猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

母のその後 & 片付けその後・・・(^^;)

2015年05月19日 | その他 色々


日々の生活に追われ、庭を見る余裕もなかったのですが、
フト気づいたら、「金ぐさり」 がこんなに咲いていました。

もう何年も前に植えたけど、砂利っぽい場所だったせいか生育が悪く、なかなか房を付けてくれなかったのですが・・・

昨年秋にシルバーさんに庭木の剪定を頼んだせいか、こんなに花房を付けたのはたぶん今年が初めてです。 

感動     



こちらは、庭の入口当たりの 「コデマリ」。



つる薔薇もチラホラ咲き始め、やはり剪定効果なのか、つぼみを沢山つけてました。 



活けると、こんな感じ。 

下に写っているのは、今年も出ました  

K銘菓 「ほおば巻」 です。



その後母は、少しずつ台所もできるようになり、夕飯も私がそれほど用意しなくても母が何かしら作っているので、だいぶ楽になりました。

退院後の初受診後に、初めて買い物もしたと書きましたが、

今週日曜日に、同じ駐車場と店の入り口が近いAに、今日は駐車場から少し歩くEに、入院前に毎週のように行っていた、卵の安い 「火曜・夕市」 に、退院後に初めて行ってみました。

Eの方がスーパー内の通路も、会計後に買ったものを袋に詰めるカウンターもAより狭いので、母が他のお客さんのキャリーとぶつかったりしないか、ぶつかり所が悪くてまた骨折しても困るので、時々ちょっとひやひやして母の後をついて歩きましたが、何とか行ってこれたので嬉しかったです。

その他は、まだ本調子でないのか相変らずベッドで寝ていることが多いのですが、寝てばかりいてボケちゃうと困るので、たまに買い物に連れ出そうかと思っています。

幸い歩けるようになれたので、本当によかったです。

買いものから帰ると、杖を寝室に持って行きながら、
「もう家の中では杖がいらないので、玄関に置いといてもいいんだけどね」 なんて言ってました。


これだけ色々できるようになってきたので、もっとそれを喜ぶべきだと思うのですが・・・

時々思い違いをしていたりして、振り回される私はちょっと大変なこともあります。

近所の娘さんの話だと、一年ほど前におじいちゃん (その人にとってはお父さんに当たる人) が何か月か入院してたことがあり、退院してしばらくはボーっとしてたけど、ボケたんではなくて、そのうちに治るから大丈夫だよ、病院てとこはそんなふうになっちゃうとこだからねー、とのことでしたが・・・


2週間ほど前に、私がどんどん物を捨てちゃう、もうこれ以上やらないでほしい、私の家だ、と言って母が怒ったときに、

なんでもゴミ袋の中を見たら、自分が師範学校の時に、学徒動員で四日市かどこかの工場に奉仕活動に行ったことがあったのだが、何週間だか何か月の任期が終わりいよいよ帰郷することになった時にクラスメイトと伊勢神宮にお参りし、その時帰り道で売っていた 「地球儀」 を記念に買って帰った、その、大切な思い出の地球儀が捨ててあって切なかった

と言い張るのだ。

「え゛っ  あの地球儀は、私が小学生の時にお姉さんと私にって買ってもらったものだよ。嬉しくて、買ってもらった時のこともよく覚えてるもん、お母さんも学徒動員の帰りに買ったかもしれないけど、あそこにあるのは、それとは別のだと思うよ。」

と言ったのだが、絶対に違う、私が年を取ったから忘れるとかすぐに言うけど、あれだけは決して忘れない、自分で買ったのだ、の一点張り。

そんなはずないけどなぁー、どこかに証拠はないかしらん?

