雑文の旅

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猫爺の連載小説「佐貫三太郎」 第二十回 文助の嫁

2013-08-29 | 長編小説
 ある日の未明、鶏の三四郎が真っ白な両羽を打ち振り、鶏冠を「ぴん」と立て、「コケコッコー」と、初めて声高に鳴いた。 鶏冠の短い雌鶏が、三四郎に寄り添っていた。
 昼近く、仕事を一段落した文助が、三太に小声で言った。
   「三太さん、 三四郎が「コケコッコーと鳴いたことを、お婆さんに知らせに行きましょうか」
   「なんで」 だって、池傍の婆さん家の雄鶏はみんな鳴いているので婆さんにとって珍しくもなんともないと、三太は思ったのだ。
   「そろそろ、茄子の種を分けて貰いに行きませんか」 文助は三太に腰を上げさせようと必死である。
   「それなら、文助さん独りで行ってきて下さい」 素っ気ない三太の応えである。
 三太が居ないと、受け取って直ぐに戻らなければならない。 三太が居れば、少々時間がかかっても、遅くなった言い訳ができる。
   「三四郎も、散歩させてやらないと弱るでしょう」
   「三四郎は、雌鶏から離れませんよ」 現に、鶏小屋の戸を開けてやっても、雌鶏に出る気がなかったら三四郎も出てこない。 雌鶏は今朝から小屋の中でしゃがんだままだ。
 文助は、今日は諦めたようである。 昼食を済ませると、頼みもしない三太の畑を耕しはじめた。
   「文助さん、分かったよ」 三太は笑いながら文助に言った。
   「行くから、母上の許しを取ってきて下さい」 三太は、子供ながら何もかも分かっているのだ。 だから、三太は前もって小夜に文助たちのことは話してある。  文助の目当ては婆さんの孫娘楓(かえで)である。 楓もまた、文助に好意をもったらしく、最近は頻繁に婆さんの家を訪ねては、文助さんは来ていないかと尋ねる楓であった。


 婆さんの夫は、かなり以前に亡くなっていた。 婆さんの一人息子が畑を継いで、彼に嫁の来手(きて)がないまま、婆さんと二人で畑仕事に精を出していたが、昨年息子は畑で倒れて、そのまま帰らぬ人になってしまった。 その後は耕す畑を少しにして、婆さん一人で暮らしてきた。 孫娘の楓が婆さんを心配して、足しげく通ってきているのだ。

 婆さんには、亡くなった息子のほか娘が一人居て、近くの農家に嫁いでいた。 娘には三人の娘と、息子が一人いる。 その四人姉弟の末娘が楓である。 二人の姉はすでに嫁いでいて、楓にも隣村の農家の長男との縁談が持ち上がっていた。 ただ、その農家の姑がきつくて、長男に最初に嫁いだ嫁をいびり出していたのだ。 池傍の婆さんはそれを知っているから、楓の縁談を猛反対した。
   「お母さん、そんなことを言っていたら、楓は嫁(い)きそびれてしまいますよ」と、楓の父が言った。
   「そんなことがあるものかね、これだけの器量よしを、男が放っておくものか」
 だが、そうも言いながら、楓は二十歳を過ぎてしまったのだ。

 婆ちゃんが縁側で寛(くつろ)いでいると、三太と文助がやって来た。
   「おや、よくおっ母ちゃんが許してくれたねぇ」 三太はなにやらニタニタしている。  先に文助が白状した。
   「実は、奥様も一緒なのですよ」
   「これは驚いた、奥様もいらっしゃったのですか」
   「はい、ここに来ていますよ」 小夜が遅れて顔をだした。
   「この前は、ありがとうございました、三四郎のお嫁さんまで頂いて」
   「いえいえ、とんでもありません、却ってご迷惑でないかと案じております」
   「三太、こちらへ来て、お礼を言いなさい」 小夜が三太を呼び寄せた。
 三太は、ぴょこんと頭を下げて「お婆ちゃん、ありがとう」と言って、まだニヤニヤしている。
   「今日は、そのことで態々(わざわざ)お越し頂いたのですか」
 婆さんは不審に思っているらしい。 鶏のお礼如きでお武家の奥方が遠路遥々農家を訪れるなんて。
   「それとねえ」 と、小夜は言い難そうに言った。
 やはり何か有るのだ。 婆さんは、少しばかり不安であった。 三太がここへ来るのを迷惑に思っているのではないだろうかと思ったのだ。
   「実は、この文助のことなのですが・・・」 婆さんは意外に思った。
   「文助さんがどうかなさったのですか」
   「お孫さんの楓さんを好きになったらしいのです」
 婆さんは、安堵した。 そのことであれば、自分も感付いていた。 出来得れば、二人が一緒になって、この家に住んで貰えば有り難いと思っていたのだ。
   「願ってもないことです、楓も文助さんのことを好ましく思っているようです」
   「今日は、楓さんはこちらへお見えですか」
   「はい、最近は毎日来ていますので、今日も間もなく・・・」
   「では、楓さんがいらっしゃったら、お気持ちを確かめて明日にでもご両親のところへお願いに行かせましょう」

