夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

テレビで、言葉遣いについてまたまた細かい事を言う

2009年11月30日 | 言葉
 今朝テレビのニュース番組を見ていて司会者の言葉で気が付いた事がある。
 ある殺人事件で防犯カメラに映っていた男とよく似た男が別の事件で逮捕されているとのニュースである。被害者の女子大生は友人の家を出てからの足取りが分かっていない。その「友人」をフジテレビのある司会者の一人、敢えて名前は出さないが、育ちの良いと言われている男性だと言えば、多くの人がお分かりになるだろう、その彼が「お友達」と言ったのである。
 頭に付ける「お」や「ご」は普段の言葉遣いがそのまま出る。特に注意して発言する場合以外はそうなる。日常的な言葉ほどそうなる。例えば「水・酒・醤油・味噌・金」などなど。まあ、多少の揺れはあるが、普段から「おかね」と言っている人は絶対と言えるほど「かね」などとは言わない。
 そうした事で一番印象に残っているのが、私の大学生時代の同級生だ。大学の食堂でカレーライスを食べていた時、その彼が「今日のカレーお肉がいっぱい入っているね」と言ったのである。えっ! と私は思った。私は「お肉」などと言った事が無い。「お魚」はあるが、「お肉」は絶対に無かった。彼は都心の一等地に家があるお坊ちゃんである。だが、筋骨たくましく、思いやりはあるが、筋の通った男である。スポーツも万能の観があった。言うならば男らしい男なのである。その彼が「お肉」なのである。
 なるほど、育ちが良いとはこうした事か、と私は思った。

 同じような時間帯でテレビ朝日の司会者の一人は、これとは全く別の言葉遣いをした。正月のおせち料理の話で、コメンテーターに「おせち料理をいただきますか」と聞いたのである。聞かれた人は「ええ、いただきますよ」と答えた。コメンテーターの言葉が正しいのは誰でも分かる。番組の司会者ともあろう者が、相手に対して「いただきますか」と言うのである。若い男性ではあるが、その番組の顔でもあるのだから、もっときちんとした話し方が出来なければ、失格である。
 私がよく行く有名な魚屋では、ご主人と思える男性が、「さあ、新鮮ないわし、いただいて下さいよ」と叫んでいる。いつだってそう叫んでいる。もちろん、いつも「いわし」ではない。冗談じゃない、と私は思う。「召し上がって下さい」だろうが。街の魚屋なら、御愛嬌と許されるだろうし、それに威勢の良い魚屋が「召し上がって」ではそぐわない観もある。ならば「さあ、新鮮ないわしですよ」くらいにしておけば良いのである。彼は「いただく」がどのような言葉かを知らないらしい。そして、テレビ番組の司会者では絶対に許されない。

 その番組ではアシスタントの男女の若い司会者が居る。このおせち料理の話で、黒豆、数の子、田作り(ごまめ)のいわれを説明した。すると若い男性司会者が「へー、そうだったのか」と反応した。まあね、若いから知らなくても良いだろうが、いやしくも番組を進行させる役目を仰せつかって出ているのである。事前にそれくらいの事勉強しておきなさい、と私なら言う。番組で司会者が勉強してどうなると言うのか。
 ホント、番組で勉強している司会者や進行係はほかにもたくさん居る。番組はあなた達の勉強会じゃないんだよ、と言いたくなる。
 彼等は少なくとも、自分はテレビに出ているんだ、との自負がおありだろう。その自負にふさわしい人間におなりなさい。今のままでは、自負心だけが先走りしている。だから、からっぽの人間がそこに居る。