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猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

松商・取材関連ニュースその5.

2016年08月16日 | 松商、中原監督 関連
 大変長らくお待たせしました     



 「松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~」
第三部 『 25年目の真実~すべての道はつながっている~ 』 (仮題)  
年内発売予定   ( 書籍発行から10年、あの年の快進撃より25年の時を経て “現在(いま)を生きる” 選手たちの姿を、
H3メンバーとその下の2学年も含めて勢力取材した、著者渾身のドキュメンタリー 「第2弾」  )
 スミマセン、9月発売なんて、どう考えても無理なことがわかりました。   
伸ばしてばかりでごめんなさい・・・。    



   表紙デザイン(仮)決定     


 『25年後の選手たちを追う旅』 (ネコタの取材日記    


 取材 第五弾 は、7月~8月初めに会った方々をまとめてご紹介。



タカミーが音楽監督と司会を務める 『ウルトラマン生誕50周年記念 THE ROCK 2016』 を杉並公会堂に見に行った翌日の
 7月10日、運よく 東京ドーム にて 「巨人 対 横浜DeNA」 の試合があったので見に行ってきました。

この日に試合を見に行くことはかなり前から決めていたのに、もたもたしていてチケットを取り忘れていたので、もう立見席しか残っていませんでした。     



「立見席」 より、はるか遠くの3塁コーチャー、 H3の 上田佳範君 を (時折双眼鏡にて) 望む。

3塁付近 (ホーム寄り) に立っている、青いユニフォームに白いズボンの人が上田君です。


見ていると、そういえば、いちばんの最初は、この人を追っていたんだなぁ~というのを思い出し・・・

25年前、君を追っかけているうちに、こんなところまで来てしまったよ。    

と、しみじみと、感慨深く思いました。
   
( 1991年の春の快進撃によって、途中からでしたが 「郷土の名誉」 とばかりに松商チームを応援し始めたので、
もちろん、テレビ画面の中の、試合を通してだけでしか彼らのことを知らなかったし、
ただ純粋に甲子園での試合の行方と勝敗だけを信じ、全てが彼の右肩にかかっていると思い込んでましたので。 )

それと、やっぱり中原監督の人柄に惹かれてここまで来ちゃったんだな、とも。

( 毎回、試合終了後の勝利監督インタビューが大好きで、監督の笑顔と、そして当時は東京にいたので監督の 「松本訛り」 に郷愁を感じて嬉しくなってました。)






青一色のスタンド。



高校生くらいでしょうか。応援に命を懸けてる感じの男の子4人組でした。微笑ましかったですよ。
終わった後時間があれば話しかけてみたかったんですけどね。ちょっと勇気もなく・笑。

ただし、アルコンのスタンディングとは違うので、55歳のオバサンに野球観戦の立ち見はつらく(暑いし)・・・     
途中から巨人の攻撃の際にはしゃがみ、遊びで見にきているわけではないんだから、と我慢していたビールを、5回裏だったか7回裏だったかのグラウンド整備中に、1杯だけですがついに飲んでしまいました。   

試合は4回までに7対4とDeNAがリードしていたので、勝てるかも、と思ったものですが、5回と7回に3点ずつ入れられてしまい、残念ながら10対7でDeNAが負けてしまいました。


そのあと、せっかく差し入れを持参したので、待つこと1時間、やっと電話がつながった頃には、球場を出て既に車で帰路につきかけていた上田君にドーム近くまで戻ってもらい、半ば強引に? 差し入れをお渡しすることに・・・。   

上田君、その節はお疲れのところをどうもすみませんでした。      

でも、この時の会話で、その後の上田君の取材の際、間に入ってくださった球団側の方との連絡 (既にご本人とは日時が決まり、球団側への申し込みを済ませて連絡待ち状態だったもの) がスムーズに行くことになったので、私はお会いできてよかったと思っているのですが・・・。



 7月12日、H4の 本木 照学(みつひさ) くん。

昨年の3学年忘年会には来ていなかったのですが、10年前には参加していて、同じH4の堤君が仲が良かったからと連絡を取ってくれ、会えることになりました。

なんでも、H3の 内藤 玉樹 くんの従兄弟だそうです。
楽天的なのか、お話を聞いていてもとても楽しく、色々たくさん聞けてよかったです。
当直明けのお疲れのところをお時間を作っていただき、どうもありがとうございました。


 7月14日(木)、前日に雨のために順延となった 日本ウェルネス筑北高校 × 諏訪双葉高 の試合を諏訪湖スタジアムに見に行ってきました。

( 『やったぁ~! ウェルネス筑北初勝利!!』  2016年07月14日 | 松商、中原監督 関連カテゴリー参照。 )


 7月17日(日)、14日に勝ったので、日本ウェルネス筑北高校の3回戦、対 松本工業 の試合を、同じく諏訪湖スタジアムにて観戦。

 ( 「よくやった! ウェルネス筑北高校!! + 『緊急速報』」  2016年07月27日 | 松商、中原監督 関連カテゴリー参照。 )


 7月22日、 H3 等々力 直樹 君。

なんでも二人目のお子さんがもうじき生まれそう、という大変な時にお時間を作っていただきました。
色々たくさん喋っていただき、有意義な楽しい時間でした。ありがとうございました。


 7月25日、 H3 林 貴士 君。

前日の24日(日)に、母校松商学園 と 佐久長聖 が松本市野球場にて 長野県大会 “決勝戦” を戦ったので見に行ったところ
(試合は残念ながら松商が負けてしまい、王者奪回、甲子園出場はなりませんでしたが)、
会場で忘年会以来の 内藤 学 君と 高橋 巧 君に会い、野球観戦も含めて楽しかったと言ってました。

相変らず、お茶目な林君、こちらこそ楽しい時間をありがとうございました。


アルフィー夏のイベント参加のため、7月30,31日と新横浜に行った翌日、
 7月26~28日までは名古屋、7月29~31日は広島の球場に行っていた 
H3で唯一プロに進み、現在DeNAコーチを務める 上田 佳範 君が、
オフとなる 8月1日、球団本拠地のある 新横浜 に戻ってきたので、新横浜にて会っていただきました。

私もたまたま新横浜に行っていたこと、上田君もオフのこの日に戻って来れたことなど、
7月10日の野球観戦に引き続き、私の上京とうまい具合に重なるという、ラッキーなことが続きました。

朝早く広島を出て午後に到着したばかりの非常にお疲れなところだったので、球団からはできれば手短にしてあげてくださいと事前に言われていたのですが (球団の立ち合いはなく会っていただけました)、
10年前は、たまたま中日に移った直後であまり時間が取れなかったため聞けなかったことを、この際だからとつい、沢山聞いてしまいました。
( 他のH3メンバー同様、松商卒業直後には一度じっくりと取材させていただいてますが、あまりにも大昔なのと、当時はこちらも取材慣れしておらず、最初に本を出す時には大いに参考になったのだけれど、今現在となっては覚えていることが少ないため。また、本に書かれたことをどう思ったかなども聞いてみたかったけれど、本は読んだような気はするが、内容についてはあまりよく覚えていないようでした。 )

ですが今回あらためてお聞きしたところ、25年前のことなのに、甲子園でのことをよく覚えているようで、話しはじめると沢山喋ってくれたこと、
そしてプロ野球に入ってからのことなど、今まで知らなかった有意義な話がたくさん聞けました。

チームの他のメンバーと同条件で、と言って取材に応じてくださったこと、
また、最初の予定より時間が大幅に伸びてしまい本当に申し訳なかったのですが、貴重なお時間をいとわずに、本音で喋ってくれたこと、心よりありがとうございました。



 8月7日、富山県在住 (この4月からは福井に赴任中) の H4のキャプテン、 濱 栄行(ひでゆき) 君が実家に帰省中の貴重なお時間を割いて取材に応じてくださいました。

H4の、濱君、壇原君、宮澤太一君の3人は、H3のチームに混ざって甲子園の試合にも出場したことから、10年前に初出版された拙著書の中に、下級生の中で唯一登場しているのですが、
いくらH3のチームメンバーが主役のお話しだから仕方がないとしても、申し訳ないくらいにほんの少ししか出てこなかったのが、今思うと非常に申し訳なかったのですが、

このたび、下の学年のことも書けるので、やっと少しは罪滅ぼしができるかな、と思えるのが嬉しいですし、
また、チーム事情からなる噂? はこれまで会ってきたH4のメンバーから聞いていたのですが、ご本人にお会いして、ちゃんとこの目で確かめられたので、本当によかったです。

キャプテンになるべくしてなった、とてもまじめで誠実な濱君、貴重なお時間をどうもありがとうございました。



 「3学年忘年会に来るんだったらさ、下の学年の奴らにも話を聞いてやってくれよ。」
きっかけは、H3の小口君のひと言でしたが、

一口に下の学年と言っても、偉大なるH3チームのすぐ下だったため故の苦難を強いられたH4チームと、
2つ離れているために、また違った思いで望んできたH5のチームは、それぞけれカラーが違うのだなと気づきました。

40人もの取材相手に、最初はどうなることかと途方にくれたりしましたが、

ほんとうに、皆さんにお会いできてよかった。


貴重な時間を割いてお話しくださった皆様には、心より感謝いたします。


これで 31/40、
残り9人となりました 


図らずも発行が延びそうなので、これから時間を作ってくださる方たちも,何とか会えるのではないかと思っています。

これからの方は、引き続きのご協力を、どうぞよろしくお願いいたします。   



ようやくここまで辿りつけましたが、

これからがある意味本番。


皆さまの貴重なお話をどうまとめていけるのかと思うと、緊張と、そのやり甲斐と使命感とに武者震いがします。     


お盆も終わり、後半戦に向け、更なる挑戦が続きますので、皆さまどうぞ暖かくお見守り下さりつつ、

変わらぬ応援のほど、どうかよろしくお願い致します。        




すぐ下に、ウェルネス高校のテレビドキュメント記事を同日にUPしてありますので、合わせてお読みいただけますと幸いです。    











TVドキュメンタリー 『小さな村のベースボール協奏曲』 テレビ信州:7月30日放送

2016年08月16日 | 松商、中原監督 関連
 大変長らくお待たせしました 


先日放送された 「日本ウェルネス筑北キャンパス野球部」 のTVドキュメンタリーをダイジェストでお伝えします。




7月30日放送、制作:テレビ信州



このドラマは、信州築北村に新しく開校した高校の野球部と、村人たちとの交流を描いたお話です。



山間の、小さな農村



ウェルネス筑北キャンパスが前年9月に開校、



今年4月、「スポーツコース」 の入学式が執り行われました。



野球部には、
過去通算33年間の監督生活で、春3度、夏8度の甲子園出場を果たし、
県内の高校野球指導者では歴代最多の甲子園通算14勝を誇る名将 中原英孝監督が迎え入れられました。
早くも期待が高まります。



みんなの夢は、やっぱり甲子園。


選手たちは









中原監督の指導に希望が膨らみます。




我が木曽福島町から入学した 熊谷 秀明 くん。FBC(地元、福島ベースボールクラブ)の練習着を着てます。

なぜ、遠くウェルネスを選んだか、いつか機会があったら聞いてみたいですね。



夏の選手権大会に間に合えば、と思っていたのに春季大会からの参加が認められました。



村人の期待も高まります。



ウェルネス高校の新ユニフォームも届き、みんなのやる気も上昇します。



が、活動開始1カ月にも満たない1年生だけのチームは、
上級生の見本や指導もあおげぬまま、練習態度から基本動作まで監督に注意されっぱなし、

この試合も松本工に惨敗してしまいます。




しかしながら、それを契機として一念発起したチームは、
その後、早くも練習試合で対戦が実現した、中原監督の母校 「松商学園高校1年生チーム」 に勝利する、という成長を見せます。



