雑文の旅

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猫爺の連載小説「佐貫三太郎」 第十六回 雨の長崎

2013-08-23 | 長編小説
 三太の畑は、大根の間引き菜が根を張り、みずみずしい緑に萌えた。 三太は、お婆ちゃんに知らせてくると出かけようとしているので、小夜は砂糖の入った紙袋を取り出し
   「これは母から間引き菜のお礼にと持たせてくれたお砂糖ですと、ちゃんと言ってね」
 小夜は風呂敷に包み、三太に持たせた。
   「はいっ、では行ってきます」 と、三太は元気に跳びだして行った。
 三太は、小夜に言われた通りに言って、お辞儀をした。
   「まあ、こんな貴重なものを、ありがとうね」
 三太の畑の様子をあれこれ聞いてもらい、今後なすべきことを教えてもらった。
   「お婆ちゃん、ありがとうございました、また来ます」
 まるで紐を外された仔犬のように、ちょこちょこ駆けて帰る三太を見送って、婆さんはつい「可愛いねぇ」と、呟いた。
   「あなた、お帰りなさい、そこらで三太を見かけませんでした」
 藩のお勤めから戻った慶次郎に、小夜が訊いた。
   「いいや、見なかった」
   「もうすぐ日が暮れるというのに、どこで何をしているのでしょう」
 慶次郎の胸をよからぬ思いが横切った。
   「どこへ行くと言って屋敷を出たのだ」
   「はい、池傍のお婆さんの家に行きました」
   「そうか、直ぐに探しに行ってみる」 慶次郎は慌てて池傍の婆さんの家を目指した。
   「お坊ちゃんでしたら、一時(いっとき=2時間) も前にお帰りになりましたが」
 慶次郎は落ち着きを逸した。 道草を食うような子ではないが、蛙でも追って池に落ちたのではないだろうかと思ったのだ。
   「お坊ちゃんは、お母様に注意されたと申されまして、池になどにはお近づきになりませんでした」
   「そうだとは思うのですが、なにしろ幼い子供ですので…」
 慶次郎は礼を言って引き返した。 念の為に池に浮かんでいないか、池の縁に滑ったあとがないかと調べたが、そんな形跡は見当たらず、どうぞ帰っていてくれと祈るような気持ちで屋敷に着いた。
   「三太は、居なかったのでございますか」
 小夜は、自分が止めなかった所為だと泣き崩れた。
   「そなたの所為などではない」
 慶次郎の胸には、ひとつ蟠りがある。 慶次郎に恨みを持つ、藩を追放された謀反に加担した者どもに拐われたのではあるまいか。
 夜が更けてきたが、やはり三太は戻らなかった。
   「もう一度、提灯を持って、探しに行ってみる、権八も一緒に探してくれるか」
   「はい、旦那様、それと番所にも知らせては如何なものでしょう」
   「そうだなあ権八、一走り行ってくれるか」
 その時、門の外で物音がした。 慶次郎が慌てて外へ出てみると、遥か先を逃げてゆく男の影が見えた。 慶次郎は闇の中を追って行ったが、見失って戻って来た。 門には矢が刺さっていた。 矢文である。 「子供を返して欲しかったら、今夜独りで村はずれの鎮守の森まで来い」と、書いてあった。 慶次郎は権八が番所へ駆け行こうとするのを制し、馬に馬具を装着すると、馬に跨りすぐに鞭をあてた。
   「止れ、馬から降りろ」
 闇の中から男の声がした。 慶次郎は命令された通りにすると、
   「刀を遠くに投げろ、脇差しも」
 慶次郎は、腰の大小の刀を抜き、声のする方へ投げた。 微かに「ううう」という三太のうめき声が聞こえた。
   「俺の命はお前たちにやる、子供を放してくれ」  慶次郎の悲痛な叫びであった。 そのとき、月を覆っていた黒い雲がスーッと失せ、まばゆい程の月光が射した。 三太が木の根元に縛られ、猿ぐつわをされて、足をばたつかせていた。
   「三太、安心しろ、父が助けに来たぞ、母が待っている、一緒に帰ろう」
 三太は暴れるのを止め、父の声を聞いて頷いた。 正体不明の男たちは、あざけ笑っているようだった。
   「助けに来ただと、一緒に帰るだと、笑わせやがる、お前はここで死ぬのだ」
 手向かいをすると、子供の命も取るというが、手向いしなくても三太が助かる保証はない。 慶次郎が死ねば三太もまた殺される筈だ。 慶次郎はその場にしゃがみ込み、天を仰いだ。
   「ははは、さすがの佐貫も、観念したとみえるな」 やはりこいつらは、藩を追われた賊どもだ。
 賊のひとりが、刀を翳して慶次郎に近づいて来た。
   「今度は、ヘマはしないぞ、佐貫慶次郎、覚悟!」
 慶次郎は、指を丸めて自分の口に入れ、おもいっきり「ぴーっ」と、口笛を吹いた。 今まで大人しくしていた慶次郎の馬が、いきなり暴れ出し、慶次郎に刀を振りかざした男をめがけて突進した。 男は刀を落とし、飛ばされて横たわった。 慶次郎は、男の落とした刀を拾い、三太の傍で脅していた男を目掛けて投げつけた。 刀は男の腿に命中して、男は前かがみに倒れ込んだ。A  慶次郎は、自分の刀を拾い、三太の元へ走り寄り、三太を縛っていた縄を切った。 振り返ると、残りの男たちが慶次郎を囲み、じりじりと寄ってきた。 慶次郎は、その男たちを峰打ちであっと言う間に倒してしまった。
   「お前たちには、殿の温情がなぜ分からぬ、殿は、いつかは元の身分に戻してやらねばと、お前たちの家族の身を案じておられるものを」 慶次郎は溜息を一つついて、
   「拙者は、この事を殿に言上する気はござらぬ」
 もう一度よく考え直して、心を改める気がある者は、我が屋敷を訪ねてほしい。 殿の許しを得て、藩士の身分を回復させ、一先ずは拙者の下で働いてもらう。 不服がある者は、速やかにこの地から去れ。
 慶次郎はそれだけいうと、三太と共に馬に乗り、屋敷を目指して駆けていった。  翌日、三太郎から手紙が来た。

