雑文の旅

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猫爺の連載小説「佐貫三太郎」 第二十九回 佐貫洪庵先生

2013-09-18 | 長編小説
 隊長は、北町奉行所の与力殿であった。 松庵が「もういいでしょう」と、付き添いに来ていた与力の奥方に帰宅の許しを出した。 「傷口が開くかも知れないので、くれぐれも無理をさらないように」と、少し脅迫めいた言葉を付け加えた。 奥方は、お伴の使用人に駕籠を呼んでこさせて亭主を乗せ、自分たちは歩いて松庵たちに見送られて帰っていった。
   「拙者も何としても歩かねば」 慶次郎は焦りが頂点に達していた。 やりたいことが山ほどあるのに、毎日消毒と膏薬の張り替えで、のんびりしているのが焦れったくて堪えられない。 なにか便利な杖はないものかと、中岡慎衛門に相談した。 傍(かたわら)で聞いていた三太に、名案が浮かんだようである。
   「池傍の文助兄ちゃんが、畑仕事で足の骨を折った人に杖を作ってやりました」    「そんなことがあったのか、だが信州まで作ってもらいに行けないぞ」
   「わたしが絵を描いて、竹細工の職人さんに作ってもらいます」
   「どんな杖だ」
 三太はサラサラッと絵を描いて、父と慎衛門に見てもらった。 杖を脇の下に入れて体重を支えられるように工夫した、今でいう「松葉杖」である。 竹で作ると軽いのだが、ちょっと脆(もろ)くて慶次郎の重い体重が支えきれないかも知れない。 そこで、籐(とう)を巻いて補強するのだ。 これなら、杖なしで歩けるようになるまで、折れずに持ち堪えてくれるだろう。
 藩侯から慶次郎に賜ったのは、当座の軍資金である。 慶次郎には出させないで、慎衛門は三太と自分に賜った路銀を使おうと思った。 路銀は二人で五両もあれば、贅沢な旅がでたので、残りの金(かね)は有り余るほどある。 この金で杖を作って、またその残りは、治療費として診療所に払おうと考えたのだ。
 町で、竹の笊や篭を作る職人の店が見つかったので絵を見せて依頼すると、二つ返事で引き受けてくれた。 明日にでも伊東松庵の診療所まで寸法を測りに行くと言ってくれた。 左右二本作って一両二朱は覚悟しておいてくれということだった。
 杖が出来上がってきたので慶次郎に使わせると、
   「これはすごい、床を擦って移動しなくても、立派に歩ける」
 慶次郎は、二本の杖を両脇に挟んで、すいすいと歩いてみせた。 これで馬に乗って奉行所まで行ける。 杖持ちは、三太が引き受けた。 怪我をしていない方の足を鐙(あぶみ)に掛け、弾みを付けて馬の背に攀じ登った。 怪我をした方の足は、三太が杖で押し上げた。 二本の杖は、揃えて慶次郎に渡し、三太は慶次郎が差し出した杖を掴んで、ひょいと持ち上げてもらった。
 松庵の治療が良ろしく、痛みは無くなっている。 これなら駆け出さなければ安定して歩ける。 慶次郎は上機嫌になった。
   「三太が来てくれて、本当によかった」
 三太は、慶次郎の片足になった。 サスケを屋敷に置いて来たのも正解だった。 一見、親子水入らずのんびりと、されど逸(はや)る気持ちを抑えて、パッカポッコと、奉行所に着いた。
   「信州上田藩の佐貫慶次郎で御座る、お奉行にお目通りしたい」
 なんと、都合の良いことに、長坂清三郎が迎えに出てくれた。
   「丁度良かった、長坂氏にも聞いて貰いたい」 長坂は、慶次郎をお奉行のご前に案内した。
   「実は、この度竹村の護送隊を襲った者の中に、旗本渋谷の家来が居たのでござる」
   「渋谷の」
   「はい、お奉行もご存じの、養生所に千両箱を運び込んだあの男でござる」
   「捕えたのか」
   「それが残念なことに、斬り捨ててから気が付き申した」
 それは仕方がなかろう、佐貫慶次郎も命のがけであったのだろうと、奉行は理解を示してくれた。
   「私の推理でござるが、竹村が盗賊の頭目であったと思われます」
   「その証拠固めをせねばなるまい」
   「はい、その頭目を操っていたのは、渋谷八郎太と思われます」
 そこで、「竹村が、盗賊の頭目であると吐いた、後は竹村を操る背後の大物と、上田藩とのつながりを吐かせるだけだ」と、奉行所内で噂を流して欲しいと、慶次郎は奉行に依頼した。 渋谷に内通している者から渋谷の耳に入るだろうという算段である。
   「長坂氏は目明しに命じて、交代で渋谷の屋敷を見張ってもらいたい」
 近々、竹村暗殺の刺客が差し向けられるに違いない。 竹村を口封じして、頭目の挿げ替えが行われるはずだと。 だが、慶次郎の推理は外れ、事件は意外な方向に向かった。
 その夜、眠った三太が直ぐに飛び起きた。
   「父上、大変です」
 横で寝ていた慶次郎を揺り起こした。
   「なんだ アオの頭に鶏冠でも生えたか」
   「もー、違いますよ、今夜遅く田上屋という江戸の両替商が盗賊に襲われます」
   「三太、また神憑りな夢を見たのか これは大変だ、直ぐに出かけよう」
 三太郎もそうであったが、三太も突然一時(いっとき)乃至二時(ふたとき)未来の夢を見る。 それが確実に実表するのだ。 三太と慶次郎は長坂の屋敷に直行した。
   「分かり申した、拙者も三太郎殿と三太殿の神憑りの夢が実現しているのを、幾度か経験しております」
 長坂は奉行所へ駆け込み、奉行の許可を取り、捕り方と宿直の同心を集めて隊を組み、田上屋に向かった。
 長坂は、盗賊が来る前に田上屋の店の者に、「夜中に役人と名乗り戸が叩かれるかも知れないが、それは役人ではなく盗賊であるから、絶対に開けないように」と、十手を見せて釘を差した。
 慶次郎は歯痒いながら足手纏いにならぬように、店から離れたところに身を隠した。