と思って、捨ててあった黒いビニール袋の中から地球儀を取り出してみると・・・

そこにはなんと 「教育地球儀 2500円」 というシールが貼ってあるではないですか 

戦時中 (せんじちゅう・第二次世界大戦の戦時下にあった時代をこう呼ぶ) に売っていたものに、こんな名称や値段はないわな、と確信したので、大威張りで母に見せると

さすがにそれは違う、と思ったのだろう。謝りはしなかったが、やっと間違いを認めたようで、ほんとだ、と言ったきり黙ってしまった。


ほとほと疲れたので、家に帰り夫に愚痴ったのだが、よく考えたら、 
「鬼畜米英 (きちくべいえい・戦時中、敵対国であるアメリカとイギリスは鬼、畜生であると言って国民の戦意をあおった)」 であった、国民の意識を教育的にも創りあげ、戦争へと駆り立てていった、あのものすごい戦時中に、 

「地球は丸い、人類みな兄弟」 みたいなことを思わせる 『地球儀』 というものを、学生が簡単に買えるような場所で、しかも当時としては非常に高価なものを、果たして売っていたのだろうか?

やっぱり、伊勢神宮に参った帰りに地球儀を買ったというのも、母の思い込みではないのかなーと思い、翌朝その話をしてみると、
「よく考えたら、友達が買ったんだと思う。私もほしかったけど、こんなところで買っても持って帰るのに大変だからやめて、友達が買ったんだね。」
とな。

そして、私が思い直して、ゴミの中から
「もしかしてお母さん、その時はこれをお土産に買ったんじゃないの?」 と拾い出した、相当古い 『二見ケ浦(ふたみがうら)の夫婦岩(めおといわ)という観光名所の壁掛け』 を差し出して見せると、

「私は、こういうものは買わないから、これは誰かにもらったんだよ。そんなものはいらないから捨ててもいい。」

だってさ。  

壁掛けはいらなくて、あくまでも 「地球儀」 が思い出の品だ、と言い張るところなど、いかにも母らしいと思ったものだが・・・  


その地球儀は、母と大喧嘩した記念? に、捨てるのはやめてきれいに拭いて、今、両親の寝室に飾ってあります。


  コレです 

そもそも、なぜ買ってもらった当時はとても嬉しかった地球儀を捨てようかと思ったかというと・・・
もうボロだし、あの当時とは国の名前などもだいぶ変わってきたから、これは処分して、いつかもっと新しくて、いかにも 「子供用」 みたいなものではない、インテリアにもなるような洒落たものを買おう、と思っただけなのだが・・・

そういう自分も、国名も変わった相当古い高校時代の 『地図帳』 を未だに愛用しているのだが・・・
( のちに中学時代のものはさすがに古いと思い処分し、3年新しい高校時代のものを、あの頃、世界史や日本史、地理などが大好きで、一生懸命勉強したので、その記念の意味もあって捨てられないのだ。単に間に合っていて便利なせいもあるのだが。 )




その地球儀には、 『月の地図』 がついていて、
1966年2月3日に、ソビエトの無人月調査機 「ルナ9号」 が、人類史上初めて 『月面着陸』 に成功したというので、日付と 「ルナ9号の着陸位置」 というのが、赤い点で描かれています。
(よく見ると、シールの左下に矢印と赤い点が見えます。)

1969年7月24日には、アメリカの月着陸船 「アポロ11号」 が、有人宇宙行の末月面に着陸、乗組員3人のうち2人が人類として初めて月面に降り立った。

1969年当時私は小学校3年生で、子供としては夜おそくまで “白黒テレビ” にかじりつき、その中継 (衛星放送) を見守り、 『月面着陸観察絵日記』 なるものをノートにしたためたほどで、当時の人たちにとっては、ものすごい画期的な、大興奮のニュースであった。
        

1966年のルナ9号の月着陸時は6歳、幼稚園年長だったので、あまり覚えていなくて、この、 「アポロ11号が月に降り立った」 というのを、ものすごくよく覚えている。

なので、写真の地球儀を買ってもらった時に、下の方に 「月の地図」 が半分だけとはいえついていたことと、地球を支える柱がロケットの形をしていたので、アポロ11号を思わせるようで、当時の限りない地球や宇宙へのロマンを駆り立てるものとして、大変嬉しく、飽くことなく眺めていたものだったことを、書いているうちにだんだん思い出した。


と・・・

そんな大事なものを捨てるなよなー、   

まさに、 怪我の功名  

記憶違いではあったが、もしかしたら母にとっても、子供に地球儀を買ってやった事 (つまりは自分の手に入れたようなもの) が自分でも嬉しくて、思い出の品だったかもしれなくて・・・

