少し簡単すぎたので大いに反省して、昨日UPしたものより、写真増量、大幅に加筆しました
もう一度お読みいただけると幸いに存じます。
大相撲夏場所 (五月場所:平成27年5月10日(日)~ 平成27年5月24日(日) 於:東京両国国技館) を終えて、
5月27日の番付編成会議にて、御嶽海(22)=本名大道久司の十両昇進が決定しました。
幕下十両目格付けスタートで、今場所は幕下3枚目、2場所で十両昇進というスピード出世は、遠藤や逸ノ城らに並び11人目となる 最速記録 すごいにゃ。
長野県からは1968年秋場所の 大鷲 以来47年ぶりの新十両となりました。
( 今場所の成績は6勝一敗。デビューしたての春場所も6勝一敗で、これで2場所続けての勝ち越しを決めました。 )
これで晴れて 「関取」 となりました
おめでとうございます
写真は 上が 「日刊スポーツ」 (5/28最終面-Fresh!信州 より)
下が 「市民タイムス」(5/28一面) 出羽海部屋前でガッツポーズをとる御嶽海。
手に持っているのは 信州のマスコット 「アルクマ」。
(信州名産のリンゴをかぶったクマさんで、アルプスと歩くをかけている)
十両昇進の決まった27日は、くしくも昨年9月27日に発生した地元 「御嶽山(おんたけさん)」爆発 から、ちょうど8カ月に当たる日で、
「何か運命のようなものを感じる。木曽だけでなく、長野県全体が元気になってくれれば。」
と、自分のしこ名 「御嶽海(みたけうみ)」 とのつながりを言葉にした。
同日市民タイムス 地元も大賑わいです 右写真は、十両昇進ニュースをネットで知り喜ぶ御嶽海のご両親。
写真右は 5月25日 「信濃毎日新聞」 で、24日に勝ち越しを決め、両国に応援のため駆け付けたご両親と、十両昇進への手ごたえをつかみ喜び合った。
下は、その様子をTV観戦して勝利を喜び合う、御嶽海もかつて通った 「木曽町少年相撲クラブ」 の子ども達。
『挑戦』 という欄にて、毎日のように御嶽海を追っていた 「信濃毎日新聞」 は、この日も一面に。(5/28)
下の写真は、小学校のころ、毎日四股を400回踏み基礎体力を養っていたという、自宅庭一角にある庭石を見せる、父・大道春男さん(66)。
同、中南新版。
写真真ん中は、27日夜に御嶽海の出身地 上松(あげまつ)町で開かれた 「祝う会」 に出席し、子供たちから花束を受け取る 父・春男さんと母・マルガリータさん(45)。
「皆さんの子どもだと思って応援してください。」 と春男さん。
厳しい父と優しい母に育てられ、自分には反抗期というものがなかったと御嶽海。
指導された先生や、相撲クラブ同期によると、御嶽海はまじめで練習熱心だったという。
同、スポーツ面。出羽海親方と昇進を喜び合う(写真上)。
下は、御嶽海のこれまでの歩み。
5月28日付 「市民タイムス」 で、街の公民館2Fバルコニーに、横断幕取付中の町職員 今日通り掛けに見たら、より目立つのに代わってました。
(ネコタ撮影・なぜかかすみがかってますな )
最近、歴史好き女子= 「歴女(れきじょ)」 が流行りみたいですが・・・
「相撲女子」、「スー女」 なるものが秘かにブームとか へ~え、中々しぶいですな。
いろんなファンの方がいらっしゃるのですね。
でも、オッサンや年配の方ばかりより(笑)、若い女の子たちに囲まれ黄色い声援を受けたら、そりゃぁ、お相撲さんも嬉しいですよね・笑。
信濃毎日新聞 「週間:写真ジャーナル」 より。
友人M氏(写真、文) は祖父の代から三代続いた “筋金入りの” 相撲ファンだそうで、色んなことをとてもよくご存知です。
もちろん、仕事柄、他のスポーツや各方面に詳しいのですが、とりわけ相撲について語るアツさは、この記事の女子以上です。(笑)
あ、彼女たちのお目当ては、またちょっと違うのかな。
最近 「和」 がブームなのでしょうか。
ニッポンの古来からあるものは、やはり趣きがあってよいですね。
おまけ・・・
上松町本町通りで文房具店を営む原英紀さん(72)は、今場所より、交差点の信号待ちからもよく見える、店頭の目立つところの表窓ガラスに、自作の 「星取表」 を貼ったり、