 前略、父上、母上、おかわりありませぬか。 三太は悪戯をして母上を困らせてはいませぬか。 私は充実した日々を学友とともに過ごしております。 見るもの、聞くもの、目新しいことばかりで、如何に自分が井の中の蛙であったことかと、思い知らされることばかりでございます。 父上におかれましては、さぞお気疲れの多い藩(みや)仕えのことと生意気にも若輩者がお察し申し上げております。
 三太、早く字が書けるようになって、お兄ちゃんに手紙を下さい。 お兄ちゃんは、三太の元気姿を思い出して、医学の勉強に励んでいます。 風邪などひかないように心掛けて下さい。 草々

 三太郎は、憂鬱な気分に襲われていた。 昨夜宿直だったが、受け入れた患者が今朝亡くなったのだ。  腹が痛いと悶え苦しんでいる患者に、何もしてやれなかった。

 今朝、出島から出張してきたオランダ人の医者に、「これは大腸に出来た瘤(こぶ)が破れて死に至ったもの」と、教わり、手術が出来なかったことが悔やまれてならないのだ。 この瘤は、後には憩室(けいしつ)と言い、便秘になりやすく腹に力を入れることが多い人に稀に見られる症状らしい。 その瘤の中に便とか異物が留って腐り、腹が痛みだしたときは、すでに化膿していて破れる寸前であり、破れてしまうと死に至る。 まさに昨夜の患者は、その破れる寸前に運ばれて来たのだ。 化膿を抑える薬(抗生物質)と、医者に手術をする能力があれば、たやすく助かる命なのだ。 三太郎は、世界を渡り歩いて、その化膿を抑える薬を手に入れたいと望むが、愚かしくも外国との交易をほぼ全面禁止するなどという政策をとったわが国の料簡(りょうけん)の狭さが悔やまれる三太郎であった。
 三太郎は、こんな打ちひしがれたときは、遠い思い出の母上を思い出してしまう。 濡れ衣を着せられて、四歳の我が子を残して死にゆく母の哀しみは如何ばかりだったかと思うと、胸を槍で刺されたような痛みが走る。
 「三太、元気か 」 三太の元気な声が、「お兄ちゃん頑張れ」と言っているよう聞こえる。
 「三太も頑張れよ」 そう呟いて、寮へ帰る三太郎に、長崎の雨が痛かった。

 第十六回 雨の長崎(終) -次回に続く- (原稿用紙10枚)

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