   「これ文助、私にばかり喋らせておいて、あなたは三太と何をしているのです」
   「はい、お坊ちゃんに、冷やかされております」
 婆さんの言葉に違(たが)わず、楓がやって来た。  文助の姿を見て嬉しそうだ。    「ちょっと、二人で池の周りを散歩して来ます」
   「文助、楓さんのお気持ちを、よくお聞きするのですよ」 小夜は、すっかり文助の母親になった気分で居た。
   「私は、三太と先に帰りますから、今日はゆっくりしていらっしゃい」  三太が、思い出したように婆さんに言った。
   「茄子の種を分けて下さい」
   「おや、そうだったわね、はい、この竹筒に入れてあります」
   「母上、お代を」
   「要りませんよ、お代なんて、種の植え方は文助さんに訊いてくださいよ」
 お婆さんは、三太を結びの神様かも知れないと思った。 何もかもうまくいきそうな予感がしている婆さんであった。


 その夜、話を聞いた慶次郎は、文助を呼んだ。
   「どうだ、楓さんとうまくいきそうか」
   「はい、承諾してくれました、後は明日ご両親にお逢いするばかりです」
   「両親は、反対するかも知れんぞ」
   「楓さんと二人で、お婆さんの面倒を看ますと言って説得します」
   「そうかわかった、お前の身元はわしが引き受ける、佐貫慶次郎の名前を出しても構わぬぞ」
   「ありがとう御座います、文助は仕合せ者です」
   「まだ、少し早かろうが」

 慶次郎は、長崎で医学を学ぶ息子三太郎に手紙を認(したた)めた。

 前略、三太郎殿には、勉学に勤しみおると思いおり候。 この度、三太は其方に逢わんと目論み、独り旅立ち候。 我ら皆探し候らえども見つからず、精も根も尽き果てておりしとき、其方の友と名乗りし御方が三太の手を引いて連れ戻し頂き候。 その名を「数馬」と申しおり候。 一言なりとも礼を言いたきと存じおり候に、住まい、姓名を知らせられたく候。 尚、三太は反省し二度と勝手な行動をせぬと誓いおる故、心配無用と心得られよ。 また、三太郎殿は中岡慎衛門とお樹殿に一方ならぬ世話に相なっている由、そちらへは礼状を認めて送り候。 其方も時あらば、慎衛門夫婦と、伊東松庵殿ご夫妻に礼状を送られよ。 父の切なる願いに候。 草々

 手紙を読んだ三太郎は、数馬という名前に驚いた。 十六年前に亡くなった能見数馬に違いない。 自分の夢枕に立った数馬は、なんということであろう三太の手を引いたのだ。 能見数馬に対して感謝の念を禁じ得ぬと共に、三太がいじらしく、それでも直ちに逢いに戻れぬ自分にもどかしさを覚え、人知れず涙した。

  前略、三太どの、兄は今、良き医者にならんと頑張っています。 三太は父母を困らせてはなりません。 いつの日か、兄ときっと会えます。 それまで父母のいうことをよく聞いて、良い子で待っていて下さい。 三太を助けてくれた方は、兄の友達であり、尊敬する人でもあります。 早速礼状を認めて送ります故、父上に「どうぞご安心を」と、お伝え下さい。 兄はこの度、初めて手術というものを行い、尊い人命を救うことができました。 三太は文字を書く練習を怠っていませんか。 兄は三太の手紙を一日千秋の思いで待っております。 草々

 三太郎が天を仰ぎ、数馬に感謝の言葉を捧げたことは、言うには及ばなかった。

 第二十回文助の嫁(終) -次回に続く-   (原稿用紙11枚)

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