だが、試合を見守る中原監督は



これに甘んじることのない、更なる課題を要求します。




そんな中で行われた、学校と村人との交流 「田植え行事」。





村人も喜んでくれる中で



選手も泥んこになって大はしゃぎ。しばし、厳しい練習の息抜きとなりました。




また、村では 「バッティングゲージ」 を寄付、設置するなど、協力も惜しみません。





村長も大喜び。







春の大会もわざわざ見に行きましたけど、ボロ負けかと思ったら、けっこうよかったですよ。



なかには



野球部用のサツマイモまで作ってくれる人が。





できた野菜を学校に運んでプレゼントしてくれる農家の人たち。
皆さんの善意で、生徒の食事も大助かり。


なかでも感心するのは



人間形成に重きを置く 「中原野球」。



33年間の指導生活の中で一度も欠かしたたことのないという、選手と監督の間を行き来する 「交換ノート(野球ノート)」。



沢山の新聞切抜きの中から、選手一人一人に合った話題の記事を貼り付けます。



話題は、世の中の出来事、地域の生活に関することなど多岐にわたり、野球以外の大切なことも伝えようとしてくれます。

見事としか言いようがありません。




春から夏までに、平日は練習、土日は一日二試合もの練習試合を組み、その数は実に40試合にも及びました。

始動間もない弱小チームが、やがて勝つ方が多くなっていることに驚きます。




春季大会以降エースを任されている 高山 蓮。



中学時代は名ショートだったが、ここにきてキャッチャーを命じられ、
中原にことあるごとに叱られては鍛えあげられた 内藤 智哉 は





夏の選手権大会を前に、キャプテンで4番も打つ 河野 健太郎 も意欲を見せます。




大会を前に 「後援会」 も発足し



「壮行会」 まで開催してくれました。


選手たちも





黙々とバットを振り続けます。


だが、チーム始動から95日目、運命の日がやってきます。



背番号をもらえなかったメンバーのために、中原は、

「外れた人たちも補助員として全員で一つのチームだから、それを忘れないように。」 と言い渡します。



そういいながらも、この日が一番つらいのだと監督は言います。




雨で順延となった
7月14日の諏訪湖スタジアム。



中村さんも農業を休んでかけつけ



食事を担当し、選手の心身を親身になってサポートし続ける丸山さんもスタンドで見守ります。



平日のため、応援団は同校の 「蹴球部」 が買って出てくれました。




試合の動向を見守る中原監督。 この鋭いまなざしは、25年前と少しも変わっていません。



思わぬ活躍にスタンドは大フィーバー。



女子マネも祈るような気持ちで試合を見つめます。



そして、ウェルネス校は、公式戦初勝利をつかみます。



バスの中で急きょ練習した校歌、こんなに早く歌えるとは思ってもみませんでした。  笑顔がはじけます。






「中原節」 も、ひと言ひと言に重みを感じます。




主将 河野君。



捕手 内藤君。



ピッチャー 高山君。 
「初めて、みんなの思いをのせたピッチングができた」 と満足げ。






勝利の喜びをかみしめます。 みな、嬉しそう。


さて、つづく三回戦は日曜日。



いよいよ地元吹奏楽団 「ニュージェンタース」 の出番です。



“村のことなので”



「車に乗ってるのに、挨拶してくれて、なんていい子たちなんだって」 団員たちも、心から応援してくれています。



 第三試合、7月17日、諏訪湖スタジアム。

前回も100人以上の村民が駆けつけましたが、





初戦を突破したこともあり、300人もの大応援団へと膨れ上がりました。





この日の相手は、春季大会でコールド負けを喫した因縁の松本工。



8回の代打には、
春にチャンスで打てず試合の流れを止めてしまったため、以後控えに回されてしまった副首相の 奥野 史哉 君。

見事センター前ヒットを飛ばし成長を見せるという “ドラマ”付き でした。


試合は結局負けてしまったけれど・・・



中村さんも感慨深げ。



こうしてチームと一緒に戦ってきた村民、父兄たちの夏も終わりを告げます。






頑張る姿が村民にも伝わり、

選手たちもまた、大きな応援をもらっているという自覚が、頑張ろうという気持ちを生む、と。

中原も、村人との交流が大きなエネルギーであることを盛んに伝えます。








左端は中原。



スコアを付ける日々。



山道を登りグラウンドへと通う。




丸山さんは、 「自分は選手の応援団」 といいきり、
早朝5時から夜の8時まで、寮生の3度の、部員の給食面から胃袋と心を支え続ける。

この日は、暖かいパスタを球場まで運ぶ。料理も気持ちも温かい。





それぞれが秋に向けての課題を



主将 河野 健太郎 の確かな目を支えに、チームが一丸となり



一人一人の大きな夢に向かって。



始動約三カ月の、全員が1年生だけのチームが



村民の熱い視線を感じながら



父兄の応援を背に受け、小さな村と熱きグラウンドに旋風を巻き起こす。




これからも、どこまでも、夢と白球を追いかけながら・・・



監督 中原英孝 の挑戦も続く。



みんなで書いた 「ウイニングボール」。  この喜びをいつまでも忘れずに・・・。








※ テレビ画面を写真に撮り掲載させていただきました。   




 











よくやった! ウェルネス筑北高校!! + 『緊急速報』

2016年07月27日 | 松商、中原監督 関連
 翌日、巻末に写真を追加し、新たに加筆訂正しました。もう一度お読みいただけますと幸いです。   

なんと  巻末には  緊急速報   付き     読まなきゃソンソン 



 大変遅くなっちゃいましたが・・・   

日本ウェルネス高校築北キャンパスの、7月17日(日)、諏訪湖スタジアムにて行われた3回戦を見に行ってきたご報告です。   


 この日、余裕で出たつもりが・・・イツモノゴトク試合開始ギリギリ。   

会場に行ってまたキョロキョロしたら、高橋 巧君のご両親が、またまた私の席を取っておいてくださったので(ほんというと、ちょっと、いやかなり? 期待してたんですが・・・ご両親、毎度2、しーません。 

ちゃっかりとまたまたバックネット裏屋根つき快適席へ。(笑) でもこの日は曇っていたので帽子がいらず。


日曜日だったので、だれかH3~5のメンバー、来てないかなーと思っていたら、
つよこさんが 「あそこに巧と小口君がいるよ」 と教えてくれました。

巧君 (つよこさんの息子) は、実は13日に雨で試合が中止になっちゃった日に、たまたま当直明けだったので、諏訪湖スタジアムにご両親とは別に、一人で向かっていたらしいのですが、
途中雨がひどくなったため、息子がウェルネスに行ってる 内藤玉樹君 に電話したら、 「たぶん中止になるから来ない方がいい」 と言われて途中で引き返していたらしいので、

この日はたまたま日曜の試合になったので見に来られてよかったです。 (彼の取材の時に、ウェルネスの練習場の、筑北村やすらぎ球場へもたまに見に行っている、と言ってましたから)


小口 康生君 は忙しいそうで取材はまだなのですが、彼は岡谷なので地元中の地元だし、そういえば・・・
25年前も、平日、私が松商高校に取材に行っている時に、学校前の 「サトウ商店」 に行ったら偶然バッタリと小口君に会ったこと (仕事が急に休みになったので母校の様子を見に来たらしい)、
小口君の取材の時にも 「よくね、薄(すすき)川の土手に松商の練習を見に行くんだけど、遠くの方からこっそり見るだけで、監督には声をかけないの。それがいいじゃんね。」 と目を細めていたので・・・

この二人が、中原監督の采配を見に来たのも、ナルホド、と思いました。


あと、途中から私たちの座ってるところから少し下の席に、H4の岡村君が、奥さんらしき方と来て座ったのが見えたのですが、ちょっと離れていたし、ああいうところで大声出したり手を振るのが恥ずかしくてできないタチなので (自分は巧君のお父さんに二回も手を振って席を教えてもらったくせに )、
終わったら声をかけよう、と思っていたら、また、途中でどこかへ行ってしまいました。

岡村君、声を掛けられなくてごめんなさいね。

他にも、気づかなかっただけで誰か来ていたかもしれません。見逃していたらすみませんです。   



 さてさて、この日の対戦は、春にデビューを飾った北信越大会長野大会で、
くしくも8対0のコールド負けを喫した 「松本工業」 が相手。

向こうは、ウェルネスなんてチョロい、と思ってるかもしれないけど

初戦を勝ち抜いたこともあり、とにかく1点でも多く返し、成長したところを見せなくては    
と、応援にもリキ入っちゃぃました。   


ですが、6回までに 1対5 と点が開いたときは、春のようなコールドゲームだけは避けたいものだと祈りましたが

7回表で 3対5 と詰め寄り、そのすぐ裏で2点追加されて 3対7 となるも、

8回表でさらに2点を返して 5対7 になったときは、

「いや~、面白くなってきたな。これはいけるかもしれんな。わからんもんだな。」 など、
初戦から、「俺がコーチだ 」 みたいな “船頭の多い” スタンド周辺からも歓声が沸き起こり・・・

私も、ひょっとしてイケルかも、と内心期待が頭をかすめました。    

ですが度々満塁のチャンスを逃すなど生かしきれず、9回表無得点の攻撃が終わった時点でゲームセット。


負けはしましたが、粘り強い野球に、高橋君のご両親とも

「いい試合でしたねー、おもしろかったぁ。春に比べたらダントツよくなってますよね~。
できてまだ3か月しかたってなくてコレなんだから大したもの。1年生だけのチームだし、あと2年もできるし、先が楽しみ。」 などと言いあって、
楽しかったし、ここまで反撃できて、気分も爽快でした。   


 玉樹君の息子の智哉君は、打順をどんどん変える中原監督の攻略で、初戦の活躍から5番から3番にあがっていて、この日も2安打。

西澤くんも2得点をたたき出すなど活躍しましたが、初戦でお隣になった彼のおじいちゃんとは、この日は行きあえず残念でした。
でもきっと、どこかで孫の雄姿を喜んで見ていたに違いありません。

木曽福島から一人で頑張って来ている 熊谷君 (つよこさんにはバッターボックスに立つたび 「木曽福島ぁ~」 と呼ばれてます・笑) は初戦でバントが振るわず、確か7番くらいから9番に下げられてしまいましたが、
この日は仲間の援護でホームに帰ってくることができ、私もとっても嬉しかったです。     

やっぱり、同じ郷里なので、応援しちゃうし、これからもぜひ頑張ってほしいです。       


所属軟式チームの監督まで務めたことのある巧君は、
「ピッチャー (高山 蓮) がたまに相手を挑発するような態度をしてて、1年なのに大丈夫かよって、そればっか気になってさぁ、ハラハラしたよ~。 」 と言ってました。

強気のピッチングをする子だなぁとはなんとなく思いましたが、それには気づかず。

でも、素人目線ではありますが、中原監督はそういうのはたぶん嫌いではないかも・・・。
心配すると取るのか、うまくいけば、1年でそれなら逆におもしろいかも、とちょっと思っちゃいましたが、どう出るか、これからが楽しみです。



試合中、時折雨がぱらついていましたが (屋根のある席だったのであまり感じなかったけど) 終わった後に次第に強くなり・・・



 雨の中、応援してきた保護者や村の人たちなどに、選手がお礼のあいさつをします。 (カメラのレンズが曇っててしーません 



中原監督は取材を受けていたらしく、雨も強くなってきたため応援者をこれ以上待たせられないと判断としたのか、不在のまま挨拶が終わりました。

テレビカメラも入っています。 
( そういえば、観戦席のすぐ後ろはテレビ中継席で、時折かすかに解説が耳に飛び込んできました。 )

ついでながら、初戦ではなかった、 この席からのカメラ撮影禁止のアナウンスが度々入ったため、この日はスタンドからの写真は撮らず。
( 初戦では知らなかったんです・・・ごめんなさい。  )




保護者や村の応援団の方々などに、お礼のあいさつ。

雨の中、ほんとうにご苦労様です。




ようやく中原監督が出てくると、なぜか雨足が小ぶりに。 (いやぁ~、カントク、晴れ男だなぁ・笑)
( 写真、ユニホーム姿左。これは、村から出た応援バスに挨拶してきた帰りです。右はコーチの 内山 義彦さん。 )




この日は負けたけれど、いい試合だったので、この笑顔。

前回、強子さんたちに会わなければ、試合後という緊迫した状況の時に、私のようなものが監督に会えると思っていなかったので、うっかり差し入れを用意していかず、思わず自分用に持って行ったおにぎりを差し出してしまった失敗から、
( こういう時に差し入れやお祝いのものを持っていくのは自分の中では常識だと思っているので、練習試合を見に行ったときは、飲料水の差し入れをちゃんと持っていきましたけれど。 )

今日はコンビニで沢山 「調理パン」 を仕入れたので (ほんとはおにぎりも混ぜたかったのだけど、試合があったせいか完売してて一つもなかったので  )

今度は堂々と? お渡しすることができ、監督さんもとっても喜んでくださったので嬉しかったです。
( こう見えて素人くさいというか、意外と引っ込み思案な人 σ(^^;) )




