文化財ガイドブック』 を読んで、それでこのことを知ったので
( 自分がこの小説を読んだのは高校時代なので、そのような記述があったことは既に忘れてしまっていたので )
エーン、見る前に知っていたら、そういう気持ちで見たのに・・・ ぐすん。
と思ったことです。
写真を撮った後で、ふと振り返ってみると、チャペル入口 (TVでも卒業式の看板の立ててあったこちらが通常の出入り口のようです。私が正面だと思っていたのの反対側ということですね) のあたりに、
まだ先ほど、とても親切に礼拝の中身やトイレについて教えてくださった女性が、男性職員の方とお話しされながら立っていらっしゃるのが見えたので、
お話が終わって男性職員が立ち去るのを見届けてから、それでも、と思って尋ねてみました。
チャペル内は、やはり写真に撮ってはだめですよね?と、親切なお方だったので、つぃ聞いてしまいました。
そして、そんな事を聞いているうちに・・・、
こちらに見学に来る前に電話で問い合わせてみたのですが、個人で楽しむ程度のスナップ写真位なら撮ってもいいとのことでしたが、ブログなどには載せたらだめでしょうか、
と、電話で聞いときゃよかったなー 的なことを、つぃ成り行き?で聞くことになってしまい、
すると、
「個人でやっているものでもブログに載せるには許可というか申請書のようなものがいるんですよ。」
と言われ、
一瞬、じゃぁ写真はあきらめよぉかなぁ~ と気弱なことが頭をかすめた半素人根性むきだしの甘ちゃんな自分に、
いゃ、ここでひるんではいけない、せっかくだから写真は載せたい、
曲がりなりにも、自分は物書きの端くれ (のつもり) だよ?
こうなったら、申請書でもなんでも書きましょぉ
と、こうなる前に電話で確かめとくべきでしょー、なことなのに、秘かに燃えました。
( ちょっと補足しますと、ちゃんとしたものに載せる事を前提とした正式な取材でない限り、何かについて関係各位に電話等でお訊ねする時など、
自分が書いているとか言うと、何となく大袈裟になってしまい面倒なことになるため、極力何かについてお聞きする時も個人が趣味でやっているブログということにする (ホントにその通りですし) か、
たいていの場合はブログに書くということも伏せて、ただ一般的な質問だけをしたりするようにしています。
意識は別として自分はプロではないというのもあるし、手続きが面倒ということではなく、あくまで、特に必要のないことはさらりと済ませたいだけなのです。
それが今回のやり取りで、ちょっと変な感じになってしまったので、誤解されませんようにお願いできればと思います。 )
それでは、その申請書を書いて申し込みたいのですが、と言うとそばにいた若い女性職員の方が、それなら私がご案内しますよ、とおっしゃってくださって、
職員の方について、明治学院記念館の中に。
「1階は歴史資料館になってますので、よかったら後でご覧になってくださいね。」(親切ぅ~)
「はぃ、そのつもりです。 」
自分の出た小学校や高校にもあったような、支柱に丸い木の玉が付いたような、ちょっと懐かしさを覚える黒光りした古い木の階段を上っていくと、
二階に、先日電話でお話しさせていただいた 「学院長室」 が。
( キャー、ドキドキ・・・ )
と、思ったら、会議のため留守をしているという張り紙が。
仕方がないので、遠方なので帰宅したら学院長室に電話をして聞いてみて、申請書を郵送してもらって、記入して送り返すことにします、と申し出ました。
そして、ついでに
「ベルシバ」 という名前の学食のようなものが昔あって、何か高校と大学の間みたいなところに建っていたらしいんですけど、今はもうないと聞いたんですが (総てネットや雑誌等による情報。来る前に色々調べた)、どのへんかわかりますか?
と聞いてみた。
そして、実はこちらの学校を出られたアルフィーのファンで、先日の名誉卒業式に当たらなかったので、一度学校に来てみたかったので、いい機会だからと尋ねてみたのですが、
そのベルシバという学食にメンバーがよくたむろしていたと聞いたので、せめてどの辺にあったか知りたいんです。(おずおず・・・)
「ああ、そーなんですかぁ? ニコッ。 でも、残念ながらよくわからないです・・・。」
そうですか、それは残念です。仕方ないですよね。
では、資料館見せていただいて帰りますね、とその感じのいい女性とは別れたのですが、
歴史資料館をいろいろ見ていたら、なんと
先ほどの女性が入ってきて、 「ベルシバ、わかりました 」 とおっしゃるではないですか。
そうして、窓のところまで行って
「あのあたりに10号館という建物があるんですけど、ここからはちょっと見えにくいかと思いますけど、ここをこう行くとあるので、
その建物の入り口のあたりが少し広くなっていて、どうやらその辺だったのではないかということです。」
と、外を指さしながらとても親切に教えてくれるではないですか。
「うわぁ、ありがとうございます。嬉しいです、行ってみます 」
感激で胸がいっぱいになりながらお礼を言いました。
名誉卒業式に申し込むにあたって、明学みたいな格調高い大学、私なんてとてもとても行けやしないわ
なんて思ったりもしたけど、
明治学院の職員さんたちみなさん、 なんて親切なんだぁ~
( さすがは、アルフィーの3人の出た大学ですね。(^_-)☆ )
歴史資料室には島崎藤村関連のものもある、と聞いていたように思ったのですが、
私の勘違いか見落としか、特にそれらのものがあったようには感じられなかった気がしますが、
明治学院の建物を、1890年、1950年、1985年、2008年の頃のものに再現したというミニチュアの模型が飾ってあって、それが一番面白かったです。