   草木も眠る丑三つ時、どこで打つやら寺の鐘が陰に籠って「ごーん」と鳴り、生暖かい風が障子を「さーっ」と撫でる時刻、早く言えば午前二時半ごろだが、店の戸が「トントン」と叩かれ、店の戸口を抜刀した黒装束の者九名が囲んだ。
   「見回りの役人だが、こちらの方に牢抜けした罪人が逃げて来た、店の中を改めさせてもらうから、ここを開けなさい」 
 店の中はシーンとして、何の反応も無い。 盗賊は「聞こえないのか」と、少しずつ強く叩く。 それでもシーンとしている。 しまいには、焦れてきて、刀で戸を外しにかかった。
 長坂たち捕り方は、ここぞとばかりに盗賊どもを取り囲んだ。 盗賊たちが次々と捕り押さえられる中、一人の男が囲みを破って逃げ出した。 その先を、慶次郎が遮った。 逃げた盗賊に接近し、持っていた杖で馬上から突き倒し、倒れた盗賊を追ってきた捕り方が取り押さえた。 男は渋谷八郎太であった。
   「無礼者、拙者は直参旗本の身、町方の役人如きに取り押さえられる謂われはないわ」
   「渋谷殿、旗本を口にされてよろしいのかな、其方は、盗賊として取り押さえられたので御座るぞ、旗本の面汚しであろうが」 慶次郎が馬上から怒鳴った。
   「おのれ貴様は佐貫だな、ここは田舎侍の出しゃばるところではない」
   「その田舎侍が、若年寄(わかとしより)様の命(めい)を受けているとしたらなんと致す」
 若年寄りは、旗本、御家人を取り締まる役目を持った高級旗本である。 渋谷は黙ってしまった。 これは慶次郎のハッタリではない。 盗賊の後ろ盾が渋谷八郎太と睨んだ慶次郎は寺社奉行を通して、若年寄りに働きかけていたのだ。
 常々、素行の悪い渋谷を苦々しく思っていた若年寄りが、渋谷の尻尾を掴かめば旗本職を剥奪すると決心をしたのだ。
   「渋谷は決して切腹させてはならぬ、今までの上田藩に於ける数々の悪事をお奉行に吐かせて戴く、竹村は拙者が吐かせてみせる」
   「全て竹村に脅迫されてやったことだ」 渋谷の逃げ口上である。
   「そうか、やったのだな、悪事を」
 信州上田藩で起きた事件は、こやつが絡んでいると慶次郎は確信をもった。
   「長坂殿、江戸での取り調べはお奉行と貴殿に任せた、拙者は藩に戻り竹村を吐かせて事件の全貌を暴く」
 杖を突いて、器用に歩く慶次郎を、松庵には診療所に留める理由が見つからなかった。
   「わかった、戻りなさい、どうせ私が止めても応じる気はないでしょうから」
   「三太、馬の用意を頼む」 と、慶次郎。
   「はい、父上」
 こうして、治療半ばに藩へ戻れるのは、三太のお蔭だと慶次郎は思った。 護送隊の者や竹村を口封じから護ったのも三太である。 私の息子たちがこうも神懸かりなのは、やはり能見篤之進の息子、数馬の霊がそうさせているのだろうと、慶次郎は思った。 いつしか、天を仰ぎ、能見数馬の霊に感謝して両手を合わせる癖が付いた。息子三太郎のように。

 親子二人、パカポコと木曾街道を旅しながら、長閑にお喋りをした。
   「父上、お殿様が三太の名前を付けてやると仰いました」
   「ほう、それは名誉なことだ」
   「お殿様は、三四郎と付けたいようですが、それは断ってくださいね」
   「三四郎とは強そうではないか」
   「父上、お忘れですか 三四郎は父上が付けてくれた鶏の名前ですよ」
   「では、鶏の名前を替えれば良いではないか」
   「嫌ですよ、鶏のお古なんて」
   「三太はどんな名前が好きかな」
 三太は、すかさず答えた。
   「三太郎です」
   「では三太郎兄ちゃんはどうなる」
   「三太郎兄ちゃんは、医者らしい名前に替えますよ」    「たとえばどんな」
   「こうあんがいい、そうだこうあん先生です」

  第二十九回・佐貫洪庵先生(終) -次回に続く- (原稿用紙12枚)

「佐貫三太郎シリーズ」リンク
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「第二回 亮啓和尚との初対面」へ
「第三回 三太郎、長坂に試される」へ
「第四回 未来が見える病気」へ
「第五回 父の面影」へ
「第六回 水戸へ」へ
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「第八回 亡き数馬との出会い」へ
「第九回 三太と三太郎」へ
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「第二十八回 三太改名か?」へ
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「第三十一回 三太、親殺し」へ
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