御嶽海が東洋大4年でアマチュア横綱と学生横綱の2冠を達成した記念に、ワープロで 「優勝おめでとう」 と書いた幅30㎝、長さ1.2メートルの自作の 「懸垂幕」 を印刷し、町役場、商店街、小中学校に100枚以上配ったのが始まりで今も続く、懸垂幕作成と配布、などで応援するとともに、地元を盛りあげているという。(信濃毎日新聞・5/19)
なかなか、個人でこれだけのことをするのはすごいです。
そして・・・
御嶽海の生まれは隣りの上松町ですが、小4より通った少年相撲クラブと、出身である福島中学、木曽青峰(せいほう)高校の所在地である、我が木曽町のあちこちの店頭には、御嶽海を盛り上げ地元を活気づけようということで、こんなポスターが。
( 以下の写真は4月に撮ったものです。 )
M陶器店
S自動車整備
O商会(自動車整備販売) 車の中からパチリ・・・
郵便局 (ただ今、外壁等を改装中です)
そして、我が店頭にも一枚もらってきて貼りました。
( どこでもらえるのかなぁーと思って教育委員会に聞いたら、現在品切れで印刷中?とのことで、後日町内在住でちゃんこ店経営の、木曽相撲連盟会長の植原延夫さん(75) が、直々に持ってきてくださり、えらく恐縮してしまいました。どうもありがとうございました。 )
これは、Mさんがゴールデンウィークに、取材帰りにチラと店に寄ってくれた時、撮ってくれたものです。
ひゃー、私の方が関取みたいだぞっと はずかしー。
Mさんはこの春から、再び松本支局に来られたそうで、またKで取材があれば、たまには寄ってくれることもあるのかなぁ~、なんて。
何だか近くなったとゆーだけで嬉しいです。
なんつーか、店と家を往復するだけの毎日で、しかもKなので・・・
限りなく閉鎖的とゆーか、文化的刺激に飢えているので・・・。
Mさんは、いるだけで 「文化の香り+情報」 を運んできてくれる、私にとって神様みたいな人です。
憧れの報道関係のお仕事だし・・・尊敬。
しかも、開設当初よりMY・HPと当ブログをご愛読くださっているので、
なんて有難いんだぁ~
【 注 】
十両とは・・・大相撲の番付の一つで、正式名称は「十枚目」。
定員は東西14人ずつの28人以内で「関取」として扱われるようになり、本場所では幕下までは7番だった取り組みが15番に増え毎日組まれる。
その他、大銀杏を結うことや化粧まわしを付けることなども許され、付き人や個室もあてがわれるなど待遇に格段の差が出る。また、幕下は場所ごとに15万円の場所手当しか出なかったのが、十両以上の力士には毎月約100万円の月給が支給されるのも大きな違いである。
木曽町で相撲が盛んになったわけ。
ネコタ高3の1978年に長野県にて開催された、第33 回国民体育大会・やまびこ国体の際、松本市が主会場であったが、競技により県内あちこちで開催され、木曽町(当時は木曽福島町)は 「相撲」 であった。
そのため、国体に合わせて町に客席や屋根のついた相撲場が作られたので、その後、それを生かすべく町少年相撲クラブができたり、町民相撲大会が開催されたのがきっかけ。
その後、木曽福島町町立福島中学相撲部が全国大会で優勝する(年度不明)など、相撲が盛んな街として知られている。
福島中学相撲部や木曽町少年相撲クラブの活躍などが、たびたびドキュメンタリー・ドラマとして長野県のローカルテレビでも紹介されている。
中学に相撲部が、また現在は木曽青峰高校に統合合併されたが、旧木曽山林(さんりん)高校 (林業科とインテリア科からなる県立の職業高校で、林業科のある高校は全国でも珍しく開校100年の歴史があった) にも相撲部があり、双方は歩いて行き来できるほど近くにあったので、かつては各相撲場を行ったり来たりして練習する子供たちが、その中間に位置するうちの店でたまに買い物をすることもあったように思う。
なので、幼少期の御嶽海ももしかしたら見たことがあったかも、ですが、何分にも子供で大勢で来るし、数年で代が変わるので、特に記憶にないのが残念。
御嶽海~
いつか横綱になって、 「思い出の場所」 とかいって、ぜひ尋ねに寄ってね。