こちらは、持ち帰った 『明治学院 歴史資料館』 というハンドブックの中に載っていた、その模型図の載ったページを写真に撮らせていただいたものですが・・・(もちろん、実物を写真に収めてなんかいませんので念のため)
1890年頃、島崎藤村の学んだ頃の明治学院風景だと、模型のところにも書いてあったので
うわぁ~、これがそうなんだぁ~ と見入ってしまいました。
『桜の実の熟する時』 に描かれている、当時 “煉瓦造2階建”の建物 だったという現在、明治学院記念館となっている建物は、
おそらく写真右手の方に並んでいる、校庭の反対側手前の、緑の屋根に茶色い建物がそれっぽいです。(1950年ころから現在は二階部分は白いペンキ塗り)
まだ、校庭や中庭などが広くて、緑が多い感じですよね。
藤村がここで勉強したのだと思うと、感慨もひとしおでした。
そして、もう一つの注目は・・・
1985年ころの学院風景で、時代別4つの模型の中では、一番アルフィーのメンバーが通っていたころに近いものです。(高校入学の1970年~一番長いタカミーで1981年まで在籍)
かなり現在に近くなってきていますが、現在よりまだ建物が少なく、高校の校庭と思われるものがあり、中庭も広いのと、
なんといっても嬉しかったのは、「ベルシバ」 のあたりにあった、アルフィーがよくたむろしていてギターなどを弾いていたらしいというベンチのあった場所が再現されていて、屋根の隙間から学生たちが座っているところまでがわかったことです。
うわぁ~、ベルシバだぁ~ アルフィーだぁ~
と、勝手に、ベンチにいる人々をアルフィーのように思いこんで、ニコニコしながら何度も何度も見入ってしまいました。
模型としても当時に一番近いので、アルフィーのころの歴史を感じるのに一番でした。
この写真で、手前の緑色の屋根 (記念館とインプリ―館) の横にある白い小さな建物、
から延びている赤い屋根と水色の屋根の、どちらかがアルフィーがたむろしていたベルシバの外ベンチを覆うように立っていたテント型の屋根だと思います。
こちらはチャペル (右手前の緑の屋根) の裏手、左奥に広がる 「明治学院高校」 の白い建物と中庭あたりと思います。
この中庭で、高1の学園祭の時、タカミーがド派手な格好で真っ赤なエレキをかき鳴らし、ものすごい高音で歌を歌っていたのでびっくりして、
ゼッタイこういう奴とは友達にならないタイプだと思ったと
同じく高校から明学に通っていたのちの桜井賢は語っています。
その後高3の学園祭でも、アルフィーの前身であるバンド、コンフィデンスに加入したばかりの、当時都立隅田川高校に通っていた坂崎幸之助も、
明学の学園祭を見に行って (おそらく、コンフィデンスの学園祭の出し物に参加しに行ったのでしょう) 中庭でロックを演奏する高見沢を目撃しているそうです。
その時の第一印象はあまりよくわかっていません。(二度目に、二人が大学に進学してから再会?した時のことはよく聞きますが)
どんな印象を持ったか、ぜひ知りたいです。
そんなこんなで、当時の島崎藤村とアルフィーに思いを馳せ、
「ご自由にお取りください」 と書かれた学院資料などをいただいて (ちょうど入館する時に退場される方一人と入れ違っただけで、見学者がほかになく、1人でゆっくりじっくり見られたというせいもあり)、
ホクホク顔で資料館を後にしました。
教えていただいたので、さっそくベルシバ跡地らしき場所を訪ねてみました。
写真右手奥にちいさく見える白い建物 (10号館) の辺が、学食(カフェ) 「ベルシバ」 のあったあたりと思われます。
その前にあるベンチ広場が、アルフィーのたむろしていたと言われるベンチ付近かなぁーと思われ、
当時は、赤いコカコーラかなんかのベンチだったそうです。
しばし感慨にふける。
このあたりから、ちょうど奥の方の学院創設者のヘボン博士の胸像を見に行こうと思っていると、
向こうの方から戻ってきた人が一人、また、胸像を見入っている人が一人見えました。 (時間は前後するかもわかりません)
さきほど、チャペルの中で一緒に礼拝に参加していた方々で、ひょっとしたらアルフィーファンの方かもしれないと思っていた、まさにその方々でした。
タカミーのバースディ・コンサートに泊りがけで参加して、翌日に明治学院を訪ねてみよう、だなんて私と全く同じことを考えている地方の人だろうなぁーと思うと、
なんか嬉しいような、ちょっとこそばったいような気分でした。
1863年、明治学院の前身となる英語塾を横浜にて開校し、のちに明治学院初代総長となる J.C.ヘボン氏(学院創設者) の胸像。
3号館奥の、大学側校舎の方の中庭の正面にあります。
この辺まで来たら、大学の校舎の方は学生さんたちが大勢いる感じだったし、入りにくそうだったので、行ってみなくてもいいや、と思ってやめました。
だいたい、主だった見たいところは見られましたし。
ここでもう一度トイレに行きたくなったので、3号館のトイレに入りましたが・・・
あとで 『歌のあとさき』 の卒業式の場面をもう一度見直したら、この3号館 (こちらも大学の建物だそうですが) が写っていたので、びっくりしました。
ちょうどタカミーが3号館 (後ろの建物) の前を通って、卒業式の行われるチャペルに向かおうとしているとき、
在校生の一人がタカミーに駆け寄りサインをせがむのだが、タカミーがこれに応じてくれ、嬉しそうにしている少年と、それを少し抑制?しようといている警備員が写っていましたが (ギターを抱えているので音楽少年だと思われるが、まさか、作ってないよね? 書いたりとかしてると、何でも疑ったり深読み、裏読みするクセがついててゴメンなさい・汗)、