 「もうしばらく中原さんには会えないと思うから、挨拶していくね。」 と “出待ち” をしていた強子さん。(左端)

監督を見つけて、大声で手を振ります。




監督が手に持っているのが、私が差し上げたパンが入った袋・笑。




「同級生、同級生・笑。(同じ年ということ)」 笑顔の強子さんに

「おら、かーちゃんに会うと、うんと元気が出るダ。」 (わかる、わかる、私もそうですぅ~)  と、中原監督も嬉しそう。

名将でありながら気さくで親しみやすい、ときに方言丸出しの、こういう飾らないところ (ちょっとその辺の田舎のオジサンぽいところ・笑) が、
25年前からずぅ~っと変わらない、このお方の最大の魅力なのです。


そして、
「こんなに中原さんのことを追ってるのは私くらいかも。」 の言葉通り、つよこさん (& 多分運転手を務めるご主人も) は、

監督が松商から長野日大に移っても、そしてウェルネスに代わっても、ずぅーーーっと25年間も監督を追いかけて、試合を見続けているそうなので (しかも完全に地元の同じ松本ではなく上田なのに)、

もう、選手の保護者という枠なんてとっくに飛び越えて、一ファンであり、同世代を戦う 『同士』 なのだと思います。     

中原監督の、ユニホーム姿になるとキリッとなるところ、眼光鋭いまなざし、
特に試合前のノックする姿が好きで、わざわざそれが見たくて早めに球場に行っていたほどで、
終わると必ずスタンドから、「かんとく~」 と大声で手を振ると、監督も必ず気づいて手を振ってくれたそうです。 (今回は考えて遠慮されたそうですが)

とにかく、中原監督にホレ込んでいるそうで、
「同じ酉年の中原さんがまだ頑張ってると思うと、私も頑張らなくちゃ、鳥のように羽ばたかなくちゃ、って思えるの」。   

他にも、登山、マラソン、葡萄農家のお手伝い、お祭りなど、色んなことに挑戦する、ほんとにバイタリティー溢れるつよこさん、
私もそうなりたいなぁ、と思えるような憧れの女性です。       





 せっかく同期で久しぶりに逢えたので、みんなで写真を撮りました。

左から、高橋巧くんのお父さん、内藤玉樹君、高橋巧君、巧くんのお母さん(つよこさん)、小口康生くんです。 (ご本人達の掲載許可を得ています)


このあと、久しぶりにみんなと会い、時間ぎりぎりになってしまった玉樹君は、父兄の集まりに行かなくては、とあわてて飛んで行ってしまいましたが・・・

つよこさんが 「撮ってあげるわよ」、 と言ってくれたので、
私はクロコなので写るつもりではなかったのですが、ま、たまにはいいか、と思って撮ってもらっちゃいました。


 みんなで、監督の雄姿を見に来た記念です。



の、わりには、ちゃっかり(つい?) 「V(ピース)サイン」 しちゃってますが。(我々世代の、写真撮るときの癖なのです。ゆるされて・笑)



 さてさて、皆さんたちとは駐車場で別れたのですが・・・

つよこさんとは
「縁があればきっとどこかで会えますよね。」 と言って固く手を握り合って別れました。

今回の試合も、まあ、絶対いらしているだろうなとは思ってましたが、お互いに見に行くとか言ってなくて、広い球場なのに偶然行き遇った (しかも、あんなに大雨なのに中止の決定が出るまで球場に残っていたという・笑) のだし、
 
たぶん、 「縁」 というのは、そんなものかもしれません。


そういえば、二浪してウェルネスに入ったという軽井沢の 関口君 のお母さんが、球場の出入り口付近でつよこさんを見つけて、(たぶん春に一度会っただけだと思うけど)、 嬉しそうに話しかけて、一緒に写メを撮ってもらってました。


それから、どなたかは結局わからなかったのですが、保護者、村民関係の一団の中にいた方で、ものすごくご丁寧に、何度も何度も 「ありがとうございました」 と言って頭を下げてくださった方がいて・・・

私なんてちょっと数回見に行っただけで何もしていないので、すごく恐縮してしまいました。

この場をお借りしまして、こちらのほうこそ、お礼申し上げます。   

( お礼といえば、後日ウェルネス野球部部長、監督連盟のお礼状をいただいてしまい、こちらも恐縮の至りです。 )



お礼状が届いた前日に、監督に次の取材のことで電話しましたら、

「秋には結果を出します。」 というすごい宣言が返ってきました。

噂によると、松商高校前にあり、選手も在学中しょっちゅう寄ってはお世話になっていた 「サトウ商店」 のおばちゃんに、
電話で 「来年甲子園に連れて行く」 と言ってたらしいです。

それを話してくれたH3の 林 貴士 君は、 「相変わらず、ビッグマウスだなぁ~。」 と微笑んでました。



「諏訪湖スタジアム」 は諏訪湖のほとり



『さざなみロード』 というレイクサイドを車を走らせていくとあり、



海のない長野県民にとっては、とても気持ちの良い場所です。



晴れていたら、もっと素敵だろうな。   


 球場近くには、茅野市在住でH4の雨宮君が時々通っては体を鍛えているという、プールやジムのある 『すわっこランド』 もあり、
あんなに仕事やその他、バリバリで豪語? していた雨宮君に、 「この辺でジムっていうとどんなとこに行くの?」 と聞いたら
「すわっこランドです  」 と答えていたのが、その名前の響きとも相まって、みょうに可愛らしくて微笑ましかったです。

3日通って、看板見るたび、思い出してました。    




 翌日の新聞です。




7月18日、「朝日新聞・中南信版」。

この日は 『白球譜2016』 というコラムに中原監督のことを取り上げてくれていて、
初戦の 「内藤君親子の記事」 (『2016夏』 というコラム) といい、朝日は今回、かなりポイント高いです     


こちらは、同 「信濃毎日新聞」。


スポーツ面に試合の記事のほか、



「中南信版」、『夏の球音2016』 というシリーズコラムに、筑北村の 「ニュージェンターズ」 というブラスバンドが、この日は日曜だったので応援、演奏に駆け付けてくれたということが書いてあります。

ブラスバンドも加わって、応援が一層華やかに力強くなった第2戦目でした。   

※ 関連記事 
『夢 希望となる』・・・中原野球、新天地にていよいよ始動!! テレビ信州 1/23放送   (2016年01月30日 | 松商、中原監督 関連カテゴリー)

ニュージェンターズに応援を頼むくだりが出てきます。




7月18日 「市民タイムス」


  

雨で試合が順延となった7月13日に買って帰り、3日間でボロボロになった、会場の係員の方曰く
「全チーム写真入りで、これで300円はとってもお買い得です 」 のとおりでした。   




正味3か月余りでよく頑張ったナインたち。       





『2016年選手権大会長野大会 日本ウェルネス 試合結果』





 その、甲子園出場を賭けた 「長野大会」 ですが、皆さん達の母校松商学園は・・・



7月24日に 「決勝戦」 に進みましたが (写真は23日の試合を受けて、7月24日・スポーツニッポンより)

惜しくも2対6で佐久長聖に敗れてしまいました。 (佐久長聖は2年ぶり7回目の甲子園出場)  残念ですね。


翌25日に、H3、林君の取材だったのですが、
昨日は松商の出る決勝戦を見に行ったこと、そして会場で、同じように試合を見に来ていた同期の巧君、内藤学君に遇ったと言っていました。




7月26日、「市民タイムス」 より、総評。


4月より、高校時代のクラスメートK子のご子息で元信濃グランセローズ、 松本匡礼(まさのり) 君 (木曽町三岳出身) が松商野球部のコーチに就任しました。

ぜひ、これからも頑張ってほしいです    





 おまけ・・・

《 都市対抗野球大会結果 》 (本戦:於東京ドーム)

 ・「信越硬式野球クラブ」(H3・辻 利之監督) 対 三菱重工名古屋 1対5 1回戦敗退 (7月20日)

この試合に勝てば、2回戦で 「東京ガス」 と当たるはずだったので残念です。

でも、企業のバックアップを持たない市民チームとして、2年連続22回目 (前NTT信越時代を含む) の出場はすごいです。
辻監督、これからもガンバレ。   


 ・「ヤマハ」(H5・池本昌弘 元所属チーム) 対 JFE東日本 9対4 1回戦 (7月16日)
   ・「ヤマハ」 対 JR九州 1対9 2回戦敗退 (7月22日)

快挙の裏には、池本君の敵情偵察、チーム分析もきっと生かされていることでしょう。    


 ・「東京ガス」(H3・花岡忠 元所属チーム) 対 NTT西日本 2対0 1回戦 (7月16日)
   ・「東京ガス」 対 三菱重工名古屋 4対3 2回戦 (7月23日)



 東京ガス、ベスト8入り  を伝えるニュース。 (7月24日・スポーツニッポン)

   
・「東京ガス」 対 日本新薬 4対3 準々決勝 (7月24日)

  

 東京ガス、ベスト4入り & 35年ぶりに準決勝進出  をたたえるニュース。 (7月25日・同上)

すごいです         


・「東京ガス」 対 日立製作所 0対2 準決勝で惜しくも敗れ去りました。  (7月25日)
う~ん、残念。ここまで来たら、ぜひとも決勝に進んでほしかったですが・・・

でも、よく頑張ったと思います。
勝ち進むたび、花岡君の喜ぶ姿が目に浮かぶようでした。    

※ 2016年都市対抗野球は、7月26日に トヨタ自動車 が初優勝を成し遂げました。  

 


 緊急速報  

 7月31日(日) 15:30~ TV信州 にて
『筑北村 と ウェルネス野球部』 のことが テレビに出ます     

         

今朝、中原監督からご連絡をいただきまして、すごぉ~く恐縮しつつも嬉しかったんですが・・・
1時間くらいの特集番組のようで、先日から入っていたテレビカメラはこれだったのかな? なぁんて思っちゃいました。   


 信州在住の皆さま、よろしかったら、ぜひご覧くださいね。      















やったぁ~! ウェルネス筑北初勝利!!

2016年07月14日 | 松商、中原監督 関連
 翌日、補足訂正 及び、巻末に 「新聞記事の写真」 を加えました  
もう一度ご覧になっていただけますと嬉しいです。    


 夏の高校野球選手権大会長野大会、
本日、諏訪湖スタジアムにて行われた、日本ウェルネス筑北高校 × 諏訪双葉高 の試合を見に行ってきました。   


本当は昨日のはずだったんですが、第一試合を終えたころ降り出した雨が結局止まず、本日に順延となりました。   


きのう、出る時から怪しかったんですけど、電話してみたらこちらは降ってないと言われて・・・
とりあえず行ってみたんだけど雨はひどくなるばかり。    

試合をやるかどうかの決定まで30分以上待たされて、
Kから行くので1時間半くらいかかるし、けっこう疲れちゃいましたが (おまけに前日は松本で取材が入ってたし)    

でも、会場でばったり会った 高橋君のご両親と中原監督の姿を見たら急に元気が出て 
「明日また来まぁ~す 」 


 そして今日も、試合5分前くらいにギリギリ飛び込んだのだけど、
スタンドでもしかしていらっしゃるかな? とキョロキョロしていたら、高橋くんのお父さんが手を振ってくれて、お母さんの隣が一つ空いてるからといってくれたので、ちゃっかりお隣へ。

しかも、バックネット裏の屋根のあるところ。    ラッキー 

そして、反対側のお隣は、途中でウェルネスの選手のおじいちゃんだとわかり・・・

みんなで和気あいあいと観戦できて楽しかったです。


そして・・・

手に汗握る展開、接戦の末、

なんと  

9回裏サヨナラで ウェルネスが勝った んです   

きゃーーーーー  

                       


もう、その瞬間、つよこさんや隣のおじいちゃんと手を取り合って、キァアキャア大騒ぎ 

見に行った練習試合に勝っていたから、ひょっとして、と思わなくもなかったけど、
勝てたらいいなぁ、と思いつつ、でも、失礼ながらまさかホントに勝つとは思ってなかったので    

しかも、おじいちゃんのお孫さんの手によってサヨナラを引き起こしたんですから、なおのこと興奮状態でした。






 初めての 「ウェルネス高校歌」 を聞くナインら。



校旗掲揚。(右端) 