○○やのオバチャンも、頑張って応援するからね。
御嶽海も、ガンバレ
もう一度お読みいただけると幸いに存じます。
大相撲夏場所 (五月場所:平成27年5月10日(日)~ 平成27年5月24日(日) 於:東京両国国技館) を終えて、
5月27日の番付編成会議にて、御嶽海(22)=本名大道久司の十両昇進が決定しました。
幕下十両目格付けスタートで、今場所は幕下3枚目、2場所で十両昇進というスピード出世は、遠藤や逸ノ城らに並び11人目となる 最速記録 すごいにゃ。
長野県からは1968年秋場所の 大鷲 以来47年ぶりの新十両となりました。
( 今場所の成績は6勝一敗。デビューしたての春場所も6勝一敗で、これで2場所続けての勝ち越しを決めました。 )
これで晴れて 「関取」 となりました
おめでとうございます
写真は 上が 「日刊スポーツ」 (5/28最終面-Fresh!信州 より)
下が 「市民タイムス」(5/28一面) 出羽海部屋前でガッツポーズをとる御嶽海。
手に持っているのは 信州のマスコット 「アルクマ」。
(信州名産のリンゴをかぶったクマさんで、アルプスと歩くをかけている)
十両昇進の決まった27日は、くしくも昨年9月27日に発生した地元 「御嶽山(おんたけさん)」爆発 から、ちょうど8カ月に当たる日で、
「何か運命のようなものを感じる。木曽だけでなく、長野県全体が元気になってくれれば。」
と、自分のしこ名 「御嶽海(みたけうみ)」 とのつながりを言葉にした。
同日市民タイムス 地元も大賑わいです 右写真は、十両昇進ニュースをネットで知り喜ぶ御嶽海のご両親。
写真右は 5月25日 「信濃毎日新聞」 で、24日に勝ち越しを決め、両国に応援のため駆け付けたご両親と、十両昇進への手ごたえをつかみ喜び合った。
下は、その様子をTV観戦して勝利を喜び合う、御嶽海もかつて通った 「木曽町少年相撲クラブ」 の子ども達。
『挑戦』 という欄にて、毎日のように御嶽海を追っていた 「信濃毎日新聞」 は、この日も一面に。(5/28)
下の写真は、小学校のころ、毎日四股を400回踏み基礎体力を養っていたという、自宅庭一角にある庭石を見せる、父・大道春男さん(66)。
同、中南新版。
写真真ん中は、27日夜に御嶽海の出身地 上松(あげまつ)町で開かれた 「祝う会」 に出席し、子供たちから花束を受け取る 父・春男さんと母・マルガリータさん(45)。
「皆さんの子どもだと思って応援してください。」 と春男さん。
厳しい父と優しい母に育てられ、自分には反抗期というものがなかったと御嶽海。
指導された先生や、相撲クラブ同期によると、御嶽海はまじめで練習熱心だったという。
同、スポーツ面。出羽海親方と昇進を喜び合う(写真上)。
下は、御嶽海のこれまでの歩み。
5月28日付 「市民タイムス」 で、街の公民館2Fバルコニーに、横断幕取付中の町職員 今日通り掛けに見たら、より目立つのに代わってました。
(ネコタ撮影・なぜかかすみがかってますな )
最近、歴史好き女子= 「歴女(れきじょ)」 が流行りみたいですが・・・
「相撲女子」、「スー女」 なるものが秘かにブームとか へ~え、中々しぶいですな。
いろんなファンの方がいらっしゃるのですね。
でも、オッサンや年配の方ばかりより(笑)、若い女の子たちに囲まれ黄色い声援を受けたら、そりゃぁ、お相撲さんも嬉しいですよね・笑。
信濃毎日新聞 「週間:写真ジャーナル」 より。
友人M氏(写真、文) は祖父の代から三代続いた “筋金入りの” 相撲ファンだそうで、色んなことをとてもよくご存知です。
もちろん、仕事柄、他のスポーツや各方面に詳しいのですが、とりわけ相撲について語るアツさは、この記事の女子以上です。(笑)
あ、彼女たちのお目当ては、またちょっと違うのかな。
最近 「和」 がブームなのでしょうか。
ニッポンの古来からあるものは、やはり趣きがあってよいですね。
おまけ・・・
上松町本町通りで文房具店を営む原英紀さん(72)は、今場所より、交差点の信号待ちからもよく見える、店頭の目立つところの表窓ガラスに、自作の 「星取表」 を貼ったり、