捨てなくてよかった。   

母に感謝である。


でもね、その次は、ベッド用のボックスシーツを買い、さらにその上に新しく買った夏用のさらっとしたベッドパットを敷いてあげたのに、

いいのだけど使っていると汚れるから、さらにその上からシーツをかぶせる (それも、和式の平織シーツを、私がパッドはゴムで簡単にはずせるから、汚れたら私が洗濯してあげるよ、和式の平織シーツは幅が足りないからベッドには向かないよ、と何度説得しても、私がそうしたいのに嫌なの? どうして? 思うようにやらせてよ ) と言い張ったり、

挙句、今まで使っていた敷布団の、羊毛パッドを敷いた下に、平織りのシーツがかぶせてあったはずだけどないから、私が捨てたんじゃないか (こちらも、結局母の思い違いで違う場所にあったのと、和式の平織シーツはベッドには使いづらいと自分でやろうとしてわかったらしく、しまいには折れたが) と怒ったり・・・

今日なんて、お昼に温泉卵を作ろうと思って、容器に確かにお湯を入れたはずだったけど、取り出して卵を割ってみたら生だったので、
そんなはずないと思うけど、こんなことは初めてだけど、もしかして水を入れたのかなぁー、とか。   


耳も聞こえづらいので、台所でヤカンでお湯を沸かしていて、湧いているのに気付かなかったり  水道の出しっぱなしはいいけど、火だけは危ないから気をつけてほしいのだが、あんまりいうと怒っちゃうし・・・
電話の音も聞こえないらしく、脚のせいではなく出ないので、色々不都合もある。
ラジオの音が馬鹿でかくて、私にはうるさすぎる・・・  ちょぃイライラ… 

それなのに、なぜか補聴器を入れようとしない。 


など不便もある。

温泉卵くらいではもう驚かないが、地球儀とシーツの時には大げんかになり、こんなに頑張ってるのに・・・    
と、片付けそのものや、人生さえもほとほと嫌になったものである。   

母だけでなく、両親ともに物忘れや聞こえ、その他もろもろ、老いて衰える機能に対して、もっと寛大な心を持たないといけないのかもしれないが、こっちも疲れてるし、中々むずかしいなぁー。  


今日はでも、午前中半年ぶりにバレエのレッスンに行ってきて、少しだけすっきりしたので、だいぶ気分がいいです。 

片付けは、クリーンセンターも3度行って、第一段階を突破したのと、途中で母と揉めたこともあり、ものすごく疲れたので、続きをヤル気がなくなり4、5日中休みをしたが、

新しい片付け場所に取りかかるたびに、ほんとに何から手をつけていいものやら途方に暮れ、溜息をつき、しばし座り込んでしまうほどのゴチャゴチャ加減なので、  そこまで母に言われたら、
「もう知らん やめた」   とよほどうっちゃりたい気分になるところを、
今、頑張ってやらなければずっとやらないことになるから、ここは何と言われようと頑張らなくては   
絶対そのほうがよくなって、最終的には使いやすくなったと母も喜んでくれ、ラクになるはず間違いないのだから    
と、今週日曜あたりから重い腰を上げて復活。 

今、8畳の、新しく寝室になった部屋に2間分もある押入れの大整理をしているのだが・・・

ほんとに大昔の古~ぃモノ、なんでこんなゴミみたいなものを取っておくんだろ、みたいなほこりまみれのものをどんどん捨てながら、

物を異様に大切にする両親から、どうして私のような子供が生まれたか不思議でしょうがないものである。   

私は、美意識に反するものは絶対に身の回りに置きたくないので、覚えておいでか、 「洗剤ボトル」 にまでこだわる人、なので・・・
( 「キティーちゃんのおそうじBOXなど」 2014年11月06日 | J’s Favorite  「キティーボトル、その後」 2014年11月16日 | J’s Favorite  などを参照 )

気に入るものをとことん探すか、目につくとこには置かずにしまうか、場合によっては処分してまで、徹底的に気に入ったもの、美意識が許すものを探し求める人なので、
そうして、
気に入った物に囲まれていること、気に入ったものを身に着けていること こそが幸せ     な人なので・・・