いやぁ、いいもんですねぇ~          



途中何度も、これはもしかしてイケル  と思ってみたり、

あ~あ、もうダメかも・・・

などと思ってみたりもしましたが、

ここは中原監督の選手の使い方、ノセ方や、練習は厳しいが試合は選手の自主性を重んじある程度任せるなどの指導法、

途中ピッチャーを、エース高山 から 関口 に交代、気迫のピッチングできっちりと三振を奪うと、たったバッター一人投げさせただけでまた 高山 に戻す (たぶんその間に球が高めに入っていた高山の気持ちを落ち着かせたのだろう) など、ビックリするような大胆な采配の勝利だと思います。


さすが中原監督  


 しかも 日本ウェルネス筑北は 創部約一年 (実質的なチームとして始動したのはたったの3か月)、
全員が一年生で、しかも公式戦が なんと 「2試合目」    

( 春の北信越長野大会で、4月29日に強豪松本工と当たり8回コールド、 8対1 で敗れ去っているのが、創部1か月にも満たない初めての公式戦。 
高橋さんご夫婦はこの試合も見ていて、強豪相手に1点返しただけでも立派だとおっしゃってました。私もそう思います。 )


これは驚きますよね。   


いやぁ、ビックリ 

よかった、よかった     


 この日は信州児童文学会 『とうげの旗』 編集長&カメラマンで、長く 「スポット」 でコンビを組み、お世話になった 松永ひろし さんにカメラをお願いしていたので、
( 松永さんは私のやっていることを 「応援してるよ~」 と言って写真撮影も快く引き受けてくださり、昨日も今日も来て、炎天下、汗だくで写真を撮ってくださいました。 感謝です。  こっちは屋根の下で見てたんだけど。   )

駐車場まで歩きながら打ち合わせしつつ、お礼を言って別れてから

また会場近くまで戻って、高橋さんたちと中原監督の出てくるのを待っていました。



 ほどなく、嬉しそうに顔を上気させた監督のご登場   

出迎える父兄や関係者の方々にお礼を言ったり、



溌剌とジョークを飛ばしたり 「中原節」 がさく列 



「久しぶりに涙が出そうになった。

いやぁ、嬉しい   勝つってこんなに難しいとは。」




あちこちで、待ちわびた大勢の 「中原ファン」 の方々からの暖かいお祝いやねぎらいが飛び交い、



改めて、監督の人望の厚さがわかるようです。



スタンドで一生懸命声を張り上げ応援していた 父兄 や 築北村の応援団 からも、温かい感謝とねぎらいの拍手が。

帽子が、なんだか松商学園のものにデザイン、カラーが似ていますね。



歩き回っては選手に指図。




テレビの方や



カメラも入って、注目の的。


「だけどお腹がすいたなぁ」、 と冗談交じりにいう監督に (お昼を食べに行く時間がないので)、 お隣のご夫婦は自分達用に持ってきたパンなどを、
私も差し入れなどを用意してこなかったため、思わず、自分用のおにぎり2個だけですが、差しあげてしまいました        

そして、冗談めかして受け取ってくれるところがまた、嬉しいじゃぁないですか 
( 大好きな 「おかか」 と セブンの混ぜ込みの 「カリカリ梅」、 監督が食べてくれたらうれしいんだけど。
思わずそうさせてしまう茶目っ気や魅力が、中原監督にはあるんですね~。 )


つよこさんと、次も来ますよね、とお約束して、気分よく会場を後にしました。     

高橋さんたちとご一緒に観戦できて、ほんとに楽しかったです。   



 次の試合も 諏訪湖スタジアム にて 17日(日)あさ9時30分~
春に負けた因縁の 松本工 が対戦相手です    

春のリベンジ なるか 

ぜひ、頑張ってほしいですね。     

日曜日なので、松商野球部OBの皆さん 
ぜひ 中原監督の 雄姿 & 名采配  を見に、応援しに行きましょうね      



 内藤 玉樹君の息子、智哉くんは捕手としても活躍しましたが、4打数3安打1四球と、全ての打席で出塁する大活躍でした。
( つよこさんは出るたび 「たまきガンバレ 」 ともう、父ちゃんの名前で呼んでました。玉樹より息子のがセンスあるよ・笑、とも。 )    


 木曽福島からウェルネスに進学した頑張りや 熊谷 秀明 くん (バスのところで会ったので聞いてみたら、やっぱり家の近所で子供のころ、よくお姉ちゃんと店に来てくれた子でした) も、
8回裏バントで出塁し3塁まで進み、もうちょっとでホームという時に3アウトになっちゃって残念でしたが、各回でよく頑張ってました。   
松本や伊那まで通わない限り木曽にはリトルリーグなんてないから、たぶんこれまで軟式しかやってこなかったと思うので、これから力をつけていくと思い、成長が楽しみです。


 たまたま隣り合ったおじいちゃんのお孫さん、西澤 祐太 君 (けっこう打ってました) の犠打がサヨナラに結び付くという、実にいい仕事をしての、感動的な幕切れだったんですよ。    


 たった一打席のワンポイントリリーフでさっそうと去っていった控え投手の 関口 幸希 君は、春の大会でつよこさんがたまたま関口君のお母さんと隣り合っていたことからいろいろ聞いちゃったそうですが、軽井沢出身で実は二浪しているのだそう。
そして春の大会では外野でエラーしてたのに、なんと控え投手で登場、しかもいい仕事したよね~と感心してました。

息子の応援をしながらずっと見てきたというだけでなく、自身も学生時代ソフトボール部で、誰とでも仲良くなっちゃう つよこさん の隣で、いろんな情報も小耳にはさめて楽しかったです。 






 ウェルネス初勝利を告げる 「ネットニュース」。

明日の新聞が楽しみです     

 


   * * *   * * *   * * *   * * *   * * *




 明けた7月15日の、各新聞です。




一番大きかったのは、我が家で取っている 『スポーツニッポン』 で、最終面に 「Fresh!信州」 という長野県版があるのですが、そこに載りました。




次に大きかったのは、実家で取っている 『朝日新聞』 の 「長野・中南信版」 で、 
“2016 夏” というコーナーに、内藤 玉樹君の息子さんでこの日打者としても活躍した 智哉捕手 のことが、1991年、中原監督の元にセンバツ準優勝の経験を持つ父の助言などを交えて書かれていました。




扱い方としては同等に大きかったのが 『市民タイムス』。

スタンドに向かい笑顔で駈けてくるナインたちの、いい表情が載ってます。




『信濃毎日新聞』

ウェルネス、サヨナラ勝利の記事の上に、偶然、
 
木曽青峰高校 が 3対5 で 駒ヶ根工 に敗れ去ったことについて、
「2年前の南木曽町の土石流、翌年の御嶽噴火により練習や通学を悩まされた学年だがよくやった」 というようなことが書かれています。

名前を見ただけでは知っている子がいるかどうかはわからなかったですが、おつかれ様でしたと言いたいですね。




※ 他のスポーツ新聞も買ってみましたが、他は載ってなくてちょっと残念でした。

でも、これだけたくさん、大きく取り上げていただけて、とってぇ~も  嬉しいです。      





こちらは、ブログ開設者だけがのぞけるページの、昨日の 『アクセス・ランキング』 を示すページ。

なんと、上位4位までが 「ウェルネス」 や 「中原監督」 に関する記事でした       バンザァーイっ  






  高校野球だけでなく、東京ドームで開かれる 『都市対抗野球』 (7月15日~12日間) も、ヨロシクです 



 H3の 辻 利之 監督 が率いる 「信越野球クラブ」 は 2年連続出場  で、 
7月20日10:30~ 「三菱重工名古屋」 と、

 H3 花岡 忠 君が元所属していた (会社としては現在も勤務) 「東京ガス」 は 7月16日18:00~ 「NTT西日本」 と、

 H5 池本 昌弘 君が元所属していた (同上) 「ヤマハ」 は 7月16日10:30~ 「JFE東日本」 と対戦します 


『中日スポーツ』 なので、東海地区の出場チームの紹介をしてます。 (浜松にある 「ヤマハ」 も載ってます。)




ぜひ、応援してくださいね。    




ウェルネス筑北の練習試合を見に行ってきました!! & 松商・取材関連ニュースその4.

2016年07月06日 | 松商、中原監督 関連



6月26日(日)、中原英孝監督率いる 日本ウェルネス高校筑北野球部の練習試合を見に行ってきました。

筑北村のやすらぎスポーツ公園内にある球場で、普段から同校の練習場所にも利用されているところ。

やすらぎスポーツ公園としては古いのか、ナビを入れたら出てきて、2時間ほどで行かれるとわかったので、
高速乗れないので、Kからだと北は 「安曇野」、西は 「茅野」(ちの) までしか行ったことがない私ですが、ガンバッテさらに北へと、車で出かけました。        

でも・・・

遠かったぁ~。    

そのうえ、Kの山奥のヒトが言うのもナンですが、途中すんごい山の中をくねくね登って行くので、   
こんな山奥に、ホントに村があるのかしら、みたいな・・・   

でも、あってました・笑。



ほんとは、土曜日の 「長野商業」 との試合を見に行く予定だったのですがその前日からの凄い雨でグランド状態が悪く中止する、と当日の朝中原監督から連絡をいただいたので (状態がよくなったのか、翌日聞いたら午後の試合はやったみたいですが)

急きょ日曜日の、藤岡第一 (群馬県) との試合を見に行ったのですが、朝9時からの第一試合にはとても間に合わないので、午後の第二試合を見るつもりで出かけました。

写真の様にどんよりとして、今にも降りそうだったのですが、晴れてて暑いよりはいいかなとも思い。


H3の内藤玉樹くんの息子さんが今年からウェルネスに入ったので玉樹君も来ていて、球場で少しだけ話しました。(既に彼の取材は終わっていたので)

11時ころ着いたので第一試合はすぐ終わってしまいましたが、なんと 8対3 でウェルネスが勝ったのです    


その後、一塁側ベンチ裏で監督が出てくるのを待ってごあいさつ。

お昼、ご一緒にどうですか? と言っていただきましたが、他の関係者の方々もいらっしゃるでしょうから、外部の人間はお邪魔と思いご辞退し、
持ってきたおにぎりなどを、球場から少し下ったところの、人目につかない (笑) 山の際に車を止めて、車中食べ、
ここまで道中長かったので、お茶を飲みながら少し休憩しました。     




ナゼカはわかりませんが、野球バッグはベンチではなく、こんなところに置いてあります。

貴重品は入ってないのかもわかりませんが、盗まれたりすることはないと思っているということでしょうから・・・のんびりしてますね。  
( しかも名前入りで、中には半分口が開いているものも。  )


午後の試合は1時から。

スタンドにはプラスチックのベンチがあるのですが、なんと監督が車に積んであった座布団を貸してくださり (ものすごく恐縮しちゃうんですけど、こういう監督の気さくで親切なところが、涙が出るほど好きなんですよね~)

見ていたら・・・

なんと、あんなに降りそうだったのに太陽がギラギラ    

ひゃー、暑いのなんのって・・・。     焼けつるぅ~~~  

でも、まさか晴れると思ってないから帽子も傘も持ってなくて、仕方なくタオルハンカチを頭に乗っけて見ました。(七分袖のブラウスだったから、腕も焼けてヒリヒリ)


教訓:朝どんなに曇っていても、野球観戦に車で出かけるときは、必ず帽子を持っていくべし。
( 逆にいうと、どんなに晴れていても傘も常備すべし )  


相手校はとにかく威勢が良すぎるほどでしたが、ウェルネスは淡々としていて、なんとなく昔の松商チーム(H3)をほうふつとさせるものが・・・

中原野球の特色かもわかりません。

そして・・・、
ウェルネス、気持ちいいくらいによく打ち、ホームランまで出ました。      

初回からコンスタントに点を稼ぎ4回までに6点を挙げます。
5回に一挙に5点入れられたときはちょっとアセりましたが・・・
7回に3点を挙げ 9対6。

この試合も勝ちました。          



下段 「W」 というのがウェルネスです。



やすらぎ球場、Kといい勝負の山深い所にあるんですが、ちゃんと 「電光掲示板」 なのです。



一塁側スタンドに向かい挨拶する、ウェルネス校メンバー。



たぶん、ですが、コーチか誰かの注意を聞いているのだと思います。


試合後に監督がスタンドまで来てくださったので、お借りした座布団と中原監督が載った雑誌をお返ししようとしていたら、なんと木曽福島から来たという選手をフェンス越しに紹介してくれました。