二人の遥か後ろの方に見えているのが、ヘボン博士の胸像のある大学前広場だったので、
なんとなく、大学を見に行ってからTVを見ると、今まで見過ごしていた箇所が、あっ、あそこだぁ~
と思えてうれしかったです。
最後に、明治学院高校の校舎と思われるところをしげしげと眺め(右手の白い建物)、
少年時代にここで学んだタカミーのことを想いました。 きらん…
左手の木立の中、街燈の後ろに見えるのが島崎藤村の校歌碑です。
当時、タカミーが学園祭で熱唱していたという中庭は、厳密にはわかりませんでしたが、このあたりなのかなぁーと思いを馳せました。
こちらは、明治学院のサイトに載っていた学院マップをコピーし、自分で着色したものを写真に撮らせていただきました。
小さくてわかりづらいですが、ピンク色の部分が、今回尋ねさせていただいた建物の数々で、青い部分が、旧中庭近く (左手ですが実際は先ほどの写真のように、現在はA明治学院高校前の、図でいうと窓のついた建物のたっているあたりかもしれません) と、 右手ベルシバ跡地 (E10号館あたり) の、ベンチ付近です。
図の、右手写ってない部分が、主に大学側の敷地になります。
このあと、行きはタクシーで、しかも気をもんで景色見るどころではなかったので、
帰りは 「ああ、タカミーもここを歩いたんだなぁー」 と思いながら、品川駅まで歩いてみることも考えたのですが、
たぶん当時とはずいぶん面影も変わっていると思われたし、色々見たり想いを巡らせて (遅刻して大騒ぎ、大走りもしたし ) ちょっと疲れちゃったし、
ちょうど駅の方に向かう都営バスが、学校の門の真ん前に止まるらしく、学生が待っていたので、バスに乗ることに決めました。
バスが思いのほかすぐに来たので、そういえば門のところを撮っていなかったワ と思い出して、振り返りざまにあわててとったので、学校のプレートもよく見えず、変な写真ですが・・・
さらば、憧れの明治学院、聖地巡礼の旅。
大学には、だいたい2時くらいまでいたでしょうか、バスの中では、このあたりをタカミーが通ったんだなぁーと
おそらくあの頃よりは、すっかり近代的な街並みとなったであろう白金を見ながら、
満足感と疲労とでぐったりとシートに座り込んでいました。
【 注 】
1. この他明治学院には、ほぼ1904年制のもので大正時代の礼拝に使われていたという、2段手鍵盤と足鍵盤、19ストップの大型リードオルガンもあり、明治学院120周年を機に修復され、現在は明治学院記念会内の小チャペルにあるそうです。現在演奏できるオルガンとしては国内では最大で最古のものだそう。( 以上学院のサイト、「明治学院文化財ガイド」 参照。ガイドブックには写真付で紹介されています。)
2.島崎藤村作詞の明治学院校歌・・・これについては少し詳しく書きたいので、長くなりますので近々別の箇所に書きます。すみません。
その他
明治学院 「大学礼拝」(チャペルアワー)
学期中毎日 (白金キャンパス、横浜キャンパスともに) 学内チャペルにて 12:35 ~ 12:55 に行っているもので、
オルガンの前奏から始まり、聖書に基づくメッセージ (奨励) を聞いて、心を落ち着かせる時間です。
どなたでもご参加いただけます。(クリスチャンか否かは問いません)
と、明治学院大学のサイトの説明には出ています。
大学在学生及び職員などの大学関係者外の一般の方の参加ができるそうです。
アルフィーのメンバーがたむろしていたとうわわされる、学食(カフェ) 「ベルシバ」(ベール・シバ) について。
その後、大学校友センターに問い合わせたところ、名前の由来は、地名の 「芝」 ではなく、聖書の創世記に出てくるアブラハムの住んでいる地名 「ヴェール(ベール)・シバ」 から来ているようです。
ただ、キャンパス内にあったのだけど、外部の方の経営しているカフェだったので、それ以上の詳しいことはわからないとのことでした。 (なので、 「マスターの名前説」 も、ご本人のジョークとは断言できないかも・笑)
ちなみに、通称は 「ベル・シバ」 と皆さん呼んでいたようなので、 「ベル・シバ」 でいいとのことです。
【 補足 】
明治学院訪問に関するブログ掲載について
帰宅後に学院長室にお電話にてお聞きしましたところ、先日電話に出てくださった女性職員が対応してくださって、
個人のブログ程度であれば、わざわざ申請書を書いて申し込まなくとも良いとのことでした。
写真も載せても大丈夫ということでした。
今までの自分のやり方ですと、ブログの対象になった方に内容を読んでいただいて間違ったことや書かれて困ることが書いてないかなどをチェックしていただき、申し出があれば直す、という方法を取っていましたので、明治学院様の方にもそのようなことをお願いしましたが、
沢山ある個人のブログをいちいち管理しきれないということだと思うのですが、個人のブログに関しては特に申請も検閲も意見もしないということでしたので、
あとは書いた本人の良識に任せるということだと判断させていただきました。
せっかくですのでブログのタイトルはお伝えしておきましたので、目を通していただけると嬉しいなとは思いますが、
私が心配していたような、大学の内部に関してここまで詳しく書いちゃっていいのかなぁー、みたいなことに関して、特にいいとか悪いとかの回答が得られなかった (内容に関して関知しないということ) ので、それも自己判断に任せていただけるものと解釈させていただきました。
キャンパスマップや文化財の写真などはすべて 「明治学院のサイト」 にも載っているものですので、自分で写真に撮ったものを特に公開してはいけないものではないと思いましたので、このままブログに掲載させていただきます。