こんな私が、もったいない、まだ使える、あるもので間に合わせる、という両親と、合うわけがありません。    ・・・

おまけに、両親の家に置いてあるものは、40年も前に盛んに売られていた、花模様がついてるやつとか、変な色や形の安っぽくておしゃれじゃない、趣味も悪いプラスチックの容器や棚など、申し訳ないんだけど私からすると美意識に反するものがほとんどで、しかも整理せずにおいてあるので、使いづらいというだけでなく、そういうものに囲まれていると、悪いけどことごとくテンションが下がっちゃうんです。   



これは、洗面所の洗面ボウルにネコトイレが置いてあるので、どかすのが面倒でキッチンに置くようになった 「コンタクト洗浄保存液(中央)と目を洗う水(左2本)」 そして、レンズケースは、右のバリ島の 「アタ」 で作った小物入れに入れてあります。

目を洗う水のボトルは、煩雑な日本の文字の書いてあるフィルムをはがし、透明にました。
洗浄保存液のボトルは、許容範囲。
一番右の 「うがい薬」 は、キャップが赤なので気に入っていませんが、仕方なく・・・。


ふと思ったことには、

遅くにできた子ども (単に結婚が遅かっただけなのだが、母が34で父が31の時生まれたと思う。) なので、私の同世代の年齢の人の親より、両親が年を取っている、ゆえに大変なこともあるが、それだけではなく・・・

だいたい、親と子の年齢差は20歳くらいだと話も合ったり考えも近いと思うのだが、うちは30歳差。

戦前、戦時中の物のない貧しい時代に育った両親が、
戦後、復興と高度経済成長の真っただ中、日本が豊かになりつつある1960年代に生まれ育った私のものの考え方を理解するのには、

もんのすごい “ジェネレーションギャップ” がある のではないだろうか?      

これがさぁ、私が60代くらいだったらまだ、親の気持ちも今よりは理解できたのではないかと思えるのだが・・・

育った環境にもよるかもしれないが、単に性格や価値観の違いだけでなく、きっと時代背景もあるのではないかなぁーと最近つくづく思うワタシ。

もちろん、両親が頑張って働いてくれて、そのうえ無駄遣いもほとんどしなかったお陰で、あまりお金に困ることもなく、大学まで出してもらったという、育ててもらった恩には十分感謝しているつもりですが、

そして、両親ともに元気でいてくれて (母もだいぶ回復してきて、もう一息だし) 大変ありがたいのですが、


あんまり頑固だと、せっかく為を思って頑張ってる、こちらもやりにくいし・・・  
もう年なんだから、残りの人生をのんびりと、快適に暮らしてほしいではないですか 


( それに母は、料理など思いつきやできると思ってやるので中途半端だったりして、ちょっと世話が焼けることもあるけど、洗い物とか夕飯のお膳のセッティングとか、私が目をかけないとダメな部分もあり・笑
母も頼っているというか、フォローが当たり前になってきてるというか。入院中からかわいそうだと思って、ちょっと甘やかしすぎたかな。 
今、親の言うことに怒ったりしてしまうのは、入院中はかわいそうに思ったり、同室の人の目もあるのでことごとく言いたいことがあるのを我慢してきたので、それをしなくていい今になって爆発しちゃってるというのもある。
単に疲れがたまってたり、こんなに頑張ってるのに言い返されたり不満そうにされると、母の気持ちもわからないでもないが、あまりに不条理なことを言われたりすると、面白くないというか、悲しかったり腹ただしかったりしてしまう。
そんなこともあるせいなのか、母がたまに変なこと言うのを、寛大になれずに、つぃイラッとしちゃうというのもあって、それは少しだけ反省はするのですが・・・
1月からずーっとお世話が続いていて、退院してきてもそれなりにお世話は続いているので、やっぱ疲れてきてるのかなぁ。
最大の難点は店が休みにならないせいだが、母の世話には休みがないので、
いつまでこの状態が続くんだろう、早く、できれば足以外のことは入院前に戻ってほしいものだが、もう無理なのかなぁーとか悲観してしまったり・・・。 )




みなさん、どう思います?

あなたのおうちはどうですか?


また明日から、コツコツ片づけを頑張りますね。  


以上、中間報告でした。







本日もラブラブ    我が家の天使ちゃん。 



この、かっこよ。   二人とも、あおむけになってるの。