熊谷君ていってましたっけ。可愛い子でしたが、木曽から来ている子がいると思わず、びっくり。

そしたら私を見て 「○○屋(店の屋号)さんですよね?」 と言われて、もっとびっくりしました・笑。    

町の野球クラブ (軟式) に入ってる子ども達が、
うちの店のちょっと上の方に町営野球場があるのですが (2006年に、内藤学君や林君たちが始めてH3や下の学年の人たちも結構入っていて本にも載せた 「インベストチーム」 の試合がここで行われた時、見に行ってきました) 
そこで練習や試合を終えると自転車で下ってきて、うちの店でおやつやジュースなどを買っては、店のすぐ前のバス停のベンチで食べながらおしゃべりするのが伝統みたいだったので (こういうのは流行りもんなので・笑、最近の子はあまりしてませんが) その中にいたのかな? なんとなく見覚えのある子だなぁ、と思ったものですが・・・

球場を後にした後で、もしかして近所の子で小学校の頃よくお姉ちゃんと二人で買い物に来てた子に似てるかも、と思いました。

寮生活をしているそうですが、こんなことを言っては何ですが、ほんとに何もないところで、不便だったり寂しくないのかなぁ~と、ちょっと心配になりました。


監督に、次回の取材のお願いをし、他の父兄の方々と見るでしょうからと別行動をとっていた玉樹君に声をかけて球場を後にしました。





帰り道、テレビでも紹介されていた 「コイン精米機」 を見つけました。

こんなに、学校のすぐ近くだったんですねぇ~。 (右手後方の白い建物がウェルネス高校)

わぁ~   これが噂の・・・    

と、まるでミーハーまるだし・笑。   



Kの人間が言うのもナンですが、ほんとに何もない、山深いところです。


でも、中原監督の新天地を見に行かれて、マンゾク、マンゾクぅ~。    



それにしても・・・

いやぁ、打つ試合、勝つ試合は楽しいな  

開校したばかりのウェルネスは、1年生だけのチーム。

それで2、3年生中心の高校に勝つなんて凄いです。

なんだか、夏の大会県予選も、期待しちゃいますよね    



 さて、夏の選手権大会長野県大会の日程も決まりました。   


 ウェルネス筑北 (7月13日11:30~諏訪湖スタジアム) × 小海 対 諏訪双葉 の勝者

 松商学園 (7月12日11:30~松本市野球場) × 下伊那農 対 長野工 の勝者

 松川 (7月13日14:00~長野県営野球場) × 創造学園 対 篠ノ井 の勝者
 H5の 秋廣 公治 君 が今年から監督を務める高校

 木曽青峰 (-せいほう 7月13日9:00~県営上田球場) × 駒ヶ根工
 御嶽海関の母校で、一応、ネコタの母校ということにもなるのですが・・・
まず、「木曽東」(ほんとの自分の母校で、前身は母の通った木曽高等女学校)と 「木曽西」(姉の母校で前身は木曽高等中学校) が合併し 「木曽高」 に、その後 「木曽山林」(俳優 田中要次さんの母校で全国的にも珍しい 林業高校 であった) とも合併して 「木曽青峰」 になったので・・・
申し訳ないけど、全然母校という気がしませんです。     建っている場所も元木曽西高のあったところだし。


楽しみですね。

ぜひ、皆さん頑張ってほしいです。       

 ネコタは、もちろん  ウェルネスの試合を見に行く予定です。




こちらは親の家の購読紙、朝日新聞 (夏の選手権大会主催者) に毎年ついてくる、全長野県大会出場校のメンバー表です。







中原監督が見せてくださったので、帰りがけに本屋さんで買って帰った雑誌です。




という 「特集記事」 の中の・・・



 コレです     ( 内藤玉樹君の息子さんはキャッチャーなので、写真の人かも。 )

 中原監督の再挑戦は全国的にも注目されているようで、嬉しい限りです。




  * * *   * * *   * * *   * * *   * * * 



 「松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~」
第三部 『 25年目の真実~すべての道はつながっている~ 』 (仮題)  
この秋発売 予定  

( 書籍発行から10年、あの年の快進撃より25年の時を経て “現在(いま)を生きる” 選手たちの姿を、
H3メンバーとその下の2学年も含めて勢力取材した、著者渾身のドキュメンタリー 「第2弾」  )


   表紙デザイン(仮)決定     


 『25年後の選手たちを追う旅』 (ネコタの取材日記    


 取材 第四弾 は、6月~7月初めに会った方々をまとめてご紹介。


 6月1日、ネコタの上京に合わせて、H4の 壇原 健浩 (たけひろ)君。

お昼休みを利用して、池袋の会社近くで会っていただきましたが・・・
サンシャインシティー、できた当初に数回行ったきりだったので忘れていて、シティーの入り口を、サンシャイン通りにある、駅からくるともっと手前にある東急ハンズの入口 (大きなテレビモニターがあってその柱にでっかく Sunshine City って書いてあるので) とずーっと在京時代から勘違いしてまして (新宿店ができる前はここのハンズがお気に入りだったので、ここがハンズだってことももちろん知ってたけど、中の方でつながってると思ってたのです) ・・・    
お互いちっとも来ないなぁ~と不思議に思っていてわかったという・・・。   
おー、ハズカシ。ご迷惑おかけしました。   

日々、生き生きと過ごされているご様子が、楽しそうでよかったです。もう少し話せるとよかったですが、残念。(私がシティー入口を間違ってなければ、もっと時間があったのですよね? スミマセン 


 『トークばん』 翌日 6月2日には、H6の 岩間 竜也 君の職場近くまで行きました。

立川から、初めて “多摩モノレール” というのに乗って最寄駅まで行ったのですが・・・
いやぁ、東京に14年住んでて、そういう電車があることも知らなかったかも。

岩間君、H3~6のメンバーの中でも一、二を争うくらい真面目な方ですね。もう、会った瞬間にわかりました。
有意義なお話もたくさん聞けて、帰りは何と  立川駅まで車で送ってくれたんです。   
本当に何から何まで、すみませんでした。   


 6月7日は地元で 清沢 悦郎 君。

野球道の王道を行く姿はイキイキとして、見ていても気持ちがいいです。 これからも頑張ってほしいです。


 6月9日 H5の 桐原 康高 君。

彼には、H5の試合ビデオをお借りしました。(ネットサービスでDVDにダビングし直してもらう) ありがとうございました。
顔も雰囲気も 石井 一久投手(元プロ野球選手、メジャーリーガー、現野球解説者) にそっくり・笑。上田君たちと同期だよ、と言ったら、石井の方がもっと上かと思ったとびっくりしてました。
お仕事の合間でしたが話し足りず、もう少し時間があるとよかったです。ちょっと残念。


 6月11日、H4の 堀内 朋孝 君。

岩間君もそうですが、堀内君も忘年会でお会いした時とはちょっと感じが違って (あの時はみなさん入ってましたから・笑) まじめでしっかりした考えを持っていらっしゃる方と思いました。
とても多趣味なのには、ビックリ。   


 6月13日、 内藤 玉樹 君。

会ってくれたことと、話してくれたこと、そして玉樹くんが25年前とちっとも変わっていなかったことが何よりうれしかったです。
この春より息子さんがウェルネスに入ったので、行き方など、色々とレクチャーしてもらい助かりました。


 6月15日 内藤 学 君。

朝の9時に、学君の会社に行きました。段ボールクラフトなども見せていただき、感心しました。
父の跡を継ぎ、会社をここまで大きくして凄いです。 
とてもお忙しい中お時間を作っていただき、どうもすみません&ありがとうございました。    


 6月17日 H5の 秋廣 公治 君。 中間地点の駒ヶ根まで来ていただきました。

今年より郷里の松川高校で、体育科教師と野球部の監督をしています。メンバーの中で高校野球の監督をしているのは彼一人なので、3学年忘年会には参加されていないのですが会っていただきました。

本を買って読んでくれていたので、深澤君が電話してくれた時にすぐ、あのときの、と分かったと言ってくれて大変感動しました。
お話しも、いかにも学校の先生らしい考えに貫かれていて楽しかったです。


 6月19日 高橋 巧 君。  彼の郷里の上田で、たまたまアルコンがありちょうどよかったです。

お昼をご馳走しますよ、というと気持ちいいくらいに沢山食べてくれたこと、そしてやっぱり出会った頃からちっとも変らない、お母様と同じで面倒見のよさと人の好さを垣間見させる姿に嬉しくなりました。


 6月23日 H4の 堤 良一 君。

現役時代から周りからも言われていてたらしいですが、いい意味で社長とは思えぬほどの人の良さ。
有意義なお話が聞けただけでなく、10年前の忘年会に来ていた同期の 本木 照学 君に、あいつは一番仲が良かったから、会うように言っときますよ、と言ってくれ、その日のうちに連絡が取れました。
ありがとうございました。   


6月30日 H5の 古川 貴史 君。

下の学年は本が出たことも知らない人が多いのに、彼も本が出たことを知っていて買って読んでくれたということ、そして10年前の忘年会に私がお邪魔したということも覚えていてくださって、本当に感激しました。

そして、けっこう控え選手のこととかも書いてあっていい本ですよね、と言ってくれたのが何よりうれしかったです。   
その他のことでも、色々と有意義なお話が聞けてうれしかったです。ありがとうございました。   


 7月2日 H4の 岡村 健太郎 君。

保育士になったいきさつが大変興味深かったです。趣味のお話も面白かったです。
その後、息子さんの野球の試合観戦に行くとのことで、貴重なお時間を割いて色々と沢山お話しくださって、どうもありがとうございました。



 7月5日 H4の 雨宮 清隆 君。

お仕事中でしたが話が長くなり、どうもすみませんでした。ですがいろいろ興味深いお話がたくさん聞けて嬉しかったです。
彼に限りませんが、色々と凝り性だったり、負けず嫌いゆえの多趣味だったり、そんな方が多いような気がしますね。
あと、計算に強く商才に長けている方も多いようにお見受けしました。
 


前回もお伝えしましたが、ほんとうに皆さん、どなたも魅力的で、下級生の方々はほぼ初対面に近いので、会うまではすごく緊張しているんですが、
お会いしてみると本当に面白く、楽しい方たちばかりです。

そしてみなさん、それぞれの分野や立場で、生き生きと活躍されています。

そういう方たちにお会いしてお話を聞くことができるのは、人数が多い分大変ながらも、それを超えるだけの魅力に満ち溢れていて、
人生において、なかなかそうはない、このような機会を与えていただくことの幸せを感じます。


 これで 26/40、 会った人数が過半数を超え、

残り14人になりました 

ご協力いただいた皆様、どうもありがとうございました。   



  ≪ お詫びと訂正 ≫

第3部の発行は夏ころを予定しておりましたが、40人分のストーリーを書くのに最低でも80日かかるわけですので
どう考えても 8月の発行は不可能 と分かりました。     
(もっと早く気づけよってカンジですが・笑)    

ですが、がんばって、なんとか 9月には完成させたい なぁ~ (ムリかな、一応  ということにしときます) と思います。


お詫びして訂正いたしますとともに、

どうか皆さま、応援のほど、よろしくお願いいたします。   

 




美ヶ原高原の高台より、松本市内を一望できる気持ちの良いホテルが、3学年忘年会が執り行われ、現在 雨宮君の勤務先となっている場所です。









松商・取材関連ニュース・・・その3

2016年05月31日 | 松商、中原監督 関連
   3月27日より好評発売中  

 「電子書籍」 (Kindle版)   
  『松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~』 ¥680
      クリック


山国からやってきた無名の風雲児が並み居る強豪を次々倒し、紫紺の優勝旗まであとひとつ。
そんな松商ナインの手から、なぜ勝利は零れ落ちたのか・・・。
ここまでチームを導いたエース上田が、自らの手によって無念のライトフライ落下を招くに至るまでの心理に迫りつつ、
松商ナインの強さと魅力に迫る 『1991年の快進撃』 に、

