それぞれの風景

2006-02-22 | ◆Photo Diary
風景って、一般的には自然世界全般を眺めたときに、目に写るモノのことを言いますが、
現実には色んな意味の風景があるんですよね~。
人の頭の中で想像(創造)された、現実には無い風景を“心象風景”。
僕が描くような絵は“空想風景”でしょうか。
人々のかかわりの中から見えてくる相関関係や生活を
“家族の風景”“会社の風景”“社会の風景”と呼んだりもします。

ノンフィクション好きな自分には、スポーツを見ていて感じられる
駆け引きや勝負の世界も風景に見えます。
強引かもしれませんが“スポーツの風景”ですね。
そして、全てを出し切って戦い終えた選手達の表情は
最高の“表情の風景”を見せてくれます。

そんな風に呼べば何でも風景になってしまいますが、しかし最低限、
目で見るだけで無くて、想像力や五感を駆使して見る風景は
もっと奥が深くて、楽しめるような気がします。

実際、目に障害があって見えない人でも、
身体中の能力を駆使して、四季の移り変わりを感じたり、
花の美しさも感じ取っていると思います。それも風景ですよね。
だから目が見えるからと言って、見えるモノだけを風景だと思い込むのは、
障害のある方に失礼だし、それ以上に自分の感じ取る能力に
制限を与えているような気がします。

風景はどこにも、どんなモノにもあると思いますし、
決して一瞬のことだけとも思いません。
目で見ることだけに頼らず、自分の持っている全ての感覚で感じ取りたいものですね。

ちょっとお固い文章になりましたが、最近本来の写真や絵を載せず、
トリノの感想ばかり書いている懺悔みたいなモノです。スミマセン。
真剣にスポーツを見ていると、取ってつけたような絵や写真をつける
気にはなれなくて(一つだけ付けましたが…)、
こんな言い訳の文章を書いてしまいました。


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