御嶽海が東洋大4年でアマチュア横綱と学生横綱の2冠を達成した記念に、ワープロで 「優勝おめでとう」 と書いた幅30㎝、長さ1.2メートルの自作の 「懸垂幕」 を印刷し、町役場、商店街、小中学校に100枚以上配ったのが始まりで今も続く、懸垂幕作成と配布、などで応援するとともに、地元を盛りあげているという。(信濃毎日新聞・5/19)
なかなか、個人でこれだけのことをするのはすごいです。
そして・・・
御嶽海の生まれは隣りの上松町ですが、小4より通った少年相撲クラブと、出身である福島中学、木曽青峰(せいほう)高校の所在地である、我が木曽町のあちこちの店頭には、御嶽海を盛り上げ地元を活気づけようということで、こんなポスターが。
( 以下の写真は4月に撮ったものです。 )
M陶器店
S自動車整備
O商会(自動車整備販売) 車の中からパチリ・・・
郵便局 (ただ今、外壁等を改装中です)
そして、我が店頭にも一枚もらってきて貼りました。
( どこでもらえるのかなぁーと思って教育委員会に聞いたら、現在品切れで印刷中?とのことで、後日町内在住でちゃんこ店経営の、木曽相撲連盟会長の植原延夫さん(75) が、直々に持ってきてくださり、えらく恐縮してしまいました。どうもありがとうございました。 )
これは、Mさんがゴールデンウィークに、取材帰りにチラと店に寄ってくれた時、撮ってくれたものです。
ひゃー、私の方が関取みたいだぞっと はずかしー。
Mさんはこの春から、再び松本支局に来られたそうで、またKで取材があれば、たまには寄ってくれることもあるのかなぁ~、なんて。
何だか近くなったとゆーだけで嬉しいです。
なんつーか、店と家を往復するだけの毎日で、しかもKなので・・・
限りなく閉鎖的とゆーか、文化的刺激に飢えているので・・・。
Mさんは、いるだけで 「文化の香り+情報」 を運んできてくれる、私にとって神様みたいな人です。
憧れの報道関係のお仕事だし・・・尊敬。
しかも、開設当初よりMY・HPと当ブログをご愛読くださっているので、
なんて有難いんだぁ~
【 注 】
十両とは・・・大相撲の番付の一つで、正式名称は「十枚目」。
定員は東西14人ずつの28人以内で「関取」として扱われるようになり、本場所では幕下までは7番だった取り組みが15番に増え毎日組まれる。
その他、大銀杏を結うことや化粧まわしを付けることなども許され、付き人や個室もあてがわれるなど待遇に格段の差が出る。また、幕下は場所ごとに15万円の場所手当しか出なかったのが、十両以上の力士には毎月約100万円の月給が支給されるのも大きな違いである。
木曽町で相撲が盛んになったわけ。
ネコタ高3の1978年に長野県にて開催された、第33 回国民体育大会・やまびこ国体の際、松本市が主会場であったが、競技により県内あちこちで開催され、木曽町(当時は木曽福島町)は 「相撲」 であった。
そのため、国体に合わせて町に客席や屋根のついた相撲場が作られたので、その後、それを生かすべく町少年相撲クラブができたり、町民相撲大会が開催されたのがきっかけ。
その後、木曽福島町町立福島中学相撲部が全国大会で優勝する(年度不明)など、相撲が盛んな街として知られている。
福島中学相撲部や木曽町少年相撲クラブの活躍などが、たびたびドキュメンタリー・ドラマとして長野県のローカルテレビでも紹介されている。
中学に相撲部が、また現在は木曽青峰高校に統合合併されたが、旧木曽山林(さんりん)高校 (林業科とインテリア科からなる県立の職業高校で、林業科のある高校は全国でも珍しく開校100年の歴史があった) にも相撲部があり、双方は歩いて行き来できるほど近くにあったので、かつては各相撲場を行ったり来たりして練習する子供たちが、その中間に位置するうちの店でたまに買い物をすることもあったように思う。
なので、幼少期の御嶽海ももしかしたら見たことがあったかも、ですが、何分にも子供で大勢で来るし、数年で代が変わるので、特に記憶にないのが残念。
御嶽海~
いつか横綱になって、 「思い出の場所」 とかいって、ぜひ尋ねに寄ってね。
○○やのオバチャンも、頑張って応援するからね。
御嶽海も、ガンバレ