その 「15年後」 を生きる彼らの姿を追った 『第二部』 を収録。

控え選手も含めた 全24選手の肉声を拾った
“著者渾身のドキュメンタリー”。


野球やスポーツファンにとどまらない
人間を愛する、すべての人に贈る
珠玉のストーリー
 です 




お陰様で、発売より約2カ月がたちましたが・・・

もうぶっちゃけ正直に言いましょう      

実を申しますと、あまり (ほとんど) 売れてません・笑。


関係者の方々は既に書籍を持っているので、ほぼ内容が同じものだと、わざわざ買うこともないと思っておられるようで・・・    

ごもっともですが(笑)、ちょっと失敗したかな (第三部も含めて、まとめて出したほうがよかったかしら?) ってカンジです。     


あと、ブログの訪問者の方々がもう少し買ってくれるのかなぁと思っていたのですが、あんまりいらっしゃらないようで・・・      

気になる項目で検索してきて下さった一見さん? が多いのかなぁ、
私のブログの愛読者さんて、自分で思ってたよりはいらっしゃらないのかしら、    

もし、当ブログの愛読者様がいらしたとしても、
その方が、もしかして自分にはあまり興味のない分野のお話しだとしたら、わざわざ買おうとは思わないのかなぁー、   


「あ、猫田さんの本が出たのね。さっそく買ってこなくっちゃ!  」     もーそー中・笑。
って人は残念ながらあんまりいないんだなぁーと。      

私の知り合いの方では、数人ですがそういう方がいらして、早速買ってくださり、本当にありがたく思っております。    



えと、なぜわかるかと申しますとね、 「Amazon Kindle ダイレクト・パブリッシング」 といって、書籍発売した人がのぞける自分のページってのがありまして、

もちろん、買った人物まで特定はできませんが、何日に何冊売れたという記録と、何ページ読まれたか、という記録が見れるようになってるのです。

お知り合いの方は 「買ったよ」 って自己申告してくれたのでわかったのですが、その方たちと自分が試しに買ってみたのを入れても、総計で両手に入っちゃう数字です。    


もう、恥も外聞もなく? 声を  にして言いましょう     

猫田ジャレ之介、 大変苦戦しております。   

どうかネコタに暖かい猫の手、じゃなくて孫の手、でもなくて合の手ぢゃぁなくって   

 愛の手  を、よろしく差し伸べてくださいませ。    


同情するなら、ぽち、ぽちっ  っとね      うふん     色じかけ・爆 (どこにあるんぢゃ 



 H4の成澤君に、 「宣伝不足なんじゃないんですか? 」 と言われましたが・・・

これでも、電子書籍の宣伝チラシを作成して、和光大児文研50周年の集いに参加した時にも配ったし、

29日にはイズミミュージカルアカデミーの、卒業後30周年同期会があり、さすがにそちらにはいかれなかったけど、
同じように宣伝チラシを作って幹事さんに送り、会場で配ってもらったり、

今のところ、自分のできることを試みてはいるんですが・・・ (このブログでも宣伝してますが)


まあ、こういう 「情宣活動」 というのは、100枚配って好反応が一人か二人あるかないか、くらいの地道なものだというのは、
これまでの色んな勧誘活動 (宗教ぢゃぁないよ・笑。そういえば自分、大学の子ども会活動といい、こっちに戻ってからの公民館講座のエアロビ、新しく教室を開くという方のバレエとか、ナゼカ   色々勧誘活動をしてきたなぁー。 ) 経験から、十分承知はしているのですが・・・
 


あとは、第三部が発売になったら、もちろん 

関係者の方々には今回は差し上げようがないので買っていただきつつ、関係者の方々にも教え子やチームの人たちへの宣伝を会うたびにお願いしていますし、

「第三部が出たらねー」  (購入や紹介は) と言ってくださっている方もいるので・・・


まずは、 第三部の完成目指して 頑張らなくては         



 「松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~」
第三部 『 25年目の真実~すべての道はつながっている~ 』 (仮題)  
この夏発売 予定  

( 書籍発行から10年、あの年の快進撃より25年の時を経て “現在(いま)を生きる” 選手たちの姿を、
H3メンバーとその下の2学年も含めて勢力取材した、著者渾身のドキュメンタリー 「第2弾」  )


   表紙デザイン(仮)決定     


 『25年後の選手たちを追う旅』 (ネコタの取材日記    


 取材 第三弾 は、5月に会った方々をまとめてご紹介。


 5月9日、 峰山 剛 くん。
夜勤明けでお疲れのところを、どうもすみません & ありがとうございました。10年の歳月を感ぜず楽しく色々お話できて嬉しかったです。

 5月13日、 H5の 深澤 友和 君。
H5の今年の忘年会幹事で、全体の学年の取りまとめ役でもある深澤君が、その場で、残りのH5で忘年会参加したメンバー+お一方に連絡を取ってくださり、
その日の夜に、ほぼ全員と取材予定日時が決定 (もしくは確定) しました。    

おまけに深澤君、中々面白い人で楽しかったです。お仕事の合間に、どうもありがとうございました。


 児文研50周年で上京した翌日は、東京組の 宮下 久輝 君に会ってもらいました。
20キロ以上太ったと言ってましたが・・・わかりませんでしたよ? お仕事の合間に、どうもすみませんでした。有意義なお話が沢山聞けました。

 5月19日、 青木 崇 君。
夜勤明けの休日なのに、時間を作っていただき、ありがとうございました。 誠実な青木君ですが、10年たっても、あれはやっぱり??? 

 5月20日 H4の 成澤 洋 君。
下の子が幼稚園で一緒だったけど、話し好きだから長いと思いますよ・笑、との青木君の言葉通り、いやぁ、面白かった。

おまけに、沢山資料を持ってきて貸してくれました。
H4のメンバーは、だいたいアンケートを出してくれて連絡先が書いてあったので、相談したところ、それならかけてみていいと思いますよ、と言ってくれたので、

その夜のうちにH4の忘年会参加したメンバーにも連絡がついて、ほぼ全員の取材日時が決定(もしくは確定)しました。 ありがとうございました。


 5月25日 二村 武 君。
仕事の合間に来てくれました。 ちょっと話が長くなり、予定を少しずらしてくれたりして、どうもすみませんでした。

茶色と黒の芝犬を2匹も飼っていると写メも見せてくれたので
「私ははっきしいって、この世で一番かわいい犬種は柴犬だと思っている 」 というと 「僕もです」 とな。ケッコゥ、ケッコゥ・笑。
そしてやっぱり、赤ちゃん言葉で話しかけちゃうそうです。わかる、わかるぅ~   でも、二村君が? 
  

 5月28日 名古屋まで出向いて 渡邊(旧姓:山下)晃一 君、そして H5の 富田 全治 君に会ってもらいました。

メールで、「僕は山下先輩のことが大好きです」 と富田君が言うので、それでは、先に山下君に話を聞くので、二人の取材の合間に3人でお昼でも一緒に食べましょう、と時間設定すると・・・
もちろん、二人が合うのも25年ぶりなので話が弾み、ほぼ内輪ネタで盛り上がってました。  あはは。
でも、楽しそうでよかったんではないですかね。

山下君はとっても元気そうで生き生きしてましたし、富田君からは本当に有意義なお話が聞けました。会えてよかったです。



以上、5月にお会いした方々は8人です。 (特に注意書きのないのはH3メンバー)

 下級生のメンバーの方々は、ほぼ初対面に近い方もいらっしゃるのですが、本当に皆さん魅力的な人たちばかりで、
会うまではちょっとドキドキなのですが、お会いできて本当によかったですし、
そのきっかけを作ってくれた小口君には、一時はどうなることかと途方に暮れたこともありましたが、ほんとに感謝です      


これで 13/37 

残り24人になりました     といっても、全体の数字が流動的なため、ここは変わるかもです。


 そして、6月は9人が決定、7月以降を含めて8人がほぼ日取り未定を含み確定をしています (残りの方々は連絡がうまく取れなかったり予定が立たないようですが、これまでのやり取りから時間がうまく合えばたぶんできるかなと思うので気長に待とうかなと) ので・・・

このままいけば、ほぼ予定通りに7月いっぱいくらいで取材が完了できるかな、と思われます。


そして、  8月の発売 を目指します      


 ご協力いただいた選手の皆さま、どうもありがとうございました。

そして、これからの方も、どうぞご協力を、よろしくお願いいたします。

その方の 「お人となり」 を知る手がかりをつかむのには、なんといっても、 会うのが一番    ですから。


あ、あと、下級生の方々は本の存在すら知らなかったみたいですね。

とてもいいお話ですから・笑、 “先輩たちの 『感動秘話』 (第一部と二部)” ぜひ買って読んでくださいね。 



それでは 
ネコタ、がんばりまぁ~す       



読者の皆さま、応援よろしくお願いいたします。   



 そして助ける? と思って、
ぜひぜひ、 ポチっと一冊、 お買い求めくださいね。    









松商・取材関連ニュース・・・その2

2016年04月25日 | 松商、中原監督 関連
 3月27日より好評発売中  

 「電子書籍」 (Kindle版)   
  『松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~』 ¥680
      クリック

山国からやってきた無名の風雲児が並み居る強豪を次々倒し、紫紺の優勝旗まであとひとつ。
そんな松商ナインの手から、なぜ勝利は零れ落ちたのか・・・。
ここまでチームを導いたエース上田が、自らの手によって無念のライトフライ落下を招くに至るまでの心理に迫りつつ、
松商ナインの強さと魅力に迫る1991年の快進撃に、その「15年後」を生きる彼らの姿を追った第二部を収録。

控え選手も含めた全24選手の肉声を拾った著者渾身のドキュメンタリー。

野球やスポーツファンにとどまらない
人間を愛する、すべての人に贈る珠玉のストーリー です 


 お陰様で、発売より約1か月になろうとしていますが・・・
当ブログご愛読者の皆さま、もうお買い求めいただけましたか?     


まだの方は、ぜひ買ってくださいね       よろしくお願いいたします。   

    

そして・・・

 緊急予告 

「松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~」
第三部 『 25年目の真実~すべての道はつながっている~ 』 (仮題)  
この夏発売 予定  

( 書籍発行から10年、あの年の快進撃より25年の時を経て “現在(いま)を生きる” 選手たちの姿を、
H3メンバーとその下の2学年も含めて勢力取材した、著者渾身のドキュメンタリー 「第2弾」  です。 )


さてさて・・・
 『25年後の選手たちを追う旅』 (ネコタの取材日記    



 取材第二弾は、
ちょうどその前日に仙台に行く用があったので (後述)、 4月18日(月)に仙台にて 中島尚彦君 に会っていただきました 

いやぁ、よく喋る。ハッキリものをいう。
中島君の物言いは25年前に会ったときは高校卒業直後で余り気づかなかったけど、
10年前には北海道だったのでさすがに会いに行かれず(北海道で遠いのに・笑)電話で一時間くらい喋ってくれて、一応は知ってはいるつもりだったけど・・・

ネコタ、たじたじ・・・
あはは    脱力笑い?

でも、おもしろかったですよ。ところどころ失礼なんだけど(笑)、大笑いしながら聞いてましたもん。

42年間一度も本を読んだことがないから、出ても読まないけど、と豪語する 中島君、   
メールとかいっぱい来てしつこいから仕方なく、らしいですが(笑)、よくぞ会ってくださいました。
ありがとうございました。   



 第三弾  は

4月23日(土)、こちらに行ってきました    






長野オリンピックスタジアムにて

  

こちらの大会がありました。




辻利之君 が監督を務める 信越硬式野球クラブ と 東芝 との試合がありました。



試合は残念ながら、強豪相手に7回コールドで負けてしまいましたが・・・


終わった後に、辻監督が出て来るのを控室入口辺りで待っていて声をかけると

「いけね、忘れてた 」     

オィオィ、つじくぅ~ん・・・(いやぁ、さすが大物・笑。試合に集中するあまり他のことは忘れちゃうのですよね。)    

そして、応援者などの偉いさんと思しき方々と何やら対談し、その後は荷物を車に置きに行って来るとのことで

気持ちのいいほどの太陽のもと、待ってましたよ~。  取材の時の番狂わせというのはよくあることなので、こういう時の待ち時間は全然気にならないのですが、

試合の合間に球場で、というのは辻君の希望だったのですが、
あいまってものは落ち着かないから、今日は今日として、また別に出直してこようかしら? などと思いはじめ




考えてみたら、こういう所でのんびり? することもふだん全然ないもんなぁ~私。たまにはいいかも、みたいな・・・。   



昨年完成したという、サッカースタジアムが隣接します。

AC長野パルセイロ・レディースが、なでしこリーグ1部に昇格したため、今、J3の男子 (AC長野パルセイロ) よりも圧倒的人気らしく、
明日もここで試合があるとのことでした。



右端のドーム型のものはトイレ、真ん中の施設は調べたけど何かわからず。

ここは南長野運動公園といって、野球場の他、体育館、屋内プール、陸上競技場などが点在する、総合体育施設なのです。

写真に撮り忘れましたが、公園の一角には1998年の長野冬季五輪の時に使われた 「聖火台」 も移築、設置されています。


ほどなく、真っ赤に日焼けした辻君が戻ってきたので、出直してきましょうか? というと、それも悪いからと、
再びスタンド (屋根つき内野席) に戻り、次の試合に時々目を見やりながらの取材となりました。

向こうの方には辻君のご子息も観戦に来ていて・・・
10年前は、お姉ちゃんの下で甘えん坊だった5歳の少年は、父の後を追うように野球少年になっていて、絵に描いたような素敵な親子のツーショット写真が撮れました。    

辻君、お忙しい合間を縫っての取材、ありがとうございました。     



 それから、タクシーをすっ飛ばし     
( 運動公園は最寄り駅は特急だと一つ手前の 「篠ノ井」 だったのを10年前一度行っただけだったので忘れていて、長野まで行ってしまったら、タクシーで20分もかかり、大幅ロスをし、行ったら試合がすぐ終ってしまったのだが、    
帰りは長野駅前で待ち合わせだったため仕方がなかったのだ。 )

1時から長野駅前で、同じ長野組の 荒井敏幸君 の取材をしました。

ネコタはこの日、取材なのになんと  筆記用具を忘れ   忘れないように、他の、必ず持っていくものの隣に、ちゃんとボールペンの黒と赤と置いておいたのになぁ~。   
( ペンケースは持たず、たいていあらゆるバッグにボールペンを1本入れておくのだが、この日は初卸しのリュックだったため、まだ常備してなかったため。 )

しかし・・・なぜ、必要のないウォークマンや日よけのスカーフを持って来て、
絶対にないと困るもの、物書きにとって命の綱を忘れるか・・・。     

取材者が筆記用具を忘れるなどと言うのは大恥なのだが、仕方ないので球場では、幸い辻君が 「都市対抗野球出場記念ボールペン」 を持っていたので借りたけど、荒井君は持っていないということで、買いに行ったのだが、
駅前では売店がすぐに見当たらなかったので、荒井君は30分くらいしか時間がないというので、急ぐあまりに  とっさに見つけた駅の交番でボールペンをお借りしたのでした。さすが交番、親切ですよね。 
( もちろん、ちゃんとお返ししましたよ。その後は時間があったため、駅ビル地下の 「無印良品」 にて、ボールペンを購入。 )

荒井君は10年たっても相変らず気配りの行き届いた誠実なお人柄で、この後も仕事があるのだと、お忙しい合間を縫って時間を作っていただきまして、どうもすみませんでした。    
  


 最後は、下級生としては第一号 の H5 池本昌弘君 に会ってもらいました。

そもそも、静岡県在住の池本君に、静岡に行くのは難しいので、名古屋に出てきてもらい、愛知県在住の他の二人と一緒の日に取材できないか、と聞いていたところ、

たまたま4月の22~24日に、長野で開催される社会人野球大会の偵察に行きますよ、とのことで、では、長野在住の二人と一緒の日に取材させてもらおう      と、いうことになりました。


池本君は、この日は長野県営球場で、午後の試合2つを偵察するというので、終わった後に待ち合わせたのですが、時間がかなり空いてしまったので、その間にちょっと買い物したりして (長野には東急があり、私の好きなブランドのリフレクト、アンタイトルも入っているのです。  ちなみに松本にはパルコがあります。) 時間をつぶしました。

池本君はH5のキャプテンなのですが、何と言っても笑顔が素敵な、話しかけやすい感じの人。
下級生の第一号に偶然ですが池本君と当たり、少し緊張がほぐれました。(下級生の方に取材するのは今回が初めてなので、向こうもそうだと思うれけど、緊張はこれまでに何度も会ってきたH3のメンバー以上なのです。)
おまけに話術にもすぐれ面白かったです。

長野には2番目の兄がいて待ち合わせているとのことで、もう少しお話が聞きたかったのですが、少し残念でした。


池本君もお疲れのところお時間を割いていただき、どうもありがとうございました。   



 これで 5/37 

残り、32人となりました     


なお、取材の順番に特に意味はないのですが、たまたまネコタがそちら方面に行く用があったりとか、メールなどのやり取りから偶然決まったり、どちらかというと遠方の人から埋めていく感じです。(近くの人はいつでも会えそうな気がして)

物語での重要性とか、そういうのとは特に関係はありませんので、
これを読んでいる該当者の方々、まだ取材依頼がないからといってご気分を害されたりしませんよう、よろしくお願いいたします。   

そして、今後のご協力を、ぜひともよろしくお願いいたします。   



 ネコタの 「25年目の選手たちに出逢う旅」 は、ゴールデンウィークは除き (本業の店があるので出かけられないのと、対象の方々もお忙しいでしょうから)

まだまだ続きます             


がんばりますので、読者の皆さま、応援よろしくお願いいたします。   
 











4月になりました!! ~ 松商・取材関連ニュース その1~

2016年04月07日 | 松商、中原監督 関連

※ 信州の桃の節句は古くは4月3日なので、3/3~4/3まで 「お雛様」 を飾ってました。
  4月の暖簾タペストリーは 「夜桜に月見酒をついばむ鶯」。ピンクのお花はabnの方がお見えになったときに買った鉢植え、水仙は夫が庭から取ってきて活けました。   Kにも、遅い春のおとづれが。   



皆さん、大変長らくご無沙汰してしまいました。   

電子書籍がいよいよ発売となり、ほっとする間もあまりなく、まず、真っ先に選手、関係者に 「発売開始案内はがき」 を書いて送り (数が多くて大変…)
 
その後、写真を使わせていただいた新聞社、知人、種まき系、とハガキを送ったり、メールをしたり・・・
( それぞれ対象者によって微妙に文面を変えたので、ハガキは3種類作成した。)

その間に、電子書籍だからできるのだが、文をちょぃ直ししたり、色々やること、考えることなどもあり、
日々、バタバタ・・・   

この何日か、PCのキーボードをたたきまくり、ハガキのあて名やコメントなど字も書きまくり、
肩こり、右腕筋肉痛、右手が腱鞘炎予備軍てカンジです。       


ほんとは、まだ通知を出す方がいらっしゃるのだけれど、そして、電子書籍関係で手直ししたい箇所も色々とあるのですが・・・
ブログがあまりにも空いてしまったので、ひとまず置いといて、近況なぞを。


 3月29日(火) 夕方6:15~放送の 『abnニュース』 に出させていただきました。

abn 長野朝日放送が、1991年3月29日に開局したということで、同じこの日、
甲子園春のセンバツで、初戦を、 ピッチャー鈴木一朗 (現マイアミ・マーリンズ、イチロー) を擁する 「愛工大名電」 に競い勝ち、
そこから “松商学園の快進撃” が始まった・・・。

( ちなみに、春のセンバツでは “あのイチロー” の 「甲子園で活躍してプロ野球」、 という夢をうち砕き-オリックスは4位指名だったが、ちゃんとプロに進み、その後の日米通しての大活躍は周知のとおり-、
夏の甲子園では “あのゴジラ松井秀樹” と対戦し敗れたものの秋の国体では勝利し、番組中も 「一番怖い投手が上田さんだった」-松井は一期下- と松井に言わしめたのが、上田投手である。 ) 

というストーリーを、当時や現在のインタビューを混ぜながら、エース上田佳範選手中原英孝監督
私の本の表紙の写真にも使わせていただきましたが、それを撮った 「フォトスタジオ金森」 の金森達夫さん、そして不肖わたくしメなどの証言? も交えて、
実に感動的にうまくつなげて作ってくださってあり、

特にプロになってからの上田君の心情など、あまり知らなかったこともわかり、とても感動しました。
私は思ったより沢山出ていて、もー、恥ずかしいやら。     (不細工だし

電子書籍のいい宣伝になっているとよいのですが・・・。




※ 一つだけ違っていたのは、こちらから居所を探して押しかけた? わけではなく・・・  
みな、ランニング中の上田君を偶然お見かけしたり、情報を耳にしたり伝えていただけたので出向いて行ったものなどで、
いずれも、国体で知り合った他の松商ファンのお友達と一緒で、まだ、本格的な取材ができるかどうかも分からなかった頃のこと、
そしてこれらの写真は “24人のチーム全員が主役” をポリシーとする著書の中には1枚も載せていません。 
( 私は書き手でありクロコに徹しているため。
ついでながら、書中唯一自分も写っているものは 「3学年忘年会」 の時の集合写真で、それも自分の入っているものといないものの2種類あったので、私は自分の写っていないものを掲載しようとしたところ、当時の担当編集者だった方、全面的に信頼していた敏腕で、野球にも詳しく大変お世話になったのですが、その方が、まあ著者の写真が一枚くらいあってもいいでしょう、と写っている方を推してくださったため、それならばと、名前は表記せずに載せたのです。 )

取材中も、 「一番のお気に入り写真はどれですか?」 と問われて、一番左の、選手がみないい笑顔で写っている 『国体優勝写真』 を挙げたんですよ。
( 番組の趣旨からちょっと外れるので選ばれず、残念でしたが… )

ですが、なぜここに最初で最後の 「本邦初公開」 したかというと・・・
いやぁ、25年も前は30歳で、私も若かったなぁ、と (当たり前ですが・笑) 感慨深く思って載せてみることです。     



 翌 3月30日(水) H4の 成澤 洋君 が、
前からお願いしていた試合ビデオを持って、たまたま仕事でKに来る用事があるからと、わざわざ寄ってくれました。

小口康生君 も3学年忘年会にてベタ褒めしてましたが、
成澤君、まだ2回しか会ってないのに、初めてお会いした時から本当に親切でいい人です。おまけに明るくて話しやすい。    

仕事の途中というので、外の駐車場 (といっても家のではなく、近くの公の建物の、ですが・笑) で話していたんですが、思いのほか話が弾んで長くなっちゃって・・・
寒いやら、お茶もお出ししないやらで、ホントすみませんでした。  

それなのに帰りがけ、 「寒い中、すみませんでした」、 とこっちの言うべきセリフまで言っていただき、
成澤君、わざわざ届けてもらったのに、なんて 礼儀正しくていい子 なんだぁ~。           

( それから H5の 桐原康高君 もお忙しい中試合ビデオを探して送ってくれました。 どうもありがとうございました。  ) 


4月2日(土) abn 朝9時半からの 『ザ・駅前テレビ』 に
元松商学園H3野球部キャプテンで 現信越硬式野球クラブ監督 の 辻利行くん が、出ました    

なんでも、 『ザ・駅前テレビ』 は2006年 (私の本の出た年) 放送開始、今年で放送10周年を迎えたそうで、
abn 開局は1991年 (松商学園の快進撃のあった年) で今年25周年だし、
なんてつながりが深いんだぁ~   とびっくりしました。   


25年前の4月3日センバツで、準決勝・対国士舘戦に中々点が取れず緊迫した状況が続く中、背番号15を付けた 青木崇くん が、ベンチから伝令に走って、選手のみんなに告げたひと言は?
のクイズ、もっちろん  私はわかりましたよ。      (試合は、1対0で松商が勝利、決勝進出を決めました ) 

 見逃した方、
答えは 拙著書 第二部(快進撃から15年後のH3の選手たち24人全員の姿を追ったもの) 「青木崇の場合」、 に書いてあります。    ぜひ、ご覧になってみてください。



 4月3日(日)、『25年後の選手たちを追う旅』 (第三部 として夏ころに刊行予定 
 
取材第一号  として、岡元直衛くん に会ってもらいました     
  
実は岡元君、10年前に 『15年後の選手たちに出逢う旅路』 でも、取材第一号だった人。
なんというか、偶然ですが、感慨深いものがあります。

彼は新潟なので、中間の長野あたりでお会いできないものか、ついてはそちらの都合に極力合わせるので、とかねてより打診していたのですが、
今回は看護師の奥様の仕事の関係で急に休みが取れたからと、急きょ安曇野一泊家族旅行を決めてくださり、遠いところをわざわざ来てくださって、
私が車でも行かれる松本の地での取材となり、もうありがたいやらで恐縮してしまいました。(それなのにいろいろお気遣いもいただきまして本当にすみませんでした。  ) 