内容に関しましては、不明だった点は質問して直したので、間違った内容は書いてないと思いますし、
大好きな島崎藤村とアルフィーに関することなので、つい熱が入り詳しくなってしまったものとして、学院様、読者の皆様にはお許しいただければと思います。
当学院歴史資料館にあり、持ち帰り可能だったので、
憧れの明治学院の資料ですので、喜んで全部いただいてきてしまいました。
本ブログは、これらの資料 (特に「文化財ガイドブック」「歴史資料館」ガイド等) と、明治学院サイトを参考にさせていただきました。重ねてお礼申し上げます。
右の 「島崎藤村の写真入りのものは、長野県小諸市 (藤村が教員として赴任していた町で、藤村第2の故郷、こちらにも藤村記念館もあるところ) と明治学院との協働連携事業について紹介しているリーフレットです。
藤村の生まれ故郷のKよりも事業が盛んなようで、羨ましいです。
※ 写真は、全てつたない腕ながら自分で撮りました。
TV画面や資料に掲載されていたものに関しましては、転載ではなく、資料を写真に撮るという方法を取らせていただきました。(出どころはその都度明記)
リキ入って、自分でもビックリ の、ものすごく長くなってしまいましたが、
こんなにも長いものを、ここまで読んでいただきまして、どうもありがとうございました。
また、明治学院大学にてお電話で対応してくださったり、校内で案内をしてくださった職員の方々には大変お世話になりました。
ご親切にしていただきましてとても嬉しかったです。
この場をお借りしましてお礼申し上げます。 本当にありがとうございました。
ちょー長いっすので、本当に申し訳ございません・・・
どうぞご覚悟の上ご覧いただけましたら、幸いに存じます。
アルフィーのジャケットやパンフなどに出てくる、明治学院のチャペルは、だいたいこの角度から撮られているので、
チャペルにはこの石段を登って行き、登りきったところにチャペルの入口があるものと思っていたのだが、
行ってみるとハテサテ 、入り口がどこにあるのかよくわからない。
急いでるのに、もぉーーー と、しばしその辺をぐるぐる回って、かすかに聞こえてくる音楽を頼りに、それらしいドアをそぉ~っと開けてみる。
入ってみると、もちろんもう礼拝は始まっていて、TVで見た、木でできた茶色の重厚な椅子に何人かが座って、パイプオルガンの演奏を聴いていた。みな、手にプリントされた白い紙を持っている。
空いている椅子の一つに腰を下ろして、近くの男性にコソコソっと聞いてみる。
私「その紙はどこにあるんですか?」
男性「入口のところにありましたよ」(自分の入った入口のところにはなかったと思いつつ、どうやらそれは反対側らしいと気付く。)
「持ちに行ってきてもいいでしょうかね?」
「終わってからの方がいいんじゃないですか?」
終わってからじゃ意味ないよ~ 、 と思いつつ、(礼拝の邪魔になるから)それもそうだと思ってあきらめる。
どうやら皆さんは、パイプオルガンの方を向いて、演奏を聴いているようで、そちらの方向には、TVで見た卒業証書を授与した壇上らしきものは見当たらなかった。
座っているのは女性が4,5人と男性が一人、ほとんど終わりころになって地元民と思しき?初老の男性が入ってきた。
演奏が終わるとオルガンのパイプの下がっているあたりがバルコニーになっていて、奥のドアを開けて女性が1人出てきた。
女性は今演奏された演目(トッカータ ヘ長調BWV540)と、次に演奏される演目(コラール「おお人よ、汝の偉大なる罪を悲しめ」BWV622)の紹介をしてくださった。いずれもバッハである。
どうやら、本物のパイプオルガンを奏者の方がちゃんと演奏してくださっていたのだ。
贅沢ぅ~ と思いながら、演奏に聞き入る。
聞いていると厳かな気分になり、心が洗われていくような気持ちになる。
チャペルのクラシカルで重厚な内装の、天窓から差し込む柔らかな光までもが、まるで絵画のようで、清らかなオルガンの音色によく似合う。
青春の多感な時期に、こういう場所で宗教音楽をいつも聞いていたとしたら、その人の人間形成にもきっと、深い影響をもたらすのだろうなぁーと、
十代の頃、この清廉で荘厳な調べを聴きながら育ったタカミーのことを想った。
厳密にいうと現在のパイプオルガンは、パイプオルガン全盛期である17~18世紀、バッハの時代の音色を再現するというコンセプトと工法技術のもと、12年の歳月を費やして2009年に完成した (現存していたもののリニューアル) ということで、設置場所もチャペル内の反対側になったということですので、彼らが聞いていたものとは全く同じではありませんが、その前身のパイプオルガンではあるようです。
今でこそコンサートができるほどの規模の大ホールを持つ大学も珍しくないですが、あの時代にパイプオルガンがあったなんて贅沢というかお洒落ですね。 (注:1)
礼拝は、演奏が終わった時点で終了、最後にお話をしてくださった本学オルガにストの長谷川美保さんと、この日パイプオルガンを演奏してくださった池尾靖志さん(キリスト教研究所客員研究員)が出てきてお辞儀をしてくださったので、拍手のお礼をしました。
立ち上がって振り返ってみると、ちょうどパイプオルガンとは反対側の場所が、
TVにも映っていた、アルフィーの面々が卒業証書を受け取った講壇 (正面舞台、2006年に創設当初の姿に復元) になっていた。
ああ、こっちが正面だったのね、とわかったのと、あの時の舞台だわ と思うと、
こげ茶色の演台も、アールがかった天井の白壁も、眩しく、神々しく見え、感激もひとしおでした。
これです!!
写真は、NHKBS 『歌のあとさき特別編』 を写真に撮らせていただいた時のものです。
この写真で、メンバーの座っている後ろの方に見えている四角いBOX型の固定椅子が、礼拝堂作り付けのもので、
メンバーも座っていて、写真ではその左横に映っているのが、一脚ずつの稼働椅子です。
私たちがパイプオルガンの演奏を聴く際に、講壇には背を向けてオルガンの方を向いて座ったのですが、
その座った椅子というのが、こちらの稼働椅子でした。
もしかして、メンバーの (タカミーの) 座った椅子かも なぁ~んて思うだけでも嬉しかったです。
と、長々書きましたが、
これらのことをものの数分の間に考えて、サッと見ただけですぐにチャペルを後にし、
私の入ってきたのとは反対側の出入り口 (でも、今思うとあの時の正面になるわけだから、後方から入ってきてよかったぁ~ってカンジですが・笑) のところで、大学礼拝 (チャペルアワー) の日程が書かれている 『チャペル週報』 と、本日4月18日の演目 (曲目や内容の簡単な説明) を書いたプリントの二つをいただきました。
週間日程表を見ると、今週の月曜から木曜までの4日間が聖書と讃美歌、金曜日は 「音楽礼拝」 となっていて聖書とオルガンを聴く日だったようです。
聖書のお話を聞き、一節を一緒に朗読するのには間に合わなかったので、残念でした。
でも、途中からでもパイプオルガンの素晴らしい演奏を聴かせていただくことができたので、偶然選んだ日とはいえ、とてもラッキーでした。
讃美歌も歌ってみたかったです。
やはり、礼拝に参加させていただいてよかったな、チャペルの中も見られたし、
と、感慨深く、また厳かな気分になって外へ出て、入口の所に立っていらした職員の方に聞いたトイレ (3号館という半円形のような形をした建物の中にあった) へ行きました。
トイレはとてもきれいで明るくて、なんと、トイレも手洗い水道もすべて全自動でした。
す、すごい さすが、明治学院。
( って、今は大学のトイレってみんなそうなのかな? おととし30年ぶりに母校の和光大学に行ったんだけど、近い人なので、その時もトイレに入ったけど、忘れてしまったわ。きれいだったことは確かでした。 )
それから真っ先に、電話で教えていただいた、チャペルの裏手にあるという 島崎藤村の書いた 「明治学院校歌歌碑」 を見に行きました。
こちらです。 下の方に、 「1937」 と校歌碑の建設された年(昭和12年)が刻まれています。
かすかに読み取れるでしょうか?
藤村直筆によるもので、この校歌は大好きなので、拝見できてとても嬉しかったし、感動しました。(注:2)
そのあと、3号館反対側に建っていたのですぐにわかった、文化財の 「明治学院記念館」 と 「インプリ―館」 を眺め、写真に撮らせていただきました。
左が 「インプリ―館」。1889年ころの木造建物で、学院で教える宣教師たちの住居だそうで (1964年の道路拡張によりこの地へ移築) 都内における宣教師館としては最古のもので、建築物としても日本国内で一、二位を競う古い建物だそうです。
右が 「明治学院記念館」。 小チャペル、歴史資料館、事務室が入っています。(同じく1964年にこの地に移築)
私が大好きな島崎藤村の 『桜の実の熟する時』 の中には、この建物の描写とこの中にある図書館に主人公 「捨吉」(すてきち、藤村のモデル) が足しげく通っていたことなどが書かれているそうです。
私は家に帰ってから、歴史資料館で頂いてきた 『明治学院文化財ガイドブック』 を読んで、それでこのことを知ったので
( 自分がこの小説を読んだのは高校時代なので、そのような記述があったことは既に忘れてしまっていたので )
エーン、見る前に知っていたら、そういう気持ちで見たのに・・・ ぐすん。
と思ったことです。
写真を撮った後で、ふと振り返ってみると、チャペル入口 (TVでも卒業式の看板の立ててあったこちらが通常の出入り口のようです。私が正面だと思っていたのの反対側ということですね) のあたりに、
まだ先ほど、とても親切に礼拝の中身やトイレについて教えてくださった女性が、男性職員の方とお話しされながら立っていらっしゃるのが見えたので、
お話が終わって男性職員が立ち去るのを見届けてから、それでも、と思って尋ねてみました。
チャペル内は、やはり写真に撮ってはだめですよね?と、親切なお方だったので、つぃ聞いてしまいました。
そして、そんな事を聞いているうちに・・・、
こちらに見学に来る前に電話で問い合わせてみたのですが、個人で楽しむ程度のスナップ写真位なら撮ってもいいとのことでしたが、ブログなどには載せたらだめでしょうか、
と、電話で聞いときゃよかったなー 的なことを、つぃ成り行き?で聞くことになってしまい、
すると、
「個人でやっているものでもブログに載せるには許可というか申請書のようなものがいるんですよ。」
と言われ、
一瞬、じゃぁ写真はあきらめよぉかなぁ~ と気弱なことが頭をかすめた半素人根性むきだしの甘ちゃんな自分に、
いゃ、ここでひるんではいけない、せっかくだから写真は載せたい、
曲がりなりにも、自分は物書きの端くれ (のつもり) だよ?
こうなったら、申請書でもなんでも書きましょぉ
と、こうなる前に電話で確かめとくべきでしょー、なことなのに、秘かに燃えました。
( ちょっと補足しますと、ちゃんとしたものに載せる事を前提とした正式な取材でない限り、何かについて関係各位に電話等でお訊ねする時など、
自分が書いているとか言うと、何となく大袈裟になってしまい面倒なことになるため、極力何かについてお聞きする時も個人が趣味でやっているブログということにする (ホントにその通りですし) か、
たいていの場合はブログに書くということも伏せて、ただ一般的な質問だけをしたりするようにしています。
意識は別として自分はプロではないというのもあるし、手続きが面倒ということではなく、あくまで、特に必要のないことはさらりと済ませたいだけなのです。
それが今回のやり取りで、ちょっと変な感じになってしまったので、誤解されませんようにお願いできればと思います。 )
それでは、その申請書を書いて申し込みたいのですが、と言うとそばにいた若い女性職員の方が、それなら私がご案内しますよ、とおっしゃってくださって、
職員の方について、明治学院記念館の中に。
「1階は歴史資料館になってますので、よかったら後でご覧になってくださいね。」(親切ぅ~)
「はぃ、そのつもりです。 」
自分の出た小学校や高校にもあったような、支柱に丸い木の玉が付いたような、ちょっと懐かしさを覚える黒光りした古い木の階段を上っていくと、
二階に、先日電話でお話しさせていただいた 「学院長室」 が。
( キャー、ドキドキ・・・ )
と、思ったら、会議のため留守をしているという張り紙が。
仕方がないので、遠方なので帰宅したら学院長室に電話をして聞いてみて、申請書を郵送してもらって、記入して送り返すことにします、と申し出ました。
そして、ついでに
「ベルシバ」 という名前の学食のようなものが昔あって、何か高校と大学の間みたいなところに建っていたらしいんですけど、今はもうないと聞いたんですが (総てネットや雑誌等による情報。来る前に色々調べた)、どのへんかわかりますか?
と聞いてみた。
そして、実はこちらの学校を出られたアルフィーのファンで、先日の名誉卒業式に当たらなかったので、一度学校に来てみたかったので、いい機会だからと尋ねてみたのですが、
そのベルシバという学食にメンバーがよくたむろしていたと聞いたので、せめてどの辺にあったか知りたいんです。(おずおず・・・)
「ああ、そーなんですかぁ? ニコッ。 でも、残念ながらよくわからないです・・・。」
そうですか、それは残念です。仕方ないですよね。
では、資料館見せていただいて帰りますね、とその感じのいい女性とは別れたのですが、
歴史資料館をいろいろ見ていたら、なんと
先ほどの女性が入ってきて、 「ベルシバ、わかりました 」 とおっしゃるではないですか。
そうして、窓のところまで行って
「あのあたりに10号館という建物があるんですけど、ここからはちょっと見えにくいかと思いますけど、ここをこう行くとあるので、
その建物の入り口のあたりが少し広くなっていて、どうやらその辺だったのではないかということです。」
と、外を指さしながらとても親切に教えてくれるではないですか。
「うわぁ、ありがとうございます。嬉しいです、行ってみます 」
感激で胸がいっぱいになりながらお礼を言いました。
名誉卒業式に申し込むにあたって、明学みたいな格調高い大学、私なんてとてもとても行けやしないわ
なんて思ったりもしたけど、
明治学院の職員さんたちみなさん、 なんて親切なんだぁ~
( さすがは、アルフィーの3人の出た大学ですね。(^_-)☆ )
歴史資料室には島崎藤村関連のものもある、と聞いていたように思ったのですが、
私の勘違いか見落としか、特にそれらのものがあったようには感じられなかった気がしますが、
明治学院の建物を、1890年、1950年、1985年、2008年の頃のものに再現したというミニチュアの模型が飾ってあって、それが一番面白かったです。
こちらは、持ち帰った 『明治学院 歴史資料館』 というハンドブックの中に載っていた、その模型図の載ったページを写真に撮らせていただいたものですが・・・(もちろん、実物を写真に収めてなんかいませんので念のため)
1890年頃、島崎藤村の学んだ頃の明治学院風景だと、模型のところにも書いてあったので
うわぁ~、これがそうなんだぁ~ と見入ってしまいました。
『桜の実の熟する時』 に描かれている、当時 “煉瓦造2階建”の建物 だったという現在、明治学院記念館となっている建物は、
おそらく写真右手の方に並んでいる、校庭の反対側手前の、緑の屋根に茶色い建物がそれっぽいです。(1950年ころから現在は二階部分は白いペンキ塗り)
まだ、校庭や中庭などが広くて、緑が多い感じですよね。
藤村がここで勉強したのだと思うと、感慨もひとしおでした。
そして、もう一つの注目は・・・
1985年ころの学院風景で、時代別4つの模型の中では、一番アルフィーのメンバーが通っていたころに近いものです。(高校入学の1970年~一番長いタカミーで1981年まで在籍)
かなり現在に近くなってきていますが、現在よりまだ建物が少なく、高校の校庭と思われるものがあり、中庭も広いのと、
なんといっても嬉しかったのは、「ベルシバ」 のあたりにあった、アルフィーがよくたむろしていてギターなどを弾いていたらしいというベンチのあった場所が再現されていて、屋根の隙間から学生たちが座っているところまでがわかったことです。
うわぁ~、ベルシバだぁ~ アルフィーだぁ~
と、勝手に、ベンチにいる人々をアルフィーのように思いこんで、ニコニコしながら何度も何度も見入ってしまいました。
模型としても当時に一番近いので、アルフィーのころの歴史を感じるのに一番でした。
この写真で、手前の緑色の屋根 (記念館とインプリ―館) の横にある白い小さな建物、
から延びている赤い屋根と水色の屋根の、どちらかがアルフィーがたむろしていたベルシバの外ベンチを覆うように立っていたテント型の屋根だと思います。
こちらはチャペル (右手前の緑の屋根) の裏手、左奥に広がる 「明治学院高校」 の白い建物と中庭あたりと思います。
この中庭で、高1の学園祭の時、タカミーがド派手な格好で真っ赤なエレキをかき鳴らし、ものすごい高音で歌を歌っていたのでびっくりして、
ゼッタイこういう奴とは友達にならないタイプだと思ったと
同じく高校から明学に通っていたのちの桜井賢は語っています。
その後高3の学園祭でも、アルフィーの前身であるバンド、コンフィデンスに加入したばかりの、当時都立隅田川高校に通っていた坂崎幸之助も、
明学の学園祭を見に行って (おそらく、コンフィデンスの学園祭の出し物に参加しに行ったのでしょう) 中庭でロックを演奏する高見沢を目撃しているそうです。
その時の第一印象はあまりよくわかっていません。(二度目に、二人が大学に進学してから再会?した時のことはよく聞きますが)
どんな印象を持ったか、ぜひ知りたいです。
そんなこんなで、当時の島崎藤村とアルフィーに思いを馳せ、
「ご自由にお取りください」 と書かれた学院資料などをいただいて (ちょうど入館する時に退場される方一人と入れ違っただけで、見学者がほかになく、1人でゆっくりじっくり見られたというせいもあり)、
ホクホク顔で資料館を後にしました。
教えていただいたので、さっそくベルシバ跡地らしき場所を訪ねてみました。
写真右手奥にちいさく見える白い建物 (10号館) の辺が、学食(カフェ) 「ベルシバ」 のあったあたりと思われます。
その前にあるベンチ広場が、アルフィーのたむろしていたと言われるベンチ付近かなぁーと思われ、
当時は、赤いコカコーラかなんかのベンチだったそうです。
しばし感慨にふける。
このあたりから、ちょうど奥の方の学院創設者のヘボン博士の胸像を見に行こうと思っていると、
向こうの方から戻ってきた人が一人、また、胸像を見入っている人が一人見えました。 (時間は前後するかもわかりません)
さきほど、チャペルの中で一緒に礼拝に参加していた方々で、ひょっとしたらアルフィーファンの方かもしれないと思っていた、まさにその方々でした。
タカミーのバースディ・コンサートに泊りがけで参加して、翌日に明治学院を訪ねてみよう、だなんて私と全く同じことを考えている地方の人だろうなぁーと思うと、
なんか嬉しいような、ちょっとこそばったいような気分でした。
1863年、明治学院の前身となる英語塾を横浜にて開校し、のちに明治学院初代総長となる J.C.ヘボン氏(学院創設者) の胸像。
3号館奥の、大学側校舎の方の中庭の正面にあります。
この辺まで来たら、大学の校舎の方は学生さんたちが大勢いる感じだったし、入りにくそうだったので、行ってみなくてもいいや、と思ってやめました。
だいたい、主だった見たいところは見られましたし。
ここでもう一度トイレに行きたくなったので、3号館のトイレに入りましたが・・・
あとで 『歌のあとさき』 の卒業式の場面をもう一度見直したら、この3号館 (こちらも大学の建物だそうですが) が写っていたので、びっくりしました。
ちょうどタカミーが3号館 (後ろの建物) の前を通って、卒業式の行われるチャペルに向かおうとしているとき、
在校生の一人がタカミーに駆け寄りサインをせがむのだが、タカミーがこれに応じてくれ、嬉しそうにしている少年と、それを少し抑制?しようといている警備員が写っていましたが (ギターを抱えているので音楽少年だと思われるが、まさか、作ってないよね? 書いたりとかしてると、何でも疑ったり深読み、裏読みするクセがついててゴメンなさい・汗)、
二人の遥か後ろの方に見えているのが、ヘボン博士の胸像のある大学前広場だったので、
なんとなく、大学を見に行ってからTVを見ると、今まで見過ごしていた箇所が、あっ、あそこだぁ~
と思えてうれしかったです。
最後に、明治学院高校の校舎と思われるところをしげしげと眺め(右手の白い建物)、
少年時代にここで学んだタカミーのことを想いました。 きらん…
左手の木立の中、街燈の後ろに見えるのが島崎藤村の校歌碑です。
当時、タカミーが学園祭で熱唱していたという中庭は、厳密にはわかりませんでしたが、このあたりなのかなぁーと思いを馳せました。
こちらは、明治学院のサイトに載っていた学院マップをコピーし、自分で着色したものを写真に撮らせていただきました。
小さくてわかりづらいですが、ピンク色の部分が、今回尋ねさせていただいた建物の数々で、青い部分が、旧中庭近く (左手ですが実際は先ほどの写真のように、現在はA明治学院高校前の、図でいうと窓のついた建物のたっているあたりかもしれません) と、 右手ベルシバ跡地 (E10号館あたり) の、ベンチ付近です。
図の、右手写ってない部分が、主に大学側の敷地になります。
このあと、行きはタクシーで、しかも気をもんで景色見るどころではなかったので、
帰りは 「ああ、タカミーもここを歩いたんだなぁー」 と思いながら、品川駅まで歩いてみることも考えたのですが、
たぶん当時とはずいぶん面影も変わっていると思われたし、色々見たり想いを巡らせて (遅刻して大騒ぎ、大走りもしたし ) ちょっと疲れちゃったし、
ちょうど駅の方に向かう都営バスが、学校の門の真ん前に止まるらしく、学生が待っていたので、バスに乗ることに決めました。
バスが思いのほかすぐに来たので、そういえば門のところを撮っていなかったワ と思い出して、振り返りざまにあわててとったので、学校のプレートもよく見えず、変な写真ですが・・・
さらば、憧れの明治学院、聖地巡礼の旅。
大学には、だいたい2時くらいまでいたでしょうか、バスの中では、このあたりをタカミーが通ったんだなぁーと
おそらくあの頃よりは、すっかり近代的な街並みとなったであろう白金を見ながら、
満足感と疲労とでぐったりとシートに座り込んでいました。
【 注 】
1. この他明治学院には、ほぼ1904年制のもので大正時代の礼拝に使われていたという、2段手鍵盤と足鍵盤、19ストップの大型リードオルガンもあり、明治学院120周年を機に修復され、現在は明治学院記念会内の小チャペルにあるそうです。現在演奏できるオルガンとしては国内では最大で最古のものだそう。( 以上学院のサイト、「明治学院文化財ガイド」 参照。ガイドブックには写真付で紹介されています。)
2.島崎藤村作詞の明治学院校歌・・・これについては少し詳しく書きたいので、長くなりますので近々別の箇所に書きます。すみません。
その他
明治学院 「大学礼拝」(チャペルアワー)
学期中毎日 (白金キャンパス、横浜キャンパスともに) 学内チャペルにて 12:35 ~ 12:55 に行っているもので、
オルガンの前奏から始まり、聖書に基づくメッセージ (奨励) を聞いて、心を落ち着かせる時間です。
どなたでもご参加いただけます。(クリスチャンか否かは問いません)
と、明治学院大学のサイトの説明には出ています。
大学在学生及び職員などの大学関係者外の一般の方の参加ができるそうです。
アルフィーのメンバーがたむろしていたとうわわされる、学食(カフェ) 「ベルシバ」(ベール・シバ) について。
その後、大学校友センターに問い合わせたところ、名前の由来は、地名の 「芝」 ではなく、聖書の創世記に出てくるアブラハムの住んでいる地名 「ヴェール(ベール)・シバ」 から来ているようです。
ただ、キャンパス内にあったのだけど、外部の方の経営しているカフェだったので、それ以上の詳しいことはわからないとのことでした。 (なので、 「マスターの名前説」 も、ご本人のジョークとは断言できないかも・笑)
ちなみに、通称は 「ベル・シバ」 と皆さん呼んでいたようなので、 「ベル・シバ」 でいいとのことです。
【 補足 】
明治学院訪問に関するブログ掲載について
帰宅後に学院長室にお電話にてお聞きしましたところ、先日電話に出てくださった女性職員が対応してくださって、
個人のブログ程度であれば、わざわざ申請書を書いて申し込まなくとも良いとのことでした。
写真も載せても大丈夫ということでした。
今までの自分のやり方ですと、ブログの対象になった方に内容を読んでいただいて間違ったことや書かれて困ることが書いてないかなどをチェックしていただき、申し出があれば直す、という方法を取っていましたので、明治学院様の方にもそのようなことをお願いしましたが、
沢山ある個人のブログをいちいち管理しきれないということだと思うのですが、個人のブログに関しては特に申請も検閲も意見もしないということでしたので、
あとは書いた本人の良識に任せるということだと判断させていただきました。
せっかくですのでブログのタイトルはお伝えしておきましたので、目を通していただけると嬉しいなとは思いますが、
私が心配していたような、大学の内部に関してここまで詳しく書いちゃっていいのかなぁー、みたいなことに関して、特にいいとか悪いとかの回答が得られなかった (内容に関して関知しないということ) ので、それも自己判断に任せていただけるものと解釈させていただきました。
キャンパスマップや文化財の写真などはすべて 「明治学院のサイト」 にも載っているものですので、自分で写真に撮ったものを特に公開してはいけないものではないと思いましたので、このままブログに掲載させていただきます。
内容に関しましては、不明だった点は質問して直したので、間違った内容は書いてないと思いますし、
大好きな島崎藤村とアルフィーに関することなので、つい熱が入り詳しくなってしまったものとして、学院様、読者の皆様にはお許しいただければと思います。
当学院歴史資料館にあり、持ち帰り可能だったので、
憧れの明治学院の資料ですので、喜んで全部いただいてきてしまいました。
本ブログは、これらの資料 (特に「文化財ガイドブック」「歴史資料館」ガイド等) と、明治学院サイトを参考にさせていただきました。重ねてお礼申し上げます。
右の 「島崎藤村の写真入りのものは、長野県小諸市 (藤村が教員として赴任していた町で、藤村第2の故郷、こちらにも藤村記念館もあるところ) と明治学院との協働連携事業について紹介しているリーフレットです。
藤村の生まれ故郷のKよりも事業が盛んなようで、羨ましいです。
※ 写真は、全てつたない腕ながら自分で撮りました。
TV画面や資料に掲載されていたものに関しましては、転載ではなく、資料を写真に撮るという方法を取らせていただきました。(出どころはその都度明記)
リキ入って、自分でもビックリ の、ものすごく長くなってしまいましたが、
こんなにも長いものを、ここまで読んでいただきまして、どうもありがとうございました。
また、明治学院大学にてお電話で対応してくださったり、校内で案内をしてくださった職員の方々には大変お世話になりました。
ご親切にしていただきましてとても嬉しかったです。
この場をお借りしましてお礼申し上げます。 本当にありがとうございました。