理恵さんとは10年前もメールのやり取りがありお会いしてもいるので、今回、その後生まれたお子さん3人も含めて、またお会いできたのがとてもうれしかったし、
いい取材ができて、今後の とてもよいスタート が切れました。   
岡元君一家の皆さま、どうもありがとうございました。          (ご本人に掲載許可をいただいています)     



 次は、皆さんたちの番 です 

これで、 1/37 (一応、取材対象として挙げさせていただいている選手の方の総数)
残り36人  となりました。

対象の選手の皆さま、どうぞご協力のほど、よろしくお願いいたします。   

( 取材の模様は、随時お伝えいたします    )





昨年末お邪魔させていただいた 『3学年忘年会の写真』、 
H3はもちろん全員知っていますが、下の学年は、まず顔と名前を一致させたいと思い、
成澤君にお願いしてH4、5メンバーのお名前を書いてもらったものを、店のPC前にいつも置いています。



 予告 

「松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~」
第三部 『 25年目の真実~すべての道はつながっている~ 』 (仮題)  
この夏発売 予定  

( 書籍発行から10年、あの年の快進撃より25年の時を経て “現在(いま)を生きる” 選手たちの姿を、
H3メンバーとその下の2学年も含めて勢力取材した、著者渾身のドキュメンタリー 「第2弾」  です。 )




そして、選手、関係者、およびブログ読者の皆さま、発売中の 「電子書籍」   
  『松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~』
よろしかったら ぜひ、買ってくださいねぇ~        


 2006年発行の ≪ 書籍と違うところ ≫
1.巻頭口絵 カラー写真のうち1枚を (ちゃんとした理由のもとに) 入れ替え。
2.中口絵 モノクロ写真、個人所有の写真に限り カラー化 
3.書籍発行に間に合わなかった亀田コーチの箇所に 「追記」。
4.著者 「電子書籍化に寄せて」 のあとがき。
5.第三部予告文、広告。

 その他、書籍での誤植訂正3箇所は、10年目にしてやっと訂正することができたので、積年の後悔が晴れて、とにかくホッとしており、
特に3、4は、全く新しく書き加えた部分ですので、書籍ですでにお読みいただいている皆さんにもぜひ読んでいただきたいです。      




 

 見栄 張子 さんで玄関に飾ったお花。  
桜はまだですが・・・ようやくKにも、遅い春のおとづれを感じさせてくれます。    




 寝ながらポーズをキメるシロチ。



 のびのぉ~び、でろりんソラチ(手前)   シロチのあんよの位置にも注目 


    

 前回は、ぐずぐずしていて、お祝い? し損ねたので・・・

とりあえず、電子書籍発売開始までこぎつけられたお祝いに、たまたま行ったスーパーで、ちょっといい信州牛が半額セールだったので買ってきて、夫に焼いてもらいました。
( 付け合せも。一応仕事が料理人なので、メニューによっては、私より上手なものは完全に任せてるのです。 )

深夜までやっているファミレスやチェーン店の居酒屋などのない田舎なのと、二人とも夜の遅い仕事なので、こんな時 (疲れてるので作りたくないのと、こんな時くらい祝杯を挙げたく) なのに外食もできない 
( 私に休みがないせいもあり、仕事が終わると個人営業の居酒屋はどこもラストオーダーの時間だったりもう閉まってるし、飲むのでタクシーになるのも、歩けない距離ではないだけになんだかもったいなく、かといって歩くにはちと遠い。おまけにどこに行っても知ってる人に会うので気も休まらない  結果地元では全く飲みに出かけなくなった) のって、

なんだかなぁ~。      とほ。

あ、ちなみに写真は一人分ではなく、これを二人で食べるのですよ、念のため。
他のおかず (野菜料理) もあるし、お肉も含めて、全体的におつまみ的な感じなので、そんなに1つの量をたくさん食べることはないのです、夜は。


ついでに、夫の提案で、親の家にもほんの少しおすそ分け。



≪ Think Bee! 日替わり占い ≫ は・・・



 3月28日



 3月29日。   たぶん・・・












『松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~』 電子版、やっと発売になりました!!

2016年03月27日 | 松商、中原監督 関連
 
 最近仲たがいしてたので、久しぶりにラブラブなソラシロ。癒されるぅ~ 



 昨日26日にパソコンの先生に来ていただいて、写真やレイアウトなどの最終チェックをして、
電子書籍を発売するために必要な手続きを、発売元の 「Amazon Kindle」 に申請、3月27日夜より、ようやく発売が開始されました  


 スポーツ・ノンフィクション 
 『松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~』 電子版 いよいよ発売    
( ※ 2006年郷土出版社より刊行していただいた 「書籍」 とほぼ同じ内容のものです )    


 《 購入方法 》   署名をクリックすると本のページに飛びます。 
1. Amazon(アマゾン)のアカウントを取得する (Amazon 未登録の方のみ。既にお持ちの方は2から)
2. 本の「購入する」ボタンをクリック
3. Kindle(キンドル)のアプリをダウンロード (無料。既にアプリをお持ちの方はすぐ購入できます)
4. Kindleアプリをダウンロード完了すると、ひき続き自然に本のキンドル版がダウンロードされます。
  ( スマホの場合は、トップページの空いているところに 「Kindle」 のアイコンが表示されます。)

面倒なのは、キンドルのアプリをダウンロードすることですが、無料ですぐできるので、トライしてみてください。

よろしくお願いいたします。     




 長野県じゅうを熱狂させた、あの日の感動を永遠にとどめておきたかった。    

そして、その栄光と葛藤、そこにたどり着くまでの道のりを皆さんにも知ってほしかった。

さらに、正選手だけでなく、陰で彼らを支えた控え選手を含めた、チーム全員に取材した、著者渾身のドキュメンタリーです。

高校野球や野球ファンの方だけでなく、スポーツを愛する方、人間ドラマの好きな方、

そして、 “今” を生き悩んでいる方、すべての皆さんに読んでいただきたい書です     


 また、最初の書籍刊行より10年たち、現在の選手の皆さんがどうしているか、というお話しは、
続編の 「第三部」 として、夏ころに刊行予定です。   乞う、ご期待下さい    


なお、以前ご要望のあった 「i Books」 でも買えるようにしてほしい、というのは、残念ながら 「Amazon・Kindle」 のみでの販売となります。

悪しからずご了承くださいませ。   



ようやくここまで辿りつけました           

 
応援してくださった皆さま、本当にありがとうございました      







 そして、今日は、こちらの方が自宅までお見えになりました。



なんでも、 「長野朝日放送」(abn) は今年開局25周年だそうで、夕方の 『abn statin』 という報道番組の中で、25年前のことを特集して、何日か少しずつ流すみたいで、

25年前といえば、ちょうど1991年に松商学園が甲子園を沸かせ、長野県じゅうを熱狂の渦に巻き込んだ年、というので

まず 「松商ナインの1991年の快進撃」 が選ばれ、上田君や中原監督に取材するうちに、中原監督さんの方から、25年も松商ナインを追い続けている人がいる、とご紹介を受けたそうです。

いゃぁ、そんなメンバーの中に私なんかが役不足で、とは申し上げたのですが、ちょうど10年前に出版した本を電子書籍化して近々売り出す予定なので、宣伝になるかも、と思ってお受けしました。

せっかく他ならぬ中原監督が紹介してくださったんですし。


ま、40分の報道番組の中で、25年前の松商快進撃の特集が流れるのは10分くらいということなので、私なんてほんの一瞬だとは思いますが(笑)・・・ 
それでも、私のようなものが出させていただけるのは、大変ありがたいことだと思い恐縮してしまいます。 

1時間くらいとおっしゃってましたが、取材の常で、多分2時間はかかるな、と思っていたらほんとにその通りでした。   
その点は取材する側の経験者 (物書き) なので、たくさん聞いた (撮った、調べた) うち、使うのはほんの少し、というのは十分承知しているので大丈夫なんですが・・・
( 逆にいうと、例えばほんの1ページ、数行を書くのに、その何倍もの下調べをしないと書けない、ということですね。ものにもよりますけど。 )

abn の取材の方 (飯田支局からいらしたとのことですが) 遠方より長時間、どうもご苦労様&ありがとうございました。

そして、ご紹介くださった中原監督にも、本当にありがとうございました。


それでも、
昨日は電子書籍をUPして申請するのに、こちらもいつもより伸びて作業が4時間かかり、
それで今日の取材が続けてあったので・・・、一昨日からの緊張やら興奮で、かなり疲れてしまいました。( その前から詰めてたし )   

   脱力・・・   抜け殻    
( 特にTVに写るだなんて、一般人にはそうないことだから、そりゃ、キンチョーしますよぉ~  )  


あ、人が来るというので、普段やらないとこまでのお掃除とかもあったしね。   
せっかくなので、玄関外とリビングに置く花まで買ってきちゃったりして。( 写真撮り損ねたので、今度UPします )   

見栄 張子(みえ はるこ) さんなので・・・σ(^^;)

男性なら 「見栄晴」くん (『欽ちゃんのどこまでやるの!』) と言い、外国の方なら、 「ミエ・ハルコフ」 さんと言いますね。   嘘ですが。



出版前の緊張と興奮・・・

前日にやるなよって気もしますが、   
一昨日の夜、特にある部分の 「追記」 と、 「電子書籍化によせて」 を書いていたら、これまでのことが色々とこみあげてきて・・・     

ん   感慨にふけるのは、まだちょっと早いってか     
( 夏に続編の第三部が発売予定で、これから取材が始まるので )







 放送日は、あさって 3月29日(火) 夕方6時15分~6時55分 だそうですので、
信州在住の方は、よろしかったらぜひご覧になってみてくださいね。    


  


 

占いも、バッチリ 






 御嶽海勝ち越しニュース、下に独立させました          






※ 当ブログにて放送のお知らせをすることは abn担当の方より了承いただいております。

なお、『abn statin』ロゴはサイトよりお借りしました。   














電子書籍への道のり・その5

2016年03月12日 | 松商、中原監督 関連
今日の午前中、パソコンの先生が来てくださって・・・

かなりできていることにカンゲキ。    うるっ


でも、今日に間に合うようにと、 
すごぉーーーーーく、ガンバッテくださった んですって、先生。

そして、
「大変でした・笑。」    

顔は笑ってらしたけど・・・

ほんとに大変だった と思うんですぅ~          
( 入力済み文章が、思ったよりも手直しが多かったのと、ナゼカ!! 抜け落ちていた箇所があったらしいのです・・・ )


エーン、先生、

ごめんなさい、 ごめんなさい…… 
ごめんなさいぃ~~~   
                      



でもね、焦ってやることもないし、最終確認などまだ不安なところもあるので、納得いく形で出したいというのもあって、
たまたま、来週末は先生のご都合が悪く来ていただけないためもあり
( 双方の確認の基に発行するため。自分一人では到底できないしσ(^^;)エヘヘ )

発売日は3月25日~26日予定   とします。   

たぶん・・・大丈夫・笑。


みなさん  

ネコタ頑張るので   ( &先生も頑張ってくださるので  )  

楽しみにしていてくださいね。       





 「電子書籍データ」 を持ち運ぶのに、
以前ノートPCに景品でついてきたメモリも重宝したのだけど、あまりにも容量が小さく不便だったので・・・

16GBのメモリを新調しました     

容量タップリ        ウレシイ  




以前ガラケーにつけていた 「ガチャガチャした(笑)ストラップ」 は、

『USBメモリ』 につけることにしました。   やっぱり、メモリの大きさに比べて、ガチャガチャしすぎ   

しかし・・・

経年のうちに 
自分の誕生石の 「サファイア・テディ」 ちゃんの、胸の宝石がどこかへ落ちちゃったのを、手芸用の石を買って取り付けたのだけど

「サファイア・キティーちゃん」(自称ブルガリ風・笑) の、リングの石が2個もなくなっていることに、今気づいたよぉ~。     

エーン。     

こんくらいの、ちっさい石をまた買って埋め込もうかな??  




持ち運びには 「保護袋」 に入れて。(大切なデータなので、キズつけぬよう、なくさぬよう・・・)




ちなみに、今では手放せないほど愛用している “スマホちゃん” は、何もつけずにスッキリ     

充電機は、自宅と店の2箇所につけました。

2つあると何かと便利です。   
   



さてさて・・・

ほんとは 「電子版」 の最終確認もあるのではありますが・・・

とりあえず、 “途中の記事” 仕